最短最速で頂点を取り続ける男 泉忠司

大学教員、作家、経営者、投資家、プロデューサー、コンサルタント、俳優、歌手、セミナー講師など。どれかひとつでもなる事が難しいと思われるこれらの職業を軽々とやってのける泉忠司氏。どんなに恵まれた境遇かと思えば、高校時代は偏差値30という落ちこぼれ。そんな彼が次々と目標に到達し、ビリオネアになるまで。
撮影・神谷渚
偏差値30から半年で全国1位

「高校2年までは学校に行ってないような不良でした。ワケ? 好きになった女の子がスケバンだったから(笑)。でも別れちゃったので、高校2年の秋ぐらいから学校に行くようになったんです。それまでは偏差値が全教科30。クラス48人中47番が僕の定位置でした。ちなみに48番は彼女(笑)。それで学校に行き出したんですけど、家が究極的に貧乏だったんですね。原因は親父の借金。そのせいで1日中働きづめの母親を、父親と円満に離婚させないとダメだと。そのためには自分が弁護士になればいいと思ったんです。だったら、弁護士をたくさん輩出している東大とか京大しかない。しかし、入学金や授業料が払えない。だったら日本一になって東大か京大に入り、授業料を免除してもらえばいいんじゃないかと考えたわけです。そこから勉強を始めて3カ月ぐらい勉強したら、そこそこできるようになった。それで今度は目標を設定し、もう3カ月間勉強を続けたら、半年後の模試で全国1位になったわけです。その経歴や勉強法が、ドラマにもなった大ヒットマンガ『ドラゴン桜』と同じだという事で『ドラゴン桜』のモデルだと言われましたが、それは違います。だって『ドラゴン桜』とか読んだこともなかったですもん(笑)。だからモデルじゃなくて実在したドラゴン桜で“リアルドラゴン桜”なんですね。その後、朝日ウィークリーで連載していたコラムに非常に感銘を受け、それを書いていらした横浜市立大学の小野寺健先生の弟子になることを決意しました。もちろん、東大にも余裕で行ける偏差値でしたが、自分にとって小野寺先生のいない東大より、いる横浜市大だったんです。いろいろな人から、すごく不思議がられますけど、僕は自分の価値観に従っているだけ。で、横浜市大に入学し、先生と同じイギリス文学を専攻しました。その後も先生を追って、日大の大学院のドクターコースに進みました。その後イギリスのケンブリッジ大学に留学。それで28歳で帰国し、大学の先生になったんです」


導かれるようにさまざまな職業に

「2000年3月に大学院の博士課程を終えて、そのまま4月から念願の大学の先生になりました。ただ当時から、生徒が減少するのは分かっていましたし、それ1本で生計を立てて行くというのはリスクが大きいなと思っていました。そこで始めたのが本を書くこと。6冊目に出した『歌って覚える英文法完全制覇』が20万部の大ヒットになり、大学受験向けの参考書を毎月書くようになったんです。印税でそれなりのお金は稼ぐようになっていましたが、そういう柱をもっと増やしたいと思っていたところに、学会で僕の研究発表を見た人から“俳優にならないか”と声をかけられた。なんでもその時プロデュースしていた作品のイメージが僕にぴったりだったとか。ちょうどその少し前に“福山雅治事件”というのがあり、その話をお受けすることにしたんです。生徒が、僕が授業で話したイギリスの話を、福山さんもラジオで話していたので僕の話は本当だと。僕はケンブリッジに留学までしているイギリス文学・文化の専門家なのにですよ。だから僕は、自分が福山さんのように影響力を持つ人間にならなきゃいけないと思い俳優のお誘いを、お受けしました。そこで俳優の他、脚本や演出もやっていた時、僕のプロデュースした舞台を見に来てくださった方が、小説を書くように勧めてくれたんです。ずっと小説を書きたいと思っていたので、これは乗るしかないと思い二つ返事で書くことに決めました。で、その時に思ったのが、1冊目が売れないと2冊目はないなということ。ですから、自分なりに売れる仕掛けをいろいろ考えた。作品の中や本になった後のマーケティングの部分にも仕掛けを考えました。するとそれが功を奏して、『クロスロード』という最初の小説が、結果的にシリーズ累計100万部を超える大ベストセラーになったわけです」
撮影・神谷渚
マルチではなくボーダレス

「小説が爆発的にヒットして、どうやって『クロスロード』をミリオンセラーにしたかということを講演会などで話すようになりました。するといろいろな会社から頼まれる形で企業のコンサルタントのような事もやるようになったんです。その中で経営者だけではなく、現場の人間にこういうことを教えてあげると会社全体の収益もあがるんじゃないかなと思い始めるようになりました。で、個人向けのお金を稼ぐためのセミナーなどに行ってみて、こういうコンテンツを世の中の人は求めているんだというのが分かり、だったら自分でやろうと。それで社会人に対してお金の稼ぎ方のセミナーを始めたんです。他にも同じような事をしている人がいましたが大半はセミナーでお金を稼いでいる。でもそれは正しくないと思ったんです。だから僕は、実際に彼らがやろうとしていることを自分自身がやって稼いで、そのやり方を教えていくべきだなって。だから次々といろいろなものに取り組んでいるんです。よく“マルチ”と言われますが、僕自身は“ボーダレス”だと思っています」


職業は泉忠司

「“手掛ける分野全てで最短最速で頂点を取る”というのが僕の代名詞になっていますが、確かにどんなビジネスをやっても実績の面で世界記録を作っているんですね。不動産にしてもインターネットビジネスにしても、何にしても。最近だとビットコインですね。これも今ブームですが、海外の新聞では“King of Coin”と言われている。ほかにも国内外でビジネスを展開しています。もともと受講生に教えるために自分が成果を出そうとチャレンジしたことがすべて成功しているので、僕を慕って生徒が集まる。そして実際に教えたら生徒たちもどんどん成果を出すので、さらにもっと学びたいと集まってくる。それが広がり、今はカリスマとか言われていますが、僕的には自分の活動をやっているだけ。だから職業を聞かれたら、“職業は泉忠司です”と言うしかない。今度『ビリオネアテンプレート』という本も出しますが、僕には“成功のテンプレート”と呼んでいる確立した方法論があるので、逆にいろいろな事をやっている気がしない。だってそのテンプレートを通せばいいんですから。通す素材が違うだけで、やることは同じなんです」


最終的なゴールは神になること

「ビジネスは成功していますし、僕を慕ってくれる受講生・生徒さんたちもたくさんいる。お金もすごく持っていて欲しいものはなんでも買えますが、最終的なゴールは神になることです。“ビリオネアテンプレート”を持ってますから、新しいことを何か始めたとして、うまくいかない訳がないんですよ。となると、自分はもういいんです。次は子どもとか孫の時代ですよね。ざっくり言うと、もっといい日本、もっといい世界、もっといい地球にして次の世代にパスする義務が上の世代には絶対にある。そのために今自分にできる事は何でもやろうと思っていますが、死んだあとは何もできない。そう思ったら死んだ後も後世の人たちの役に立てることは神様になることじゃないかと思ったんですよ。例えば神社に祀られている吉田松陰や織田信長、徳川家康、菅原道眞などは実在の人物ですよね。その人たちに後世の人がある意味神頼みでお参りする。それが何かの支えになって人生がうまくいくことだってあると思うんです。そう考えると、後の世代に自分が役に立てることは神になる事じゃないかって。だから僕は神になるんです。全員じゃなくてもいい。死んだ後に、1人でも2人でも幸せにできれば。こんなうれしい事はないと思いませんか?」
泉忠司公式LINE@ ID:@izumitadashi