脱こじらせへの道 第20回特別編 根っからセックスが嫌い

イケナイ関係などの秘密のシチュエーションが人気なのも、日本の文化によるところかも。そんなニーズにあわせて”いけない欲望” 配信中です。
 こじらせからの脱却を図るべくスタートしたこのコラムも今回で20回目となりました。
 こじらせを考えるのに、このコラムでは女性の性欲・セックス観というところを中心にして、アンケートを参考に話を進めてきたのですが、これまでに気づいたことや取りこぼしてきたことを振り返ってみようと思います。

 まず私自身のことを最初に言いますと、このコラムをやることで、こじらせから少しずつ脱却してきた気がします。
 やっていくなかで、脱却するにはこういうことに気をつけていけばいいのではないかと感じました。

 1.頭でっかちに「こうあるべき」と考えていると、理想と現実のギャップがうまらず、こじれを招く。
 2.自身の性欲を認められないと、これも同様にギャップが生じこじれを招く。
 3.女性の社会進出に伴い、選択の自由・権利と責任が増えていることを自覚できないままでいると、世間や体制との溝が深まり、男女間のこじれを招く。

 共通しているのは、自己を客観視できているかどうかということ。
 つまり、自分の現実を直視できているかどうかということ。
 客観視できないまま進み続けることがこじらせなのではないかということが言えるかと思います。

 例えば、どんなに顔がかわいくても、似合わない服を着ていれば残念なこともありますよね。
 それに対して、美人ではなくても全体的にかわいいイメージを与える女性も。
 客観視できていれば「こうあるべき」と考えるまでもなく、自分に必要なものが何かがおのずと分かるはずです。
 もちろん、着たい服を着る、やりたいことをやるということが大切な局面もありますけどね。

 と、こういったことが自分の中で見えてきました。
 あくまで私の場合ですが、当てはまる方も決して少なくないのではないでしょうか。


 このコラムでは私の職業の特性上もあって、女性の性欲ありきで考えることが多かったですよね。それも「女性にも性欲がある」ということを前提としていました。
 いわば「性欲肯定派」で話を進めてきたんですが、このコラムをやっていくなかで、そういう人たちばかりではないということも分かってきました。

 実は私の友人が、私のコラムを読んで
「私はセックスするよりも添い寝するくらいでちょうどいい」
「セックスは気持ち悪い」
 というふうに思っていることを教えてくれました。

 それまでは、女性にももちろん性欲があるはず、そういうことを言っている人は恥ずかしいか、性欲に気づいていないだけと思っていました。
 でも、話を聞いてみるとどうもそういうわけではなさそうです。

 たとえば「しなくてもいい」と思う人はいるかもしれない。必要性がないというだけで、必要とするときが来たらするかもしれない。
 でも「気持ち悪い」というのはどういうことなんだろう?
 必要・不必要に関わらず、嫌悪という感情がそこにはあるんですよね。


 友人というのは、似たもの同士が集まりがちです。私もあけすけに言うタイプなので、周りもそう言う人が多かった。「セックスが好き」とか「性欲がある」とかちゃんと言える人ですね。この業界の子ではないのに、オナニーの話だってできます。


 私はそういう人同士で集まるものだと思っていたんです。
 私的には「セックスが気持ち悪い」という人も「セックスが大好き」な人とも普通に友達でいられるということはちょっと不思議でしたが、そうでもないんですね。

 まあ、男性同士で下ネタで盛り上がっていても、いざみんなで「ソープに行くぞ!」という場面になると「いや、俺はいいわ…」という人はいるらしいので、聞いている分にはいいけど自分のことを語るのは嫌ということなのかもしれません。

 話だけならいいのか、自分に関わるものは話だけでもダメなのかとかハードルは人それぞれあるとは思います。


 そこでまた疑問として浮かぶのが「セックスが嫌い」「性欲がない」というのはどういうことが原因なんだろうかということです。

「たまたまいいセックスをしていない」
「初体験がうまくいかなかった」というのは分からないでもないのですが、
「根っから」という人もいるようです。
 どうも私の友人は、その「根っから」なのではないかと思っています。

「汚い」とか「不潔」とか、潔癖な人が嫌悪するという場合もあるかもしれません。
 でも、性の嫌悪と潔癖というのはちょっと違う気もします。
 そしてこれは、男女ともにあるようです。

 そして「根っからセックスが嫌い」というのは「こじらせ」とも違う気はします。

 嫌いな理由を「ミソジニー」みたいな意識高い系の言葉を使って説明しようとするとか紐付けようとするのはこじらせているかもしれませんが、この話を掘るのは今はやめときましょう。


 ただ昔に比べて格段に性は解放されてきているはずなのに、嫌いな人が増えるというのは不思議な気がします。

 ちょっと飛躍した考えかもしれませんが、それに関しては「空気を読む」という日本独特の、というか最近の風潮が影響しているのではないかとも感じます。
 
 例えば、このコラムの打ち合わせなんかは担当編集さんと社内でやっているのでなんとも思わないんですが、喫茶店でやっていたら怒られそうな話をよくします。
「教育に悪い!」とか言われるやつですね。

 もともと日本って公共の場でセックスの話をするのは美徳ではない世の中ですよね。
 その空気を読んでしまうと、あまりセックスの話はしないほうがいいということになって、そのうちに興味の対象から外れてしまう。
 語らないほうがいいから語らない。嫌われたくないから語らない。

 これって「こうしたい」ではなく「こうあるべき」「こうしなきゃ」「こうしないと嫌われる」という、こじらせのメカニズムと似ているような気がするんですが、どうなんでしょう。

 空気を読むことに一生懸命になって、自由な発想ができなくなっている?
 そういった文化で子供のころから育っていると、そもそも「こうしたい」と考える訓練ができていないので、「こうしたい」を見つけられないのではないでしょうか。
 もしかしたら、「こうしたい」を見つけてはいけないとすら思っているのかも。
「セックスの話題は苦手」というポジションでいたほうが正しいと思ってしまうのかもしれません。

 とは言え、これだけでは私の友人の例は説明しきれていません。
 これからは、「女性の性欲」とともに「性への嫌悪」というところも考えていきたいなと思います。
田口桃子(たぐち・ももこ)
GIRL'S CHプロデューサー。2007年、新卒でソフト・オン・デマンド(株)に入社。
営業、マーケティング等の部署を経て、2012年よりGIRL'S CHの立ち上げに携わる。
以来現在まで、GIRL'S CHの現場リーダーとしてサイト運営をしつつ、オリジナル動画ではレポーター出演等をすることも。

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