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2009年12月14日

 

吉川晃司 in『松田優作二十年の曳航 不在証明』

 人によっては「どこか似ている」と言う。本人に問えば「そうではないと思うけどね」と答える。12月1日、吉川は、松田優作没後20年として制作された『松田優作二十年の曳航 不在証明』のステージに立っていた。朗読と音楽と歌で構成されたこの舞台で、吉川が務めたのは朗読。松田優作とは終生の友である脚本家の丸山昇一が、優作さんが残した言葉を再構築した台本を片手に、もうひとりの朗読者・阿木燿子と言葉を重ね合った。ほの暗い舞台に用意されたのは、バーカウンターと、コートラックに無造作にかけられたロングコートとハットのみ。音楽を担当したのは、織田哲郎、斉藤ネコ、そして優作さんと音楽活動を行った奈良敏博も参加した。暗さで台本が見えないのか、吉川はスポットライトの光の角度に合わせ、まるで踊るように、クル、クル、と体の角度を変えた。

「優作さん? 男としてはジェラシーな存在だよね」。吉川は言うが、実は接点はほとんどなかったということだ。生前の優作さんが根城にしていた下北沢のバー『レディ・ジェーン』には吉川も顔を出していたが、話すことはなかった。「映画とかは全部見てて好きだったけど、この人は群れない人なんだなと思ったし、交わらないタイプの人間なんだと思ったんだよ。孤高が似合うというかね。だから見かけても近寄って行こうとは思わなかった。俺もどっちかっていうとそういうタイプの人間だからね。でも、周りはすごい接点が多くて、今回舞台を企画した『レディ・ジェーン』の大木(雄高)さんは広島出身で俺も懇意にしてたし、優作さんが大好きだった原田芳雄さんとは、デビューの映画での共演で知り合って親しくさせてもらって、奥さんの(松田)美由紀さんとも何度か酒の席で一緒になって、「うちの息子が若いころの吉川君に似てるなと思ってたんだよね」って言われたりして…。だから今回も、俺よりもっとふさわしい人がいるんじゃない?って思ったけど、頼まれたら断る理由がないんだよね」。それに加え、生前の優作さんが吉川について、「おもしろいのが出てきた」と、丸山氏に語っていたという話もある。まだ小さい長男を見ながら、「こいつ吉川みたいになってくれたらた面白いよな」と美由紀さんに語っていた話も聞いた。吉川のコンサートにも何度か足を運び、「カッコよかった」という言葉を残して帰ったこともあった。そして吉川のもとには『探偵物語』の映画化での出演オファーもあったが、「それはやっちゃいかんだろうと思った」と吉川は後に語っていた。

 ステージでは、吉川も1曲『ヨコハマ・ホンキー・トンク・ブルース』を披露した。「優作さんは、不器用かもしれないけど、迎合せず、俺は俺だよっていうのを通して、取り込まれなかった人だと思う。俺もそうやって生きていっちゃう人間だから、そういう人がいたんだっていうのは励みになるよね。生きててほしかったし、共演してみたかったけどね。同じようなキャラクターでやりたかった。かぶってるような(笑)。胸を借りるつもりで真っ向からいって、“太刀打ちできるわけねーだろ”って1回蹴散らされるけど、それが自分の武器や知恵となったころにまた向かっていく。本物と対戦すればこっちも傷つけられるけど、それがどんどん肥やしになってくる。そういう人と相まみえたい」

 冒頭に流れた優作さんの言葉に、「40からですよ、むちゃくちゃするのは、待ってて下さいよ」というものがあった。その40歳で優作さんは旅立った。不在を埋めるのは、それに関わる人たちの熱量しかない気がする。本物は本物を知る。ストライプの地模様が入った黒のスーツが吉川にはよく似合っていた。

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