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2010年01月25日

 

第73回 渋谷区並木橋~桜ヶ丘

ギターと鰺の開きの不思議な関係

 待ち合わせ場所は渋谷の並木橋。川の“暗渠”マニアの中でも熱中度の高い渋谷川に沿って東横線の高架脇を歩き、まずは渋谷駅南口近くの“暗渠”の入り口を見届けた。もともと川をコンクリートで固めて蓋をするのは反対派の吉川だ。「いろいろ理由はあるだろうけど、光とか土とか、それから有機的なものがないと生き物は生きられないんだから、本当は川に蓋をするもんじゃないよね」

 線路沿いの路地には、ごみごみした中に珍しいものが点在する。『全日本柔拳連盟本部』という太極拳を教える教室の看板を見ては、「太極拳やってみたい」と興味を示した。「今、スクワットで中腰のまま体重を移動したりして太極拳の真似事はやってるけど、めちゃくちゃキツイ。汗ダラダラになるから、体を作るのにはすごくいいと思う」。聞けば、最近世話になったスポーツトレーナーの人に「驚くほど筋肉が柔らかい」と絶賛されたそうで、「今まで何のケアもしないでやってこれたのもそのおかげで、生まれ持った体に感謝しなきゃいけないね」と吉川。しなやかなステージパフォーマンスの秘密は、こんなところにもあったようだ。

 渋谷の南口から桜ヶ丘のほうへ足を向けると、「若いころはよく通った」という楽器屋街がある。改めてギターとの出会いを聞いてみると、それは小学校低学年のことだった。「姉貴がフォークが好きで、おじさんのギターをもらったかなんかしてアコースティックギターが家にあったんだよね。で、当時はエレキは高くて買えないから、ギターマイクだけ買って、アコギのホールにつけて古いステレオにつないでジャーンとやったら、出力がでかすぎたのが、ガチーンってステレオがダメになって親父に怒られたのがギターの始まり。まあ、それ以前に小学校3年生のとき、町内会の何かのイベントで弾き語りをやったけどね。姉貴のアコギを借りて、歌ったのは中村雅俊さんの『ふれあい』。練習不足でひどいもんだったけど、ガキのころは目立ちたがり屋だったから(笑)」。今思えば、それが人前で歌うことの原体験かも、と吉川は笑った。

 楽器屋のウインドーには、さまざまなギターが並んでいる。「昔はホントによく見て回ったけど、今はギターまわりのことは何でもできる知り合いがいるから、その人に頼んじゃうよね。やっぱりプロの世界だと、店に品物が出る以前に探してもらわないといいものがないというか、一般の人には申し訳ないけど、いいビンテージは本当にビックリするくらい音が違う。俺が一番よく使うのは、金色のゴールドトップっていうレスポールのオールドタイプだけど、あの音も他にマネができるもんじゃない。やっぱり古いものって、職人の腕もあるけど、乾きだよね。木がちゃんと乾いてないとギターは鳴らない。今は機械で乾燥させたものが多くて良くないね。鰺の開きだって、天日で干したのと機械で干したのは味に雲泥の差があるじゃない。そうそう人間が思うほど単純じゃないというか、乾かすなら熱を与えりゃいいだろうっていう、愚かしい考え方ね。多分、一番大事なところが抜けてるんだよ。時間をかけて乾かす中に、どうにもならない何かがあるはずだと思うんだけどね。よく、そういうビンテージをコレクションしてる金持ちもいるけど、それも愚かな行為だと思うよ。楽器は弾いてやらないと何の価値もない。楽器がかわいそうだよね」

 25周年ファイナルとなる2月6日の日本武道館コンサートまであと少し。お気に入りのゴールドトップが、今の吉川のロックを奏でる。

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不思議な角度から見る渋谷駅東横線ホーム 店名は“中村カイロ”だが、実はお茶の店だった ギターキッズたちが一度は通る楽器屋街

2010年01月11日

 

第72回

2010年はチンギス・ハーンで始まった

 1月7日。青い空にまぶしい太陽が輝いた冬晴れの日、2010年最初の取材に南青山の吉川の事務所を訪ねた。軽いウオーキングでやってきた吉川は、いつもと同じジャージー姿。年末年始の過ごし方を聞くと、「12月28日からスタジオの大掃除と、チンギス・ハーン」という答え。2月2日から江戸東京博物館で始まる『チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展』のナレーションを依頼された関係で、何度か読んでいたチンギス・ハーン関係の書物を再読し、10何時間かの映画を見直していたそうだ。「夜まで掃除をやって、あとはチンギス・ハーン。モンゴル帝国の史書といわれる『元朝秘史』っていうのがあるんだけど、とにかく正月はチンギス・ハーン一色だったね」

 掃除を念入りにやりすぎて、吸い込んだ埃で肺に雑菌が入り、友達の医者からアドバイスをもらって抗生物質を飲んでやっと治った、というおまけもついてしまったが、NHK大河ドラマ『天地人』への出演に始まり、曲作り、レコーディング、ツアーと続く中で3本の映画に出演し、無人島ロケも強行した“1年走りっぱなし”の体をつかの間休めることができたようだ。「まあ、25周年のアニバーサリーだから、2月6日の日本武道館までは走りきらないとね」。吉川は清々しい表情で話した。

 久しぶりにチンギス・ハーンと向き合い、思いを新たにしたこともあった。「千年にひとりの偉人と言われて、あれだけの領土を手中に収めた人は人類史上他にいない。でも、俺が一番興味あるのは内政。内憂外患というけど、内側の憂いのほうが人間関係は大変で、それをどうしたんだろうって。宗教も言語も違うところを統治していくんだから、やっぱり人心掌握術だよね。ある説によると、チンギス・ハーンって8月18日没らしくて、俺の誕生日なんだよ。それに気づいたとき、ちょっとぞくっとした。まあ、8月25日って説もあるし、18日前後って説もあるんだけどね」

 偉人に思いを馳せるのは、男だからなのか、吉川晃司だからなのか。「生き甲斐だよね。人と闘うことの是非はおいといて、世のために己の力を奮うっていうのは、一番の夢だよ。現代ではそうそうあることではないけど、ぶれない思いというか、使命感みたいなものは常に感じていたい。自分自身としてね」

 25年間、一直線に突っ走って来た。これからその視線がぶれるとも思えず、そういう意味では掃除に明け暮れたとはいえ、いい年の始まりだったようだ。

「母親からは言われるんだよ。あなた、そういう人生で寂しくないのって(笑)」と、吉川は笑う。「非常に女性的な観点から見るとそう思えるんだろうね。“何が面白いのか分からない”って母親は言うわけだよ。母親からすると、俺はすごい残念な息子なのかもしれない(笑)。ひとりで掃除してるのも、気の毒と思ってたみたいで、まあ、心配なんだろうね、なんでこんな子どもになっちゃったのかって(笑)」

 心配な息子は、今年、雑煮を作りそびれた。吉川流の雑煮は、「昆布といりこで出汁を取り、それにカモ、ハマグリでうま味を増し、昔あったような真っ赤な人参と真っ白なダイコンを入れ、茹でてきゅっと結んだ緑の三つ葉を添える」もの。彩りの美しさだけでなく、聞いただけでヨダレが出そうな味が想像されるが、「なじみの魚屋でハマグリが売り切れていて手に入らなかった」という理由で今年はなし。「友達に、お前の雑煮が食いたいって言われたけど、今年な作らないよって」。そのへんで売ってるハマグリでもいいんじゃないか、という妥協は、やはり吉川にはない。2月の武道館、そしてさらに先を見据え、2010年の闘いが始まった。