聖火がつなげる“絆”

今年はロンドン五輪が開催される



1月21日、東京オリンピック開催の1964年を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』が公開される。47年前の日本の姿がなぜ今世代を超えて人々を感動させるのか。あの日、日本を1つにつないだ聖火ランナーが語る。





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最終聖火ランナー・坂井義則さんが聖火台に火を灯す瞬間を会場の、そして日本中の人々が見守った





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人生で最高の3分間でしたよ、と坂井さん(撮影・宮上晃一)





「務めていた会社の人が総出で沿道に出てきてくれてね。英雄みたいだったよ(笑)」と語るのは1964年に開催された東京オリンピック聖火ランナーの1人、鈴木満さん。「聖火を守って走ったことは、生涯で一番大事な思い出かな(笑)。だってそのころ日本中がオリンピックやるぞって騒いでたんだから。僕が昭島地区を走ったのが10月9日。翌日の10日に最終ランナーの坂井義則さんが聖火台に点灯したんです。僕も競技場にいてね。坂井さんが階段を駆け上って点灯するのを心底感動して見ていましたよ」。



 日本中がテレビを通して見守った最終ランナー、それが当時19歳、まだ“無名の”陸上選手だった坂井義則さんだ。当時のことを坂井さんはこうふり返る。「最初その話を知ったとき“聖火ランナーって何なの?”という感じでしたよ(笑)」。坂井さんはもともとオリンピック出場の期待がかかる選手の1人だった。「中学時代からオリンピックを目指してやってきたのに、7月の最終予選会で落ちてしまってね。失意のなか、故郷の広島に帰っていたんです。そこへハガキで知らせが来たんだけど最初は正直、複雑な気持ちでした」。それでも坂井さんは走る決意をした。「あのとき日本中の人々がオリンピックを成功させようとしていたんです。日本が平和国家となったことを世界に示すんだ、とね。当時、東京オリンピックのために国民が寄付をしたんですよ。寄付付きの切手を買ってね。5円でも10円でも寄付をすることによって、自分もオリンピックに参加しているんだと思うことができた。ある意味、みんなが参加選手だったと思うんです」。最終ランナーに決定してからもこんなハプニングが。「1週間前まで左手でトーチを持っていたんですよ。それが、世界的な平和の祭典でイスラム教の“不浄の手”に当たる左手で持つのはどうか、というので急きょ右手で持つことになったんです」。そして迎えた10月10日の開会式。「確かに緊張はしましたけど覚悟を決めたら人間なんでもできますね。実は、僕に炎を渡してくれた女の子がニコッと笑ってくれて、その瞬間すっかり気持ちがほぐれました(笑)」。ところがいよいよ走り出そうというとき。「鼓笛隊の演奏が終わっていないんです。彼らが終わるまでトラックを走ることができない。演奏が終わるのを待ち、さらに数十秒、数えてから走り始めました。僕がアドリブで“間”を作ったんです(笑)」。効果はてきめん。割れんばかりの歓声のなか、競技場、いや日本中、世界中の人に見守られて聖火台へと駆け抜けた。その颯爽とした姿が今も目に焼き付いている、と多くの人が語る。「でも一番いい眺めを見ることができたのは僕でしょうね」。走った時間は3分間。「その3分間で、人生が変わりました。あのおかげでその後もいろいろな人と会うことができた。同時に“最終聖火ランナーの”という言葉がついて回る辛さも味わった。それでも最高の3分間でした」。坂井さんが生まれたのは、広島に原爆が投下された8月6日。「当時から、それで最終ランナーに決まったのだろうと言われていましたけど、実際のところは分かりません。むしろ僕は、無名の青年に日本中の思いを、未来の平和を託したんだと思います。あのとき、日本中が1つになって頑張ることができた。もう一度、できるはずです」



 2020年大会開催地の決定は2013年。今年はロンドン五輪が開催される。聖火の灯が日本を1つにつないだあの日の記憶が語るものは、大きい。

























杯を傾ければ東京オリンピックの歓声が聞こえてきそう!?



酒寮 大小原(新宿)
 坂井氏とも数十年の親交があるというご主人。店の天井は、ご主人の人柄を慕って店に通うスポーツ選手らの色紙で埋め尽くされている。第3水曜日には落語会も開催。
16〜24時・通常は日祝休み 新宿区新宿3-21-4 第2サンパークビル5F 03-3354-8803





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鳳龍(品川)
 東京オリンピックで昭島地区の聖火ランナーを務めた鈴木満さんが腕を振るう中華料理店。オリンピックが開催される年には、実際に着用したランニングを飾る。今年も春先から展示予定。
11〜14時30分、17時〜22時・日祝休み 品川区西五反田6-24-12 03-3779-3317





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当時を知る人に聞いた「私が見た1964年・東京オリンピック」



■女性もどんどん社会に出ていこう、とワクワク



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堤真一演じる鈴木則文は、近所でもいち早くカラーテレビを購入! 三丁目の人々もオリンピックをカラーで見ようと鈴木家に集結





「東京オリンピックは単なるスポーツの祭典ではなかったんだと思う」と語ってくれたのは当時21歳だった齊藤リエ子さん。齊藤さんが最も胸を躍らせたのは、やはり女性アスリートの活躍だったという。「“東洋の魔女”の回転レシーブとか、夢中になってテレビで見ていましたよ。彼女たちの活躍に、女性ももっと発言していい、社会に進出していくんだって思えたんですよね。それと、オリンピックで国民がいろいろなことを知った気がします。テレビで選手村の食事を紹介していて“豚肉が食べられない宗教があるんだ”なんてことを知ったりね。カラーテレビが出てきたのもその頃でしたよね。それ以前は、白黒テレビの画面に被せるとなんとなくカラーに見えるという色つきのアクリル板みたいなものがあったけど(笑)。私は、オリンピックを機に日の丸を意識した気がする。そのころから世界に日本を誇れるようになったというか、世界とつながることができた気がするんですよ。何より、誰のためでもない、国民が一丸となってオリンピックで日の丸を掲げるんだって思いがあった気がします」



■東京の空に描かれた五輪のマークに感動



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堀北真希演じる六子と菊地のロマンスに重要な役割を担うことに。劇中では、森山未來演じる青年医師・菊地の愛車がトヨタ・パブリカ





 当時24歳だった筒井康博さんは、10月10日の開会式で、自衛隊のアクロバット飛行チーム・ブルーインパルスが、東京の空にスモークで描いた五輪のマークを見上げたことを今でもよく覚えている。「あれは感動しましたよね。当時出入りしていた青山の事務所のテレビで開会式を見ていて、実際に見えるぞというので外に出たんですよ。国立競技場がすぐそこだったんで、真下から見上げたんです。五輪の色もはっきり見えましたよ」。そのころ筒井さんは、グラフィックデザイナーとして活動していた。「ちょうど開会式の1週間ほど前、みゆき通りで個展を開いたんですけど、オリンピックを見に来た外国の人や“みゆき族”で賑わっていましたね。ファッションやデザインが大きく変わったのもそのころ。VANなんかができて“吊るし”でもいい服を買えるようになった。国産車が良くなったのも同じころですよ。日本版フォルクスワーゲンと言われたパブリカが人気ありましたよね。僕はルノーの中古車に乗ってましたけど…国産の新車は高いから(笑)。オリンピックが始まる前は賛否両論あったみたいだったけど、始まってしまったら日本中すごい盛り上がりでね。やはり、日本はオリンピックから大きく変わりましたよね」。













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映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』1月21日公開



三丁目の住民たちが3D映画となってスクリーンに返ってくる! 物語の舞台は前作のラストから約5年後の昭和39年、東京オリンピック開催の年。日本中がオリンピックに胸躍らせ未来への希望にあふれていた。三丁目の人々にも新たな未来が…。
2012年1月21日 「3D」 全国東宝系 (2D同時公開)東宝配給
http://www.always3.jp/
©2012 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」製作委員会








「goo地図」空から見る昭和30年代の東京





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 NTTレゾナント株式会社が、インターネットポータルサイト「goo」で提供中の「goo地図」において、昭和38年に東京23区で撮影された航空写真をスクロール可能な地図上で無料公開。写真は現在と昭和38年の代々木体育館。



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