青木真也「この試合は僕の物語の一つでしかない」

「ONE Championship」初の日本大会「ONE:A NEW ERA −新時代−」3月31日に開催

 全ての格闘技を網羅する世界最大の格闘技団体「ONE Championship」が初の日本大会「ONE:A NEW ERA -新時代-」を開催する。メーンを務めるのは日本のメジャー団体でも活躍した青木真也。現在、総合格闘技はもちろん、プロレス、さまざまな媒体での執筆活動、そしてabemaTVといった映像メディアへの出演などで幅広く活躍中の青木に今回のONE日本大会、そして2月22日に出版された新著『ストロング本能』について聞いた。
青木真也(撮影・辰根東醐)/撮影協力 TRIBE TOKYO M.M.A
 日本のメジャーイベントが行き詰まり、多くの選手がUFCに目を向け始めた時、青木はシンガポールを拠点としアジアで精力的にイベントを行っていたONEに2013年から戦いの場を移した。そんなこともあって総合格闘技の試合を日本でするのは2015年の年末の桜庭和志戦以来、3年3カ月ぶりとなる。そこに何か特別な思いはあるのだろうか。

「特にはないです。“日本でやることが特別だ”と言ったら海外でやっていることが嘘にならないですか? だって取り組み方が変わるということじゃないですか。そうなると僕は嘘だと思うから、特に変わらないですよね」

 2月にDDTとマッスルのリングに上がった。タイトル戦の1カ月半前にプロレスのリングに上がるというのは他の総合格闘家ではなかなか考えられないこと。これはプロレスも自分の中で大事にしている「やるべきこと」だったから?

「好きだからやっているだけ。やるべきというより、好きだから」

 プロレスをやることで格闘技にフィードバックされることは?

「それは次元が1個上の話になりますよね。僕は基本的に格闘技もプロレスも一緒だと思ってやっているので、1カ月半前だからどうという考え方はないです。そもそもみんな、格闘技とプロレスを別物だと思っているじゃないですか。だって、ケーフェイがあるから真剣勝負じゃないのか、ケーフェイがないから真剣勝負なのか。それって、バカとは言わないけど、すごいレベルの低い話だと思っているんです。結局、僕からすれば今の格闘技の選手がやっているのは真剣勝負ごっこ。MMAの中にも真剣勝負はあるし、プロレスの中にも真剣勝負はある。基本的に同じものだと思っているので、役立つも何も“同じでしょ”ということです。格闘技の選手がプロレスをバカにするし、プロレスの選手が格闘技をバカにする。それってすごい意味のないことですよね」

 プロレスは昔から好きだった?

「はい、好きです。やれるものならずっとやりたかった。僕は今35歳になっちゃったんですけど、自分の残された時間の中で、どれだけ動けるか、どれだけやれるかという気持ちしか僕の中にはない。だから焦っている部分はあるかもしれない。どこまで動けるか分からないから。自分の可能性の伸びしろは全部やりきって終わりたいとは思っているので、それをやり切れずに終わってしまう恐怖は漠然とはありますよね。だから“やり切った”と納得して終わりたい」

 納得する時ってあるのだろうか。“もっともっと”といろいろとやりたいことが出てきそう。

「でもやり切ったと思ったら、さっさと辞めたいです(笑)」

 ツイッターなどで青木選手がいろいろなことを発信し出したのはプロレスを本格的に始めた時期から多くなったイメージなのだが。

「DREAMの時は言いたいことを言えなかったからあの頃のインタビューって全く意味がないんです。僕が喋っても僕の言葉は全く出ない。喋る意味、インタビューをする意味なんてないと思っていた。だから、僕の発言に制限をかけるものがなくなって、言いたいことを言えるようになったんじゃないですかね」

 新著の『ストロング本能』に書いてあることは、もともと自分の中で思っていたことが年を取る、経験を重ねることでだんだん形になってきたという感じ?

「整理できた感はありますよね」

 SNS上で活発に意見を交わしている人たちとの会話やプロレスをやることでどんどん整理が進んだところもある?

「どうなのかな~。まあ格闘技だけやっていても格闘技は強くならないですからね」

 練習だけしていても、ということ?

「はい。格闘技だけやっていてもただのアスリートで何の価値もないと思っているので。格闘技だけやっていたら、やっぱり強くならないなって思う心からじゃないですかね」

 今言う強さというのはリング上の勝ち負けの強さ以外のものも含めた、プロとしていくら稼げるかとか知名度とかも含めて?

「人間力みたいなものですかね、分かりやすく言うと」

 それに関しては昔から気が付いていた?

「僕は“平等”というのが嫌い。平等じゃないことのほうが多いじゃないですか。判定だって何かの力が及ぶことはよくある。サッカーでも野球でも格闘技でもボクシングでも。だから別に平等であってほしいと思ったことがないんですよ。最終的に勝った奴が強いでしょ、と僕は思っている」

 そう思うきっかけがあった? それとも試合を重ねていく中で?

「子供のころから思っていました。ジャッジって人がやるものだし、絶対に好かれているほうが勝つ。だから僕は“判定がおかしい”って言っている奴はバカだなと思っちゃうし“ホームタウンディシジョンだろう”って怒っている奴とかを見ると、“じゃあやんなきゃいいだろう”って思っちゃう。日本のボクシングって、海外に行ってタイトルマッチやります? ほとんど日本に連れてくるじゃないですか。連れてくるということは勝たせるためでしょ。その時点で平等じゃない。それで判定がおかしいとか言ってる奴ってバカなんじゃないの、としか思えないんですよね」

 日本の格闘技界の選手とSNS上で意見をぶつけ合うこともしばしば。

「それなんかも結局、僕から言わせると“僕はこう思う”でいいじゃないですか」

 以前、「このケンカがリングにつながればいい」といったことを言っていた。それをプロレス的な考え方というと語弊があるかもしれないが、格闘技界の中ではそういった考えは理解しにくいのでは?

「その競技しかやってない人たちですからね。僕から言わせると全員アマチュアなんです。本当に話にならないから、僕、格闘技の選手と喋るの嫌いなんですよね(笑)。だって1ミリも役に立たないし話が合わないんです」

 それは最近? 昔から?

「昔から。もめたんだったら、それをリング上に持ち込めば仕事になるのに。例えばリング上でもめて口論になるじゃないですか。それって仕事だからやっているので、バックステージに入ったら別に“ハロー”でいいじゃないですか。それなのにバックステージに入っても“さっきのってなんだよ?”って言われると“いや、仕事にならないからやめてくれない”って感じになっちゃうんですよね(笑)」

 そこが際立ってきたのがプロレス始めてからなのかなと思うんですが。

「そうですね。これでいいんだなって確信が持てたのかもしれないですね。でも最近のプロレスも変わってきている部分があるじゃないですか。みんな仲がいいし。それは僕がやりたいプロレスじゃないんですよね」

 一番好きだったりやりたいと思うのはどの時期のどの団体のようなプロレス?

「90年代前半の新日本プロレス。猪木さんがあまりタッチしなくなってきて、長州さんが現場監督をやっていた時ですね。PRIDEに行くとか行かないっていっていた時期。その中でも僕が影響を受けたのはケンドー・カシン、金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一といったジュニアの闘い。僕にとって強さの象徴って、藤田和之でありカシンでしたから。だから、なんだろうな。今の格闘技の選手に金を払おうとは思わないんですよね。なんかただ格闘技が得意な人としか僕には思えない」
1 2 3>>>