ソチ五輪閉幕 日本は海外では最多のメダル8個

プレッシャーに負けた!?浅田と高梨
 第22回冬季五輪ソチ大会は23日夜(日本時間24日未明)、ロシア南部ソチのフィシュト五輪スタジアムで閉会式が行われ、17日間の熱戦にピリオドを打った。日本は男子フィギュアスケートの羽生結弦が金メダルを獲得。ジャンプ男子が個人ラージヒル(LH)で41歳の“レジェンド”葛西紀明が銀メダル、団体が銅メダルを獲得。前半では15歳の平野歩夢がスノーボード 男子ハーフパイプ(HP)で銀メダルを獲得するなど、計8個のメダルを獲得した。出発前に橋本聖子団長が目標に掲げた「長野超え」となる10個には及ばなかったが、海外での大会では最多のメダル獲得数となった。
 今回のオリンピックほど、スポーツが筋書きのないドラマだと思わされた大会はなかった。そして過剰なまでの期待がどれほど選手たちの大きなプレッシャーとなっていたかということも。

 大会第2日(2月8日)に行われたフィギュアスケートの団体戦から小さなつまずきは見られた。女子シングルのショートプログラム(SP)に出場した浅田真央はトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を失敗するなどミスを連発し3位に終わる。19日からの個人戦に向け、練習拠点であるアルメニアで調整することになった。しかし一度狂ったリズムはこの短期間では取り戻せなかった。19日のショートプログラムではトリプルアクセルで転倒するなどミスを連発。技術点が22.63点、プログラム構成点33.88点で16位と大きく出遅れた。試合後、浅田は「ここまで緊張して体が動かなくなるのは…。緊張をコントロールできなかった」と語った。しかしメダルが絶望となったことで本来の自分を取り戻したのか、翌日のフリーでは自己ベストを更新する142.71点を叩き出し6位にまで順位を上げた。浅田は「4年間のすべてを出せた」と圧巻のフリー演技に歓喜の涙を流した。

 今大会で最も金メダルに近いと思われていたのがジャンプ女子の高梨沙羅だった。今季ワールドカップでは13戦10勝、2着2回、3着1回と他を圧倒。なにもなければ金は確実といわれていたが、結果は4位。メダルに届かなかった。テレビ解説を務めた長野五輪の団体金メダリストである原田雅彦氏が「高梨の時だけ追い風だった」と語ったように条件が悪かったのは間違いないところなのだが、やはり金メダル確実という前評判が、17歳の高梨には大きなプレッシャーとなっていたのは間違いない。

 そんな嫌な雰囲気を一気にハッピーなものに変えたのが、選手団の主将を務めた葛西だ。葛西はノーマルヒルでは8位に終わったものの、15日の得意のラージヒルでは悲願だった個人でのメダルとなる銀メダルを獲得した。しかもトップとは1.3点差、距離にして1mというわずかの差だった。葛西のメダルが確定した瞬間に伊東大貴らが駆け寄り祝福した場面はジャンプ陣の絆の深さを感じさせた。第11日の17日に行われた団体では3位に入り、清水礼留飛、竹内択、伊東も銅メダルを手にした。個人では笑顔だった葛西だったが、「若い後輩たちに絶対メダルを取らせてあげたいという気持ちだった。メダルの色は関係なく、4人で力を合わせて取れたことがうれしい。一人一人がいいジャンプをして頑張った」と団体ではうれし泣き。ここでもジャンプ陣の絆の深さを感じさせた。

 前回のバンクーバー五輪で銀と銅を獲得したスピードスケート男子500メートルの長島圭一郎と加藤条治がそれぞれ6、5位に終わり、金メダルが1個もないまま終わってしまうのか…といった空気が流れ出したが、そんな空気を吹っ飛ばしてくれたのが男子フィギュアスケートの羽生だった。

 羽生は13日のショートプログラム(SP)で国際大会史上初の100点超えとなる101.45点をマークして首位に立つ。しかしフリーでは冒頭の4回転ジャンプを失敗するなど点数を伸ばせず、金メダルは絶望かと思われた。

 しかしその後に滑ったパトリック・チャンも、羽生の滑りを見て力みが入ってしまったのか、冒頭の4回転−3回転の連続ジャンプは決めたものの、その後ジャンプでミスを連発。結局、羽生が、フリーでも1位の178.64点となり、合計280.09点で金メダルを獲得、19歳69日、史上2番目の若さで男子王者に輝いた。
荻原次晴氏が号泣

 ノルディック複合 個人ノーマルヒル(NH)では渡部暁斗が1994年リレハンメル五輪以来20年ぶりとなる銀メダルを獲得。同種目で活躍し、今大会ではテレビ東京の現地キャスターを務めた荻原次晴氏は「暁斗ー、銀メダルおめでとう」と絶叫後に、「ホントにこの20年間、ノルディック複合はみなさんに期待していただきながらメダルが取れなかったんです。ホントに苦しかったんです」と生放送中に感極まりマイクの前で号泣した。

 大会第13日の19日、後半になってやっと女子のメダリストが誕生した。スノーボード女子パラレル大回転の竹内智香が4度目の五輪でついに銀メダルを獲得。同種目で日本人選手がメダルを獲得するのは男女を通じて史上初の快挙だった。今大会最大のライバル、パトリツィア・クンマー(スイス)との決勝で、1回目に0秒30上回り優勢に立ったが、2回目の終盤の旗門でまさかの転倒をし、逆転を許した。悲願の金を逃したが、堂々の銀メダルを獲得した。

 第14日の20日にはフリースタイルスキー女子ハーフパイプ(HP)の小野塚彩那が銅メダルを獲得した。小野塚はもともとはアルペンスキーの選手だったのだが、2011年にHPが五輪種目に決まったことから転向。周囲の反対もあったが、乗り越え3年でメダリストとなった。

小笠原の目は早くも平昌

 メダルには届かなかったものの、女子カーリングは1998年の長野五輪に並ぶ5位。参加が10チームになった2002年以降では過去最高の順位だった。4勝4敗で迎えた予選最終戦のスウェーデン戦。勝てば準決勝進出という場面だったが、4−8で敗れた。前回王者のスウェーデンに対して、2点差の第7エンドに不利な先攻で得点する粘りを見せたが、第8、第9エンドに連続失点し、万事休した。それでもギブアップすることなく最後まで戦い抜いた姿は日本中に感動を与えた。

 前半戦に韓国、米国に取りこぼし3連敗で2勝4敗と準決勝進出が絶望しされた。しかしその崖っぷちから、格上のスイス、中国に連勝しあと一歩のところまで盛り返した。

 トリノ五輪後に一線を退き、2011年4月に船山らと新チームを結成したスキップの小笠原歩の復帰の際の目標は18年の平昌五輪。急成長で手にしたソチ五輪で、世界への手応えと壁とを味わった。「差は経験。次はメダルといえるくらい成長したい」。すでに視線は4年後に向かっていた。