第70回 世田谷区馬事公苑
馬に教えられた人間の勘違い
待ち合わせ場所の『馬事公苑』に着くと、吉川はすでに障害レースを見学していた。馬と人が一体となってバーを越えていく姿は美しく、調和を感じる。
「あの子のお母さんに声かけられちゃった。『乗馬ライフ』見ましたって」。そう言う吉川が指し示す先には、ブロンドの髪をなびかせた女のコがいた。「家族で乗馬をやってる家なんだろうね。障害もやるんですか?って聞かれたから、ちょぼちょぼですってこたえたけど」。吉川が『乗馬ライフ』の表紙に出たのは数カ月前。ロッカーとして写真撮影する時には見られないような柔和な笑顔で、『天地人』で織田信長を演じた時に共演したスィグロという馬と一緒に写真に収まっていた。
「あいつはかわいいんだよね。スペインから連れてこられた馬なんだけど、日本に来て少ししたらいきなり甲冑を着た男を背負って、カメラやクレーンがあって火が燃えたりする現場に入れられて、俺が乗ってる間ずっと怖がってふるえてたから。でも動いたら怒られるしね。馬の先生から、暴れると怪我人続出だから、可哀想でもこういったケースでは蹴飛ばすしかないからね、って言われてたからさ。まだ若くて人間でいうとティーンエイジャーくらいなんだけど、そういう修羅場を一緒に過ごしたから何か絆ができたんだね。すごいビビリだけど負けず嫌いで、頑張るんだけど、もともと闘牛士を乗せる闘牛用の馬でサラブレッドじゃないからさ、足はそんなに速くなくて、最初はガーっといくけど全部の馬に抜かれる(笑)。もうぜいぜいいって吐きそうになってるからね。でも、その情けなさがかわいいっていうか、体の作りもちょっとデブちんで、かわいいよね」
馬事公苑の中は広く、厩舎もあれば日本庭園もあり、馬を歩かせる(走らせる)場所は当然、柔らかな土になっていて、人間の体にもやさしい。サクサク、と土を踏みしめながら、「ここはまた別の障害のレースに使う場所だね」などと、吉川の説明が続く。乗馬を始めたのは信長役を演じたのがきっかけで、「とにかく台本に書いてある馬の場面を、意地でもやってやろうと思った」のが始まりだったが、馬への愛着は深まり、「ハマッたなんてもんじゃない」くらいハマってしまった。
「ひとつは、すごい体力作りになるってことで、あとひとつは、馬は決して自分で操作しようと思ったらダメなこと。馬って、乗っけてもらってるっていう感覚がないとダメで、それが俺はすごくおもしろい。無理に自分の意のままに操ろうなんて馬には通用しないからね。馬は素直だから、通じてない時は人間がどっか間違ってるんだよ。慣れないうちは、手は右に行けって指示してるのに、足では逆の指示を出してることがあったりして、そうなると馬は“はっ?”って(笑)。どっちなんだと思ってるのに、“言うこときかない”って人間が怒るという愚かなことが起こる。馬を困らせてるだけなのに、人間だけが困ってると思う愚かさたるや、自分で情けなくなるよ。障害で飛ぶときも、人間が飛ぼうと思って踏ん張っちゃうと馬の背中を押さえつけることになって、馬にしてみたら“飛びますよー”って言ってるのに、人間が体重かけて落としてるわけ。それを何回もやると、馬は“こいつと一緒にやるとあぶない”と思って飛ばなくなる。人間、そういうことってよくあるじゃない。何かやろうとして力が入りすぎて台無しになるとか。乗馬やってるとそういうことが具体的に感じられて、教えられることばかりだね」。ということで、聞くほどに興味深い馬の話はもう少し続く。
(つづく)
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