会社の存続を揺るがす大ピンチも 「あの苦境があって良かった」 株式会社イースマイル 代表取締役 仲村淳

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 つけて歩くだけで正しい姿勢をサポートし、運動効率をアップさせるという「大山式ボディメイクパッド」がトリプルミリオンヒット。外食産業から健康・美容に特化した小売業、メーカーに転身し、大成功を収めた仲村淳さんが、大ヒット商品誕生秘話を語る。さらに、もうダメだと覚悟した究極のピンチとは? また、その状況をどのようにして切り抜けたのか。ヒット商品に隠された秘密も教えてくれた。

仲村淳(なかむら じゅん)昭和41年12月11日生まれ。50歳。日本大学経済学部卒業。趣味はゴルフ、旅行、美味しいお店を見つけること。お気に入りの美味しいお店は、自由ケ丘、スンドゥブ「コチュ」。

「最初に就職したのはゼンショーホールディングス、すき家です。当時はまだ30店舗ぐらいしかありませんでしたが、そこで6年ほど働いていました」と仲村さん。

「もともと40歳ぐらいになったら、飲食店をやりたいなと思っていて、それでゼンショーホールディングスに入ったんです。ゼンショーでは比較的数字の高い店舗を任されていて自信があったんですよね。そうしたら27歳の時に、たまたま六本木の俳優座の隣のバーが居抜きで200万円という話があって。そんないい条件で店を出せるチャンスはないと思ったので、思い切って会社を辞めて、そこでバーを始めました。しかし同じ坪効率で計算しても牛丼を販売していたほうが売り上げはよかったんですよ。「やっぱり牛丼は売れるんだと」実感しました。それでも店を増やしたくて6年ぐらいやりました。オーナーが持っていたほかの店も私が見るようになり、3店舗を運営して売上が上がりだしました。ところが、数字が良くなった瞬間オーナーが自分がやると(笑)。うまくいき出したら、お疲れ様!です。ショックでしたね。その頃、通販に魅力を感じていたところだったので、飲食店はもうやめようと。それで友人を代表に、僕が専務という形で会社を立ち上げたんです。それが1998年、33歳の時でした。通販でも年商5億くらいの企業にすることができましたが、友人とやるとやっぱりうまくいかなくて。意見が対立、結局独立して2004年に現在の会社、イースマイルを立ち上げました。立ち上げた時は3人。社長の僕とデザイナーが2人。ですから、仕入れから営業まで全部自分でやりましたよ。当時は楽天で、サプリメントや化粧品が驚くほど売れていた時代でした。しかし、だんだんと楽天の広告表記の部分が厳しくなっていって、今から5年ほど前に、突然インターネットに商品を卸していた問屋が3社いっぺんに倒産してしまったのです。その問屋にはうちの商品も収めてあったし、その問屋に卸すための商品も半年分ぐらい計画されていて、それが一気に止まってしまいました。会社を運営していてその時が一番の試練だと思います。東日本大震災の後だったので、震災の影響もリーマンショックの影響もなかったけど、物があるのに売れないという状況は本当にどん底でした。完全にお先真っ暗で、子どもの寝顔を見ながら泣くのをこらえ「お父さんの会社はつぶれてしまうかもしれない」と3日ぐらい悩んでいました。その時ふと、「もうインターネット用の商品を作るのではなく、店頭用の商品を作るタイミングなのではないか? ショックを感じるより、これはチャンスなんだ!」と思い直せたのです。社員みんなととにかく、外に出していく商品を作るべきだという話をして。そこからガラッと人生が変わったのです。

 ちょうどその頃、大山式を開発。

「もともと足の商品は売れる手ごたえがあったんです。そこでサンプルを作り、主婦の友社の方に渡したら、それを使った編集長の前田さんが半年で20㎏痩せたんです。そこで大山式をムック本で売りたいということになり、本は主婦の友社さんの流通ルートの本屋さんで、うちはドラッグストアやバラエティーショップで流通しますということで発売しました。1カ月で3000個ぐらい売れたらいいかなと思っていたら、いきなり5万個売れて、うれしい悲鳴でしたね。ムック本は1カ月先行でしたが、それがかなり売れていたので、その相乗効果もあり、商品も売れていった感じです。前田編集長もそうですが、大阪大学名誉教授の大山先生との出会いも大きかった。足の指に詳しい先生がいるということで、紹介してもらったんですけど、そういう人とのつながりで、劇的に状況が変わりました。発売して今年で3年半になるのですが、累計で300万個突破して、今後は本格的に海外でも売ろうと思っています」

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