≪ 2009年04月 | Home | 2009年06月 ≫

2009年05月25日

 

第62回 千代田区日比谷~有楽町ガード下

約26年前、吉川晃司が始まった場所

 日比谷公園から帝国ホテル側に横断歩道を渡り、吉川が足を止めたのは、ある地図の前。帝国ホテルの入り口脇にあったそれはこの界隈の江戸時代のマップだった。その中に吉川家の古い親戚筋の屋敷を見つけ、さらにテンションがあがる。

「ウチとは家紋が違うけど、吉川家は毛利に乗っ取られたりしたからかな。しかしどの屋敷もビックリするくらい広くて、これじゃ泥棒に入られても分かんないよ。古い地図って見てると本当に楽しくて、俺も何枚か昔のを持ってるけど、例えば赤穂浪士の仇討ちのとき、四十七士が吉良邸から今の六本木の毛利庭園に行って首を洗って、泉岳寺まで行った道が分かったりするんだよ」。そんな時代に思いをはせるのもまた、男のロマンだったりするのだろう。

 帝国ホテルの脇を進むと有楽町のガード下の飲食店街にさしかかる。昔ながらのこの風景は吉川の好むところだが、中でもひときわ「ここ、どこ?」という風情を醸しているのが、JRのガードの真下にある『インターナショナルアーケード』。今となっては数軒しか営業していないが、営業中の店舗はかなり興味深い。例えば『モーニングラーメン』という看板を掲げたラーメン屋『珍満』。「夜通し遊んで、朝に小腹が空いてラーメン食べたいという気持ちも分からなくはないけど、発想がすごい(笑)」。あやしさ満点のアーケードを抜け、左に折れると、まっすぐに伸びた路地がある。「ここはよく撮影とかで使ってるよ。雑誌のグラビアとか、ドラマや映画で犯人を追いかけるシーンとか。俺がデビュー前に一番最初の雑誌の記事で写真撮られたのもこの路地。この表にライブハウスがあって、そこで最初のオーディションを受けたんだよね」。つまりここ有楽町界隈は、吉川にとっても思い出深い場所だったのだ。今から約26~27年前、吉川が16~17歳のころだ。

「最初に所属した渡辺プロダクションには俺から手紙を書いたんだけど、東京でオーディションするからって呼ばれて、ここのライブハウスで歌ったんだよね。この話、前もしたけど、本当はマライアの曲をやるつもりで、本人たちが演奏したカラオケを持参したのに、“もちいと万民に分かる歌にしろ”って言われて、提示された中から選んだのがサザンの『匂艶 THE NIGHT CLUB』。今思えば俺に合った曲調だったのかもしれないけど、それで受かって、だんだん大きいオーディションに移行して、一番最後が、東京体育館の近くにある大きいホールだった。若いモニターさんたちを会場に入れて、どいつがいいか判断させる?みたいな感じだったのかな。当時俺に入れてくれた人が、今でもファンクラブに残ってくれてたりする。まあ、辞めるに辞められなくなっちゃったのかもしれないが(笑)。広島の高校生にしたら、東京にタダで行かせてもらえて、飛行機も乗っけてもらって、やったーって感じだったよね。泊まりは東京駅のステーションホテル。建物は古かったけど、その古さが格好良くて、赤い絨毯が敷いてあって、すごいなぁって思ったね」。当時は『メイツ』という名前だったそのライブハウスは、『ケネディハウス』という名前に代わり、今もコリドー街で営業している。

 銀座に向かい、大通りを渡ると、古い建物好きの吉川は、旧電通ビルに感嘆し、『バーニーズNY』の正面入り口や、昔の銀座を忍ばせる『銀座ライオン』にも熱い視線を送っていた。そして吉川の話は、北方謙三氏と年に1度訪れるという、銀座の老舗バー巡りへと続いていった。

(つづく)


※写真をクリックすると拡大画像が見られます。拡大写真の右側にマウスを重ねると「NEXT」ボタンが現れ、次の写真を見ることができます。

江戸時代マップを見ながら「敷地が広いねぇ…」 吉川が初めて撮影を行った有楽町の路地 銀座の路地裏にも、こんな露天があったりして

2009年05月11日

 

第61回 千代田区日比谷公園散策

アスレチックでは雲梯をやろう!

 日比谷野音の裏側にあるフリースペースでは、ランチの後にくつろぐビジネスマンがおしゃべりに花をさかせていた。そこにウオーキングスタイルで現れた吉川。野音の思い出を聞きながら、都心のオアシス・日比谷公園探索に向かった。

「デビュー当時、最初に野音でライブをやったのは、中川勝彦さんと、PJと一緒だったかな。尾崎(豊)もエントリーされてたんだけど骨折したかなんかで出られなかった…確かそんな記憶があるけど、尾崎も中川さんも逝っちったからなあ…。あとは本田恭章とやったり、アンさん(アン・ルイス)がやってた“6月9日はロックの日”っていうイベントにも出てたし、結構やってるね。都心で大きい音が出せる野外ってここぐらいで、音は決していいとは言えないけど、やっぱり開放感があって気持ちいいよね。屋台の出店もできるから、一度ウチもライブのときに店出したことがあるよ。グリーンカレーと、普通のお母さんカレーのレシピを俺が書いて、スタッフに作ってもらったんだけど、結構盛況だったよ」

 懇意にしていた筑紫哲也氏の『ニュース23』に出演した際、筑紫さんをひとり客席に座らせ、ステージでひとりアコギをかき鳴らして『せつなさを殺せない』を歌ったのも日比谷野音。そんな思い出もここにはある。

「巨大魚を見せるから」。いつものおかしな誘い文句に乗り、向かったのは公園内の雲形池。池のほとりでは、すでに多くの人が水面に携帯の写メを向けている。「ほら、あれ」。吉川が指し示した先には、想像を絶する大きさの“コイ”みたいなものが悠然と泳いでいた。「草魚かアオウオの類いだと思うけど、中国原産の魚で、まる揚げであんかけになってるやつのデカイのじゃない? 一度、東スポに載ったこともあったよ。『日比谷公園の怪魚』『謎の生き物がいるらしい』と言いながら、しっかり写真が載ってた(笑)」。そして公園のアイドルは、周囲の騒ぎをものともせず泳ぎ去ったのだった。

「公園のアスレチックで雲梯を見つけたら、ぜひトライして! できないことに愕然とするから」。池の次に立ち寄った運動場で、吉川はさっそく吊り輪と鉄棒にぶらさがった。残念ながら雲梯はなかったが、らせん状の雲梯もどきに挑戦。さすがに吉川は軽くこなすが、同行スタッフは全滅だ。「さか上がりや懸垂はできても、雲梯は難しいって、高校の同級生のメーリングリストで流したら、みんな子どもの学校とか行ってやってみたらしいんだけど、できなくて愕然としたって。子どものころはひょいひょいできたのになって。まあ、みんなやってみようよ。きっと東京中で愕然とすると思うよ」

 公園をぐるりと回り、日比谷側の出口近くにくると大きな石のオブジェがあり、大昔にヤップ島で実際に使われていたという「ギャートルズみたいな石のお金」も置いてある。原始的なものを見るとすぐ『ギャートルズ』に例えるのは、『はじめ人間ギャートルズ』の世界が大好きだからだ。「だって、あの世界は人間の夢でしょう」と吉川。「あんなに楽しそうな人間っていないよね。♪なーんにもない、なーんにもないっていう、かまやつさんの歌も、結構せつないけどなんかいいしね。マンモスの骨付き肉とか食えるし、猿酒も呑める。俺も死ぬまでに一度食ってみたいよ」。あの…マンモスは絶滅しましたが…。「だってあの時代、父ちゃんたちは家族を養うのに命がけだよ。マンモスと格闘して肉を取るんだからね…」。日比谷を起点にしたウオーキングはまだ始まったばかりだ。

(つづく)


※写真をクリックすると拡大画像が見られます。拡大写真の右側にマウスを重ねると「NEXT」ボタンが現れ、次の写真を見ることができます。

向こうの鯉が50センチとして…。巨大魚は太さもすごい! さすが吉川。吊り輪でしっかり体がL字型になってます 公園のネコ。「冬になると何匹かでダンゴ状になってるよ」