根木慎志 × 伊藤達也 “社会が変わるってどういうこと?”ということを考えればワクワクするはず

【TEAM2020 × CHALLENGED SPORTS】

2000年のシドニーパラリンピックで、男子車椅子バスケットボール日本代表に選ばれ、キャプテンを務めた根木慎志さんと、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長代理に就任した伊藤達也衆議院議員に2020年に向けて我々がやらなければいけないこと、できることをうかがった。(聞き手・一木広治)

根木慎志氏(撮影・蔦野裕)

“社会が変わるってどういうこと?”ということを考えればワクワクするはず

 リオオリンピック・パラリンピックを終えての感想を聞かせてください。

根木「オリンピックの開催約1カ月前に一度行っているんですが、オリパラムードがゼロだったんです(笑)。むしろ東京のほうが盛り上がっていた。でも開幕後はとにかくみんなが盛り上がっていた。一番の要因は、ボランティアを含めてブラジルのみんながこの大会を自分のことのように楽しんでいるということ。大会を成功させるにはこれが最も大切なことなんだな、と思いました」

伊藤「リオでは、みんなでパラリンピックを楽しんで、みんなで応援しようという雰囲気が満ち溢れていた。これは行ってみないと分からなかったと思います。これが世界的なスポーツの祭典なんだなって実感しました。車椅子バスケ会場はものすごい盛り上がりでした。応援していて気づいたんですが、障がいの重い人がどれだけ活躍するかということで勝負が決まるんですね。こうしたパラリンピック競技特有のルールの工夫が試合を面白くしていると感じました」

 多くのメディアにもパラリンピアンが多く出てくるようになった。社会の変化を実感することは?

根木「以前からパラリンピックを経験している人はパラリンピックが開催されることによって、その国がどう変化していくかといったことを目の当たりにしています。 “日本でも開催されればいいな”とみんな思っていました。でもまさか、日本が招致にエントリーするとは思ってもいなかった。 “こんなふうになったらいいな。こうなりたいな” と思って活動していたんですが、現在の盛り上がりを見て“こんな時代が本当に来たんだな”というのが実際のところです。だからこそ、これからいろいろなことを自分たちがしっかり伝えていかないといけない」

伊藤「私は政治家になってから、パラリンピックや障がい者スポーツとの関わりが十分になかったんです。そこで、日本パラリンピックの父といわれる中村裕先生の作った社会福祉法人太陽の家(大分県別府市)を訪ねました。1964年に中村先生がどういう思いで東京にパラリンピック大会を招致したのか。そして障がい者スポーツの道を切り拓くにあたってどんなご苦労をされてこられたかがよく分かりました。先人の熱い思いが今日につながっている。その道を大きく広げていかなければならないと非常に感じています」

 障がい者スポーツをより普及させるために必要なことは?

根木「僕の体験型授業では “出会った人と友達になる”ということを伝えています。オリンピック憲章の一番最初に書いてあるのは〈スポーツを通じての世界平和〉ですよね。世界平和のためのキーワードって“友達”だと思ったんです。友達ってお互いの違いを認めることが最も大切なことだと思っていて、障がいというのもひとつの違いじゃないですか。重度の障がいの方も軽度の方も、車椅子バスケではルールやクラス分けによって、一緒にみんなが楽しみながら公平性をもって戦える。スポーツって本当に素晴らしいなということを感じたので、それを通じて、子供たちに違いを認めるということを伝えていきたいなと思っています」

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