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2010年02月22日

 

第75回 品川区戸越銀座

 商店街には『タコ焼き屋』がなければならぬ、というのは吉川の持論である。戸越銀座商店街と第二京浜の交差点で待ち合わせた今回のウオーキング。まずは中延方向に向かって右側の商店街を歩き始めた。「前に映画を撮ったとき、この辺を走ったんだよね」。ここは、吉川が出演した『大停電の夜に』を撮影した場所でもある。出所した男(吉川)が、かつての妻(寺島しのぶ)に会いにくると、両手に買い物袋を下げた妻と再会する。しかしすでに再婚していた妻は、袋を落とし、走り去る。男も全速力で妻を追う。それが戸越で撮影されたシーンだった。

 そんな話をしながら歩くうちに、吉川は気づいてしまったのだ。『タコ焼き屋』を見かけないことに。ふと見ると、チェーン店の『タコ焼き屋』がまさに出店準備の工事中。やはり商店街には不可欠のようだが、「東京ではなかなかうまいタコ焼きにめぐり会わない」と嘆く吉川だ。「子どものころに食べてたのはうまかったね。いりこの粉をまぜた出汁で小麦粉を溶いて、タコ、紅ショウガ、キャベツ、万能ネギ、天かすを入れて焼くんだけど、野菜がたくさん入ってて、お好み焼きが丸くなった感じ。東京のみたいにデカくなくてピンポン球くらいだけど、小麦粉のもったりした重さがなくてパリッとしてる」。そう聞くと確かにうまそうだ。今日はとりあえずプリっとしたカキフライをつまみながら、第二京浜を渡りもう一方の商店街へ。店先でおでんを煮ている『後藤かまぼこ店』で珍しい“おでんコロッケ”を購入し、熱々をいただきながら、おでんといえばいつも疑問に思っていたあることを吉川がご主人に聞いてみた。「チビ太のおでんって、何がささってるか知ってます?」。漫画家・赤塚不二夫氏の『おそ松くん』に出てきたチビ太は、いつも手におでん串を持っていた。上から△、○、□の順番で具が差してある。店のご主人は「いやぁ、分からないねぇ」ということだったが、吉川の推測では「コンニャク、大根、ちくわ。東京に来てから、□はちくわぶかもしれないと思ったけどね」。チビ太のおでんに関しては、真ん中が『がんも』とか下が『なると巻き』とか諸説あるが、赤塚氏が他界した今となっては答えを聞くすべもなく、それぞれの心の中に『チビ太のおでん』が残るだけでいいのかもしれない。

「いいねぇ、この店」。ふと見ると、昔ながらのプラモデル店『マスダヤ』が目に入った。「あれと同じの作ったんだよね」。店の奥に『戦艦大和』の大きな箱を見つけた吉川は、誘われるように店内に吸い込まれていった。「30歳ぐらいのころかな。レコーディングでスタジオに3カ月くらいこもってたんだけど、だんだんストレスがたまってきちゃって、5万円くらいで売ってた『大和』を買ってきて作ったんだよね。途中で嫌になったくらいすんごい時間かかったけどね。40歳くらいのころにも、レコーディングで曲作ってて煮詰まった時に、歩いてたらプラモデル屋が目について、今度は車のスカイラインを作った。昔の“ハコスカ”ってやつだけど、3日くらいかかってきれーいに仕上げた。そんな時間あったら曲作れよって話だけど(笑)。まあ、でも無心になれるからね」。子ども時代によく作ったのは、軍艦、戦車、戦闘機など。「戦争に行ったウチのじいさんに、何か描いてって頼むとそういう絵を描いてくれて、真似してるうちに好きになったんだよね」。小学生の時には、自分で作った潜水艦を学校の池に浮かべて“ひとり推進式”をやったそうだが、実はそれには悲しい思い出があったのだ。

(つづく)

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外で食べる『カキフライ』もなかなか美味だ プラモデル屋で「これと同じの作ったよ」 おでんコロッケは薄味でおやつに最適だ!

2010年02月08日

 

第74回 渋谷区神泉~港区北青山

若者よ、人生はその先がおもしろい

 渋谷の桜ヶ丘から吉川が次に向かったのは神泉町。246を渡り、路地をぐるぐる周りながら井の頭線の駅にたどり着いた。駅の手前には、「デビュー前にリハーサルをした」という思い出のライブハウス『Lantern』。そして、「ほら、すごいでしょ!」と吉川が指し示す先には井の頭線のトンネル。「都会のど真ん中にこんな古いトンネルが残ってるなんてすごくない? 俺はこのトンネル、美しいと思うんだけどね」。トンネル脇の階段の上には「夜になるとTシャツ屋になる店」があったりと、なかなか面白い。そこから渋谷方面へ向かい、道玄坂の“ラブホ街”へと突入した。

「焼き肉屋が多いね。“肉欲街”って感じだね(笑)」と、吉川は無邪気に笑う。「俺が東京に出てきたころはこんなに開放的じゃなくて、すごい入りにくい場所だったけど、今は普通に女子高生が歩いてる。ライブハウスができたせいもあるだろうけど、どんな情報でも欲すれば何でも手に入っちゃう今の時代って、どうなのかなって思うよ。何でもオープンで明るいことがいいことみたいに言われるけど、俺はそうは思わない。秘すること、容易に手に入らないことがあってこそ生まれるものもあるからね。ラブホ街だって、隠微さがなくなると文化的な香りもなくなってつまんなくなっちゃう。自分たちの時代は遊びにも段階があって、エロ本見るだけでドキドキだったよ。先輩に言われて夜中に自販機に買いにいくと、ガタンって本が出る音が夜中の路上に鳴り響いて、あわてたりして(笑)。でも今は若いうちから何でも手に入っちゃうから、達観してるというか、人生に飽きるのが早いよね。遊び尽くしたと思っても表層だけで、間にからみつく心模様がない。それがないとただの“肉欲街”なんだよ。やっぱりわび、さびがね。おっさんくさいこと言っちゃうけど(笑)」

 道玄坂から渋谷駅に向かい「ハチ公の前を通るのは何十年ぶり」という吉川とハチ公前をスルー。「ハチ公の向き、変わってない?」という話で、調べてみると、駅前整備に伴い北側を向いていたハチ公が駅向きに変更されたのはなんと20年前だった。その後は、のんべえ横丁から宮下公園、キャットストリート、裏原宿と、今回のウオーキングの最初に見た渋谷川が流れていたと思われる道を歩き、「東京も古い街並みを残してほしいよね」などと話しながら、246と表参道の交差点の裏にある青山の公団住宅に寄り道した。外で土いじりする住民がいたり、青山とは思えないのどかさだが、「前は八百屋とかトラックでいっぱい来てたのに、住人が少なくなってる気がする。結局いつかは建て替えられるんだろうね」と、良き場所を惜しむ吉川だった。しかしすべてなくなってしまうわけではなく、246の角にある『山陽堂』書店は、なんとこの地で120年も看板を守り続けている。「店のおかあさんに聞いたら、明治神宮ができる前からやってるんだって。開店は明治24年で、場所は近所で2回ほど動いたらしいけど、東京オリンピックで246が拡張されるまでは大きい本屋だったらしいよ。その話を聞く前までは、こんなとこにちっちゃい本屋があるなと思ってたぐらいだったけど(笑)。やっぱりそういう心意気がいいよね」

 そしてもうひとつ。表参道に面したとあるビルに、その昔、尾崎豊ら音楽仲間に誘われて何度か行ったという『港町十三番地』というカラオケスナックも残っていた。その近くの路地が『ロハス通り』と名付けられていたのは、ちょっと驚きだったのだが。

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神泉町で見つけた吉川も驚愕の“古”民家 宮下公園にはオブジェのようなすべり台が 表参道に120年の歴史を誇る『山陽堂』書店