加藤勝信 内閣官房副長官に聞く

東京から日本を元気に!TOKYO MOVE UP! SPECIAL INTERVIEW
2012年に行われた第46回衆議院議員総選挙で岡山5区から出馬し、4回目の当選を果たした加藤勝信衆議院議員。同年12月に発足した第2次安倍内閣では内閣官房副長官に起用され、今年9月に行われた内閣改造でも引き続き現職を任された。岡山県地元選出の加藤副長官に安倍政権のこと、地元・岡山の話などをうかがった。(聞き手・一木広治)
自分は何をしたいのかをしっかり見極め、その実現まで努力し続けることが大事

——最近では地方創生ということが盛んに言われていますが、「TOKYO MOVE UP!プロジェクト」ではそれに先駆け2013年1月から、「岡山から日本を元気に」というテーマを掲げ、「OKAYAMA MOVE UP」という活動をしています。加藤さんからみて、地元・岡山のポテンシャルや今、岡山がやるべきことを聞かせてください。

「もともと地方創生の議論が出てきたのは、元総務大臣の増田寛也氏が代表を務める日本創生会議が出されたリポートがきっかけでした。それは“2040年までに896の自治体が消滅する”というショッキングなもので、岡山も、私の選挙区もほとんどがその対象でした。そういう数字が具体的に出されたということは非常に大きかったのですが、私はこの5〜10年活動をしながら、そういう流れも感じていましたし、地域の人も身近に感じていましたから、そんな中でいかにそれぞれの地域を残していくのかということが肝心であると思います。岡山は中山間地域が多いのですが、そうした山々では田んぼが荒れてしまい、3年経つと林や山に戻っているわけです。そういう状況を目の当たりにして、田畑でお米などを作ってきた先代や先々代の人たちの思いというものをどう継承していったらいいのかということを常に思っていました。そういう中でこれから取り組むべきポイントのひとつは今、議論になっていますけれども、農業です。岡山の場合は特にピオーネをはじめ果物などがあり、それなりに収入もあります。あとトマトもですね。もともとブランドもありますし、力を入れている地域もあるので、UターンだけでなくIターンで多くの方々が戻ってこられているという面があります。また、圧倒的に災害が少ないということがあります。地震も少ないんですけど、トータル的に災害が日本一少ない地域なのです。そういうこともあってか、距離が遠い割には被災した東北から来られている方が多いのです。そういう意味では、外から見ると、いろいろな意味で魅力がある地域であると思っています」

——「OKAYAMA MOVE UP」は、もともとは地元の若手経営者たちが立ち上がって生まれた活動です。やはり人材が大事。そして岡山って元気な会社が意外と多いんだなと実感しました。そんな岡山で注目すべき産業といえば、どんなものが挙げられますか?

「ひとつは繊維産業の関係があるのではないでしょうか。もともと繊維産業が盛んであり、例えば倉敷の児島地域などは結構会社が多いように思います。ということは社長さんが多い、つまりは自立性が高いという風土があるのではないでしょうか。そういう風土の中で、繊維関係を含めていろいろ新しい試みに30代を中心に若い人々が挑戦されているという感じがしますね」

——今、政権の中枢におられます。官房副長官として安倍政権を支えられていて、これまでの手応えと今後の取り組みを聞かせてください。

「経済のほうは、ここにきて消費税の引き上げ、天候不順等々の影響があって、やや足踏み感はあります。しかし私たちが政権を奪取しようとしていた一昨年の11月くらいから株価は上がっていますし、全体の雰囲気が変わってきていますよね。経営者の方々も守りから攻めに変わってきたな、という雰囲気は出てきているのではないかと思います。それから外交面。総理はのべで60カ国近く海外に行かせていただいております。同じところに2〜3回行っている場合もありますから、実質でいうと現在49カ国。今度、中国へAPECで行くと50カ国目となります。私もその半分近くに随行しています。この数字は小泉総理が5年以上続いた政権の下で行かれた数を凌駕しているのですが、戦略的に行っているということ、久しぶりに日本で1年を越える政権基盤を持っているということで、海外に行っても手応えが全然違ってきたなと思います。アジア全体で中国が非常に伸びているという状況の中で、特に東南アジアの国々からすると、日本が存在感を示すということは、中国と日本との間でうまくバランスを取っていきやすくなるわけですから、非常にウェルカムな状況だと思いますね」
——2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まり、日本はそれに向けていろんなことに挑戦していける機運が高まってきました。加藤さん自身の2020年に向けた目標。また次世代に、2020年を目指してこんなことを頑張ってみたらどうだろう、といった提言はありますか。

「1964年のオリンピックは、私は9歳で経験しました。あと6年元気でいれば(笑)、一生で2回、自分の国でオリンピックを経験することになります。複数回オリンピックを開催している国はありますけど、戦後でこういう状況はなかったわけであり、これは多分、そうあることではないと思うのです。日本は高齢化社会になりつつあります。1964年の東京オリンピックを経験した世代の人たちも高齢化していますけれども、そういう人たちが非常に元気になってきました。あのころのムードを知っている人たちも含めて、前向きに物事を考えていくという機運が高まってきました。これまではどちらかというと、2025年になると高齢化率がどうなっているといった視点からの見方であったわけです。しかし、今はそうではなく、“2020年にオリンピック・パラリンピックがある。それによって日本も随分変わっていけるんだ。じゃあ俺たちは何をしよう、何ができる? こういうことしよう”ということがどんどん出てくる。また出てくることを進めていくことが安倍政権の成長戦略であり、また規制等によってできないことがあれば、それを取り払ってやれる環境を作る。そしてやれる環境が整ったら、もっとやろうという気が起きてくる。隣の人がやっている姿を見て“俺もやろうか”という気分にもなる。こういう前向きな渦が広がっていくことを期待しています」

——次世代の若い人たち。いえ、若くなくても頑張っている人たちに、困難に向かうにあたっての心構え、困難に陥った時にどう乗り越えてきたかといったことを聞かせてください。

「私はもともと大蔵省にいましたが、退職しまして、その後選挙に出たのですが何度か落選を経験しました。生きていく中ではいろいろなことが起きるのですが、本質は、常に“自分は何をしたいのか”ということをしっかり見極めることだと思います。いろいろな状況から挑戦し続けることが困難となる場面も出てくるとは思いますが、やはりやり続けない限り、事は成就しないのではないでしょうか」

——人生の転機といったものは何歳くらいに訪れたのでしょうか?

「40歳の手前で役所を辞めました。義理の父親が衆議院議員をやっていたのですが、自民党から離党したりしていろいろなことがありました。その後、私も出馬することになるのですが、というふうに挙げていくと転機の連続ですけどね(笑)」