鈴木寛の「2020年への篤行録」 第23回 戦後70年。歴史を学び直すには

 まもなく終戦の日である8月15日を迎えます。

 今年は戦後70年。テレビや映画でも節目の年を意識した作品が続々と作られています。1945年8月14日、日本政府が降伏を決めてから、昭和天皇が終戦をお告げになる玉音放送が流れるまでの24時間を描いた「日本のいちばん長い日」が今夏は約半世紀ぶりにリメイクされるということで、改めて8月15日の歴史的意義に注目が集まりそうです。

 折しも学生たちは夏休みシーズン。高校3年生の皆さんは受験勉強で手一杯のことでしょうが、比較的時間のある1、2年生、あるいは大学生は本を読む時間があると思います。太平洋戦争を始めとする現代史に関する書籍を読んでいただき、学校の授業や受験勉強の枠にとらわれずに自分の頭で歴史を学び、その意義を問い直す時間を作ってはどうでしょうか。

 なぜ、そんなことを申し上げるかといえば、学生の時はどうしても「歴史」というものに一面的な向き合い方しか出来ていないことが多く、もったいないと思うからです。学生の皆さんは、「歴史」と聞くと、「イコール丸暗記」という認識をしてしまいがちです。いわずもがな、学校のテストや大学入試に備えた勉強のために、年号や人物名、事件名を一字一句覚えなければならない、という状況に駆り立てられているからです。

 一方、いわゆる「歴史好き」を自認する学生さんの場合は、教科書で興味を持ったというよりも、NHKの大河ドラマや司馬遼太郎さんの小説、あるいは「三国志」の漫画等をきっかけになったという人が多いのではないでしょうか。

 結局、人が知識を習得するのは、受験勉強等で強制的に義務付けられるか、趣味のように楽しんで好奇心を強めるかのどちらかなのです。そもそも「ヒストリー」(history)は「hi」と「story」、つまり「人間の物語」が掛け合わせての語源という点からみても、ストーリーで歴史を学ぶことは実に有効です。ただ、そこで大事なのは、映画を見終った後に「ああ面白かったね」と済ませてしまうのではなく、作品に触れたのをきっかけにして、「この人物のことをもっと知ってみよう」と探求していくことです。その点、今の学生さんはインターネットで情報を集められますので、「こんな人が実は活躍していたのか」と、自分から知りたい人には格好の環境が整っています。

 しかし、情報を知るだけでは歴史の学びとして実にもったいありません。古代ギリシアの歴史学者、ヘロドトスは著書『歴史』を書いた理由について、ギリシア人と異民族がなぜ争ったか後世に忘れられないためだった、と記しています。つまり、先人たちの生き様から、自分たちの未来を構築していく上での「教訓」とせねばなりません。そして、そのことは解釈なり、評価なりは十人十色でなければ、自分の頭で考えたとは言えません。

 だからこそ、多読をして多面的なものの見方が必要です。

 たとえば尖閣や竹島といった領土の問題について、教科書による基本的な史実、日本政府の立場や歴史的経緯を抑えた上で、「なぜ中国や韓国が自国の領土だと主張しているのか」相手の出方を探ります。外務省のホームページを検索すれば、日本政府の公式見解が見られます。

 そして、それに対して中国、あるいは米国がどのような考えを示してきたのか、あるいは有識者が何を話しているのを整理し、どこに差異があるのかを検討してみます。そうすることで立体的な学びとなり、洞察が深まります。尖閣を巡る一連の経緯は、ある意味、日米関係、日中関係の戦後のエッセンスを凝縮しています。今日に至る問題も手に取るように分かるでしょう。まさに、単に歴史的事実や年号を暗記するだけではない、社会科、つまり「社会を科学する」意義があるのです。

 歴史を学ぶことで得た教養は、たとえば社会に出て海外で働く時に相手国の国民性等を踏まえる際に大変役立ちます。中国市場に展開している商社やメーカー等の企業に就職したら、自分たちがどのような戦略を取るべきか、あるいは中国リスクが発生した際にどういうしわ寄せがきて、それを回避できるか、対策を練る際の“指針”となるはずです。

 そして、もし機会があれば、書を読むだけでなく、戦争を体験した当事者のお年寄りと直接お話してみてください。同じ戦争体験者でも大人として最前線にいた人、子供のときに空襲や被爆に遭った人とでは、目線も違うのでそれぞれ発見があるものです。特に終戦当時、二十歳前後で最前線に行った方々の肉声を直接自分でお聞きできるのは、この「戦後70年」が極めて貴重な機会です。
(東大・慶応大教授、文部科学大臣補佐官)