【徳井健太の菩薩目線】第17回 AIは「ぶっ壊した方がいい」

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第17回目は、あらゆるものがAI化する時代について、独自の梵鐘を鳴らす――。

AIは「ぶっ壊した方がいい」

抗うには、できるだけ冠婚葬祭に行くしかない

 前回のコラム「重機の教習所で感じた社会の闇」 で伝えたように、重機を扱う人の中には、恐ろしい人間もいる。ただ、どうやら平成の次の時代では、勝手が違うみたいなんだ。

 教習所で、「ブルドーザーのAI化が進んでいる」という話を聞いた。単純な動きを繰り返す重機は、近い将来、完全にAI化するらしい。たしかに、ルンバのようにオートマティックに作業をする重機があった方が便利なようにも思う。でも、俺はAIには反対なんだよね。むしろ、AIは「ぶっ壊した方がいい」と思うの。ヒト型も、ドローンも、AI搭載家電も、全部。

 AIによって職を失う人もいる。本来、AIが健全かつ平等な未来とやらを約束してくれるんだったら、その人たちの再雇用先も、AIの技術によって、今、俺たちの目の前に提示されているはずだよね。それが担保されていないなら、俺はAIを信用できない。結局、AIに職を奪われた人間たちは、AIをぶっ壊すことになると思うんだ。だったら、今のうちに「ぶっ壊した方がいい」って思うの。無駄な争いは、見たくないからね。

 AIって、豊かな時代だからこそ成立する技術だと思う。それこそ、戦後の日本が高度経済成長の最中、自動車や家電が次々と生まれて、皆が「俺たちの暮らしは便利になるんだ」って思ったように。だから、希望を抱けるような環境が、ここ日本にも広がっていれば、百歩譲れる。俺の子どもは、「YouTuberになりたい」って話すけど、実際のところ、YouTuberが何なのか分かっていない。やっぱり、プロ野球選手やサッカー選手とは、夢に対する質感がどこか違う。公務員になりたい子どもが多いのも納得だよ。

 ごく限られた人間だけが希望を抱け、大半の人が膝を抱えている今の時代に、AIを持ち出されても、本当にあるべき正しい方向に行くのかなぁ。AIを使うのは、所詮、人間。その人間に希望がなければ――。変に淡い期待や、必要のない焦燥感を生み出すものでしかないなら、「ぶっ壊した方がいい」。

 もちろん、医療をはじめ人を助ける世界においては、AIが学習をすることでプラスになることの方が多いと思う。反面、データを集積して、限りなく100%勝つことができる世界がいたるところに広がる……例えば、俺たちのお笑いの世界がそうなったら、どうなるだろう。100%ウケるネタばかりがあふれたら、これほどつまらないものはない。つまらないものがあるから、面白いものが輝く。春の暖かさに歓喜できるのは、冷たい冬の厳しさがあることを忘れちゃいけない。

俺たちは食べログの点数ですら逆らえないカラダにされてしまった

 限りなく正解であると信じられているものが横行するわけだから、それを否定するのは難しくなる。実際、食べログの点数を無視することはできない人は多い。AIやビッグデータが作り出した総合的な数字は、人間の考える力を上書きしてしまうほどの説得力を持っている。俺は、点数3.0を下回るお店には入店できないカラダにさせられてしまった。AIは、スクラップアンドビルドのスクラップをさせなくなるする力を持っている。

 先の食べログの点数で言えば、意図的に2.5~3.0のお店に足を運ばなければ、AI至上の世の中をぶっ壊すことはできないってこと。少なくても、最も狭小だろう自分の価値観という世の中の範囲ですら。わざわざ点数の低い、ややもすれば低レベルかもしれないお店に、あなたは行けますか? って。たとえ話だけど、これができるかどうかが、これからのAI時代をスクラップする数少ない方法。コントロールされないために、意図的に好きでもないのにチャレンジするって、俺からすれば一番狂っているよ。

 ただ、時代の流れとして、避けて通れないのかもしれないね。新宿や渋谷を歩くと、女子大生と思しき若い女の子の服装は、4分の3が似たようなコーディネート。オシャレと言われている男の服装も、タートルネックにロングコート、9分丈のパンツに白いソックス。大して本なんか読まない奴らが、思い出したようにたまに購入する本は、話題になっている新刊ばかり。AIの受け入れ態勢が、ほぼほぼできあがっている。AIが、そんな状況を見逃すわけがない。

 AIに乗っ取られないために必要なことは、最大公約数を理解し、そこから距離を置ける癖をつけることじゃないかな。そして、人間的な感情があふれ出る冠婚葬祭に、たくさん出席するくらいしかない。葬式をリアルタイムでストリーミング放送する時代もやってくる。Macから声明(しょうみょう)を流す、高僧Vtuberが現れる時代になるかもしれない。今のうちに、生身の冠婚葬祭に触れることこそ、来るべきAI時代の予防だと、俺は確信している。親族が少ない人は、祭事や伝統芸能に触れる機会を持ってほしい。

 AIにコントロールされないためにも、大量生産みたいな日常を、少しでも「ぶっ壊した方がいい」と、俺は思う。

※徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です

◆プロフィール……とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。