「風呂ダンサーズ」は青春【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第9回】

2018.06.08 Vol.Web Original
 もう二週間前になってしまいましたが、劇団Rexy第六回公演「風呂ダンサーズⅡ」が終了しました。  劇団Rexyが昨年12月に上演した「風呂ダンサーズ」の続編です。  ※前回公演の記事はこちら  全力で全裸「風呂ダンサーズ」【脱こじらせへの道 第62回】  http://www.tokyoheadline.com/385773/ 「見せたい」男たちが「見えない」ように踊るダンスがとにかく凄い! 劇団Rexy『風呂ダンサーズ』  http://www.tokyoheadline.com/385763/  前作の「風呂ダンサーズ」は、主人公の父親を成仏させるために、一族の男たちが裸一貫で奮闘するという作品。  本作は、それから二年後の風呂ダンサーズのメンバーたちを中心に、物語が展開します。  新メンバーを加え精力的に活動する風呂ダンサーズのメンバーたちですが、営業で訪れた先で火事にあってしまいます。それをきっかけに、その火事に立ち会った消防団に入隊することに。厳しい訓練に疲弊し、怪我をしていくメンバーたち。新しいショーのネタも考えつかず、気持ちが分裂してしまうが……。  ということで、前回のメンバーはもちろん新しいメンバーも加わり、総勢17人の男たちが一致団結して頑張る姿が描かれます。

ペアダンスという文化【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第8回】

2018.05.25 Vol.Web Original
 私事ですが、ゴールデンウィークを利用して、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに行ってきました。  リオというとサンバカーニバルを思い浮かべる方が多いかと思いますが、ブラジルには特色ある音楽やダンスがたくさん存在し、サンバはその中の一部なんですね。  ブラジルがある南半球は今は秋で過ごしやすく、カーニバルも2月に終了し、今回はさまざまなジャンルのブラジル音楽・ダンスを体験できた10日間でした。  リオでは昼夜問わずダンスパーティーが開催されているのをよく目にします。  ライブハウス、ダンススタジオなどで開催され、幅広い年齢の男女が参加し、音楽にあわせて踊ります。  中にはプロやインストラクターのような人もいますが、ほとんどが一般の方です。  日本でも社交ダンスやサルサなどのペアダンスをされている方はいると思いますが、日常的に楽しむ文化はありません。  私自身もペアダンスのことはよく知らず、踊り方もわからず、リオでのこの風景を見てとても驚きました。  ほかのジャンルを知らないのであくまでブラジルでのペアダンス文化のことになりますが、ペアダンスは基本的に男女で組み、男性がリードをとります。  パーティーではほとんど切れ間なく曲が流れますが、男性から女性を誘い、一曲一緒に踊るのが一般的なようです。(楽しかったからもう一曲踊ろう、ということはありますが、どんなに相性が悪くても途中でやめることはないのだとか)  自分自身の性格もあって、つい私から誘いたくなってしまうのですが、そういうことはあんまりスマートではないみたいです。  リオの男性たちは女性に優しく、レディファースト。  パーティーでも積極的に声をかけてくれますし、断ったらちゃんと聞いてくれますし、一緒に踊るときはレベルにあわせてリードしてくれます。  ダンスだけでなく、電車でも席を譲ってくれたりするので、女性を尊重してくれる文化がとても素敵だなと思いました。  そんなわけで、ペアダンスの経験がほとんどない私でも、リオの素敵な男性たちにリードされて、楽しく踊ることができました。  ですが、最後の夜にパーティーで一緒に踊った男性が、ちょっとマナーの悪い方だったのです。  誘われて踊り始めた私ですが、彼のリードがちょっと難しく、うまく踊れませんでした。  すると、ため息をつかれたり舌打ちをされたり。  確かに私が踊れないせいで楽しめなかったかもしれませんが、一曲、たかだか五分くらい、そんな態度を控えてくれてもいいではないですか。  すっかり悲しくなってしまい、もう踊りたくなくなってしまいました。  旅の疲れもあって、余計につらくなり、うっかり涙をこぼしてしまったのです。  すると、スーツをびしっと着こなした男性が私の前に現れ、一曲誘ってくれたのです。  ペアダンスのことを何も知らない私を上手にリードして、上手く踊れた気分になれるような、夢のような一曲でした。  踊り終わると、感動してネガティブな気持ちはどこかへ吹き飛んでいきました。  実は、私の異変を察した同行者が話を聞いてくれて、そのマナーの悪い男性のことをまわりに聞いてくれたのです。  すると、その男性にダンスを指導しているという人がそのパーティーにいて、その人が一緒に踊ってくれたスーツの彼だったようです。  教え子のフォローをしたいという気持ちと、こんなことでダンスを嫌いになってほしくないという思いから、一緒に踊ってくれたのだと思います。  彼のおかげで私はペアダンスを嫌いにならずに、とてもいい思い出になりました。  リオの男性が素敵!という話ではなく、どこの国(や文化)でも失礼もいれば素敵な人もいます。  今回は私が踊った男性側のマナーの問題ですが、女性側も最後まで楽しく踊りきるというマナーがある、ということを一緒にいった友人から聞きました。  男性のマナーが良いからといって、女性が横柄になっていいというわけではなく、もちろん逆もしかりで、互いに思いやり、尊重しあうことがペアダンスの良いところなのだと実感しました。  もちろんペアダンスだけの話ではなく、普段のコミュニケーションでも同様ですね。  日本ではペアダンスの文化が日常的でないから気づいていないだけで、誰かと何かを一緒にするというときに、自己都合や自己満足だけで行動すると相手を悲しませることになります。  日本でペアダンスが盛んにならないのは、踊れないからというだけでなく、私たちがパートナーに対する思いやりを忘れているから、かもしれません。  と、30時間かけてブラジルに行って号泣してまで、いつものオチに持っていってしまうのでした。

いくらお金があれば不安にならないのか【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第7回】

2018.05.11 Vol.Web Original

 先日、喫茶店にいたら、隣の席でパパ活の交渉が始まりました。  お行儀が悪いと思いつつ盗み聞きをしてみると、女性はパパ活常連、男性は初心者といった具合でした。  女性の言い分では、毎月の美容代に5万~6万円かかるのだが、自分が働いている給与ではそれが賄えないので、援助してくれる男性を探しているのだとか。肉体関係はもたないし、男性との出会いを求めているわけではないとも言っていました。  一方の男性はどちらかというと心のつながりを求めているよう。ふたりの需要と供給は合致せず、最終的に女性が「パンを買ってほしい」と言って、ふたりでちょっとお高めなパン屋さんに向かっていきました。  個人的には、毎月の美容代5万~6万円って高すぎでは?と思いますが、ネイルに美容院に化粧品に、手を出し始めたら終わりがないのでしょう。  その美容代もパパ活の継続のために必要なんじゃないかとも思いますが、彼女にとっては美容にこだわることや、綺麗な自分にお金を使ってもらうことが何よりの楽しみなのかもしれません。  そんな「楽しみのために使う予算」ってどのくらいなのでしょうか?今回はイベント予算について、アンケートをとってみました。

デート時間を「買う」【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第6回】

2018.04.27 Vol.Web Original
 前回ツーショットチェキの様子を紹介しましたが、それに関してTwitterでアンケートをとってみました。

ツーショットチェキはいかがですか?【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第5回】

2018.04.13 Vol.Web Original
 前回の記事で、欲求不満を感じたら、アイドルやエロメンのイベントに行くなんてどう?ということを書いてみました。  というわけで今回は、GIRL’S CHで行っているイベントを紹介してみたいと思います。  今回とりあげるイベントは、4月7日(土)に行われた、「風呂ダンサーズDVD販売記念イベント」。  昨年12月に行われた劇団Rexyの第5回公演「風呂ダンサーズ」の公演DVDが4月12日に発売になり、それにあわせてのイベントでした。  今回のイベントは、昼・夜の二部制でしたが、ありがたいことにどちらの回も多数のご応募をいただき、抽選に当たった方のみの参加となりました。  イベント内容は、出演者の皆さんと一緒にDVDを鑑賞するというもの。出演者の皆さんや、演出の鄭光誠さんのトークを聞きながら、みんなで「風呂ダンサーズ」を鑑賞します。  裏話を聞けたり、出演者とお客さんが一緒になって笑ったり感動したり、家でひとりでDVDを見るのとはまた違った味わいがあります。  上映会後は、「風呂ダンサーズ」の内容にちなんでタオル一枚の格好でのトークショー。  5月公演の「風呂ダンサーズⅡ」の冒頭の読み合わせをしたりして、トークショーは終了しました。  ですが、イベントはこれでおしまいではありません。  トークショーのあとは、ツーショットチェキのお時間。  このチェキの時間を楽しみにしている方も少なくありません。  なぜかというと、その理由は見てもらったほうが早いので、GIRL’S CHの動画にも出てくれている夏目哉大さんにツーショットチェキの撮影をお願いしてみました。  その写真がこちら。

みんな欲求不満なんだ【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第4回】

2018.03.23 Vol.Web Original
 GIRL’S CHは動画販売をメインとしたサイトですが、それ以外でもさまざまなコンテンツがあります。  オープン間もない頃から開設してきた「掲示板」には、ユーザーの皆様からのたくさんの書き込みが投稿されます。  たとえばサイト上の誤表記やシステムエラーを指摘してくださったり、「こういう企画が見たい」というご要望をくださったり。  私も「スタッフ田口」として、皆様のご意見に返答しています。  そんな掲示板のスレッドのうちで、スタッフが入り込む余地がないほど、ユーザーの皆様同士で盛り上がっているスレッドがあります。  タイトルは「欲求不満」。  内容はタイトルの通り、欲求不満のストレスをぶちまけたり、悩みを相談したり。  このスレッドを見ていると、多くの女性が「欲求不満」なんだなということを思い知らされます。 「欲求不満なのは自分だけなのだろうか?」という孤独感から解放されるだけでも、少しは悩みが楽になるものです。  私も皆様の書き込みを見て、「ああ、モテたいと思っているのは私だけじゃないんだ!」と少し、いやかなり、うれしくなりました。  ごくたまに、そんな女性と関係を持ちたがるような男性の書き込みがあったりしますが、見つけ次第削除しています。  そして普段利用されている女性ユーザーの方々も、そういう書き込みを不快に感じられる方が多いようです。  欲求不満=異性と出会いたい  と想像される男性もいらっしゃるかと思いますが、このスレッドの書き込み内容を見ていると、そういうわけではないようなんですね。  というのも、ここで言う「欲求」とは、単純に「性欲」だけを指すものではないからです。  誰でもいいからセックスがしたい!なら、GIRL’S CHの掲示板に書き込むより他に方法があります。  女性なら、その気になれば出会い系サイトやアプリで相手を見つけることもできますし。  お金をかける余裕があれば、アダルトグッズを買って、自分ひとりでいつでも性欲の不満を解消できます。  でも、そうしないで、掲示板に書き込んでいるのです。  だって私たちは、性欲を解消したいのではなく、性欲を含んだ満たされなさを解消したいのですから。 「セックスの相手を探している」のではなく、「セックスの相手として望まれる自分を探している」というほうが、しっくりくるでしょうか。  愛されたい、ちやほやされたい、認められたい。  そんな、セックスするに至るまでの心の移ろいも一緒に求め、それを満たしたいと考えている。  だから余計に、誰でもいいということはないのです。  自分が好いた人に好かれたい、というような経緯も含めてのことなので。  夫や彼氏や好きな人に「だけ」モテたいのです。  極端な言い方をすれば、「パートナーに自分専用ホストになってほしい」のです。  男性にとっては、「そんなこと言われても……」だと思います。  わかります、男性のその気持ちもわかります。  悲しいかな、互いの気持ちが高まらないと、欲求不満やセックスレスは解消されないですよね。こればっかりは、女性のワガママも大きいと思います。  諦めて浮気や不倫をすれば……という向きもあると思いますが、それこそ特別扱いをお金で買いに行きませんか?  その方法が、女性向け風俗であったり、ホストだったりするのかな、と。  ちなみに、特別扱いの方法のひとつとして、アイドルやエロメンのイベントに行く、というのもひとつの手です。  エロメンイベントでは、いつも動画で見ている男の子と至近距離でチェキ撮影ができます。  男の子にぎゅっと抱きしめられながらチェキ撮影ができるんです。  でも、あくまでチェキ撮影のために抱きしめてもらってるんで。  これはいい言い訳になると思うんですが、いかがでしょう?

今までで一番ひどいセクハラ【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第3回】

2018.03.09 Vol.Web Original
 …とタイトルで謳ってみてはいいけれど、全く思いつきません。  そこまでセクハラで傷ついた経験がないですし、都合の悪いことはすぐに忘れたい性格なので覚えていないだけかもしれませんが。  むしろ「お前こそ生きているだけでまわりに対してセクハラしている」と思われているんじゃないかという気がします。  そんなわけで私には、忘れられないほど嫌なセクハラってないんですね。  でも自分がなんとも思っていないだけで、まわりから見たらすごく嫌になったということがあったようなんです。  先日、とある年上男性から、「女の価値は男の数で決まるんだからもっと遊べ!」というようなことを言われました。  その人のキャラクター的に、そういうことはよく言うし、今まで私も私の周りの人も特にそれがひっかかるということはなく、だからそのときも私は「そうですか~勉強になります」と軽く流したんです。  その人と私の間に構築した人間関係もあるので、私としても別に嫌な思いはしなかったのですが。  ところが、その場に居合わせた女性が後から、「あんなセクハラ発言は許せない」と言っていたのです。  私がそういった発言に慣れ過ぎてしまって、セクハラに鈍感になっていたのかもしれません。  そういう発言が嫌だと思う人がいるということを忘れていました。  結果的に彼女に不快な思いをさせてしまい、申し訳ないなと思いました。  そして、彼女が嫌だったのはそのセクハラ発言だけではありませんでした。  女性向けAVのサイトの運営をしながら、その発言を否定しなかった私へも怒りの感情を持ったそうです。  そうした発言を問題視しないで流すことは、同じ場にいる女性もそのセクハラ発言を受け入れたことになると思われる可能性があると、彼女は考えたのです。  こういう仕事をしているからこそ、セクハラに対して啓蒙していく言動をとるべきではないか、と彼女は激怒していました。  私は性を扱った業界に10年以上身を置いているので、セクハラ的なことを言われる機会、される機会というのは、人の何十倍もありました。  怒ったことも悔しくなったことも泣いたことも、何十回何百回とあります。  人と比べられるものではありませんが、それでもセクハラについて考える機会は、とてつもなく多かったと思います。  だからね、先のセクハラ発言に対して、なんとも思ってないわけじゃないんですよ。  そのとき言われたことだって、全く心の響かなかったわけじゃないんですよ。  私なりにこの十年考えた結果、「こんなくだらないセクハラをいちいち正すのは意味がない」から、この場は受け流したんですよ。  多くのセクハラの根本にあるのは、「無神経な男性」と「神経質すぎる女性」だと私は思っています。  言動で無神経に接してくる男性、皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。 「今日メイク濃いんじゃない?デートでもあるの?」みたいなこととか、あとはボディタッチとか、すぐイメージできますよね。  神経質すぎる女性、はどうでしょうか?  男性に卑下された、馬鹿にされた、と過敏に感じて怒るとか。  いつか「かわいいね」「キレイだね」という言葉すらセクハラにされてしまって、人を褒めることもできなくなるんじゃないか、という勢いすら感じます。  前述した彼女も、この「神経質すぎる女性」に当てはまると私は思っています。  私が言いたいのは。  私たちが本当に闘わなければいけないのは、そういう目の前のセクハラ発言なんかじゃないんです。 「無神経すぎる男性」や「神経質すぎる女性」にいちいち振り回されてしまう、自信のなさだと思います。

抱いてくれたらいいのに【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第2回】

2018.02.23 Vol.Web Original
 先日の出来事です。  ある男性に頼まれごとをされました。  それ自体は大した手間ではないことだったのですが。  その頼まれごとのために、久しぶりにその男性と会うことになりました。  その男性とは数年来の顔見知りで、実際には男女の関係もありましたが、ここ最近はなかなか会うこともなく。  ましてやLINEの連絡も数ヶ月に一度あるかないか。  SNSでもほぼ交流はなく、私が「いいね!」することはあれども彼から来ることはありません。  そんな関係の人ではありましたが、その用事を済ませるために久しぶりに会って飲もうということになったのです。 いざ当日。  会って、頼まれていたことも対応して、飲んで、お会計を済ませて、そのまま帰りました。  ……ちょっと待って。  こちらは頼まれていたこともあって、さらに30分くらい待たされて、お会計も割り勘で、何の見返りもなしかい!  と、後になってなんだか腹が立ってきて。  思えばこれまでの付き合いも、彼が終電をなくしたからとネットカフェ替わりに我が家を使われたり、用事があるときはだいたい彼の都合にあわせていたのが、このタイミングで頭にきてしまったのかもしれません。 これには2通りの考え方があって。 「友達なんだから見返りがなくたっていいじゃないか!」「セックスがなくても関係が成立しているということだからいいじゃないか!」というものと。  こっちは向こうの都合にいろいろあわせてるんだから、見返りを期待したっていいじゃないか!というもの。  今回の私は完全に後者のパターンなわけです。  頼まれごとに対応したんだから、一発くらいヤラせろよ。というのが今回の本音です。  いや、たしかに頼まれごと自体は大したことではなかったのですが。私の中でのギブアンドテイクのバランスが崩れてしまったような気がするのです。  わかりやすい言い方をすれば、親しき仲にも礼儀ありというか。  頼まれごとを対応したかわりに、少し多めに支払をしてくれる、とかでも変わったかもしれませんね。  個人的にはお金よりも、一晩抱いてくれればなんとなく満足していたような気がするので、そういう言い方になってしまいましたが。そもそもこの私の価値観が他の人と違っているから仕方ないのかもしれません。  ただひとつ言えるのは、こんな大したことでもないことでギャーギャー言う私は、彼にとってはウザイ存在だろうなということです。  こういうこと言わなければ、もっと人に嫌われないで生きていけたんだろうけどなぁ。  皆さんはどちら派ですか?

エロくなるには【田口桃子の「死ぬまでモテたい」 第1回】

2018.02.09 Vol.Web Original
 あたかも「はじめまして」という顔をして、連載一回目を迎えました。  実際には先々週まで、「脱こじらせへの道」というコラムを連載しており、インターバルはないのですが、第一回目は第一回目ということで、今日から新しく記事を書かせていただきます。  TOKYO HEADLINEの読者の皆さんは、「女性向けAV」ってご存知でしょうか?  以前の連載から読んでいただいた方はご存知かもしれませんが、私はGIRL’S CHという女性向けのアダルトサイトの運営に携わっています。  2013年に立ち上げてもう5年になりますが、月間100万人ほどの利用者がいて、そのほとんどが女性です。 「女性向けのアダルトサイト」というと、仰々しいというか、かっこつけている感じがするのですが、利用者が女性向けなだけで、ただのエロサイトです。  もともと、女性がもっと性を楽しめるように、という思いから立ち上げたサイトですし、その気持ちは今でもあります。  でも、ただの「エロサイト」って言っていかなきゃ何も変らないよ、と最近は思うので、あえてそういう風に言っています。  まじめに、「よしやるぞ!」って肩肘を張らなくても、もっと何気ない気持ちでエロが楽しめればいいのに、と思って、だからこそ運営側がもっとゆるゆるしている必要もあるのかな、と。  女性向けのエロサイトであるGIRL’S CHでは、女性向けAVだけを扱っているわけではありません。  たとえばイベントの開催。公開収録やデートなど、形のないサービスの提供をしたり。  最近ではオンラインサロンという、web上で会員同士やサロン主催者(GIRL’S CHではエロメンさんたちがオーナーとなっています)との交流ができるサービスも始めました。  女性がひとりで、またはカップルで使えるセックストイの販売もしています。  単純にエロサイトといっても、動画を見てエッチな気分になるだけじゃなく、実際にタレントさんと交流したり、普段できない刺激的な経験ができるような場を作ったり、女性がエロくなれるサービス全般を扱っています。  なんで女性がエロくなれるように仕向けているんだ?と聞かれると、それは私自身がエロくあったほうが幸せを実感できる機会が多かったからだと思います。  エロく、と言っても、淫乱になれとかヤリマンになれとかいう話ではなくって。  ここでいうエロくなるというのは、自分の欲求のために何かを消費するということを指しています。  自分の快感のためにセックストイを買ってみる。動画を買ってみる。お金を出してホストとデートしてみる。イベントに参加してみる。  要するに女性ホルモンが出てる!と実感できるようなことが、エロくなるということかなと。  そんな感じで、今回のコラムでは、女性がより「エロく」なるには?なぜ「エロく」なる必要があるのか?「エロく」なることで得するのか?というようなことを考えていきたいと思います。  題して、「死ぬまでモテたい」。  死ぬまでモテるために、もっとエロくなるにはどうすればいいのか?  そんなわけのわからない命題を追っかけてみたいと思います。

こじれない女になるために?【脱こじらせへの道 第64回(最終回)】

2018.01.26 Vol.web Original

 さて最終回です。  2年半を経て、なんとなく「こじらせ」から脱却する方法は見つかったかな、という気がしませんか?  頭でっかちな思いこみを捨てること。  同性だろうと異性だろうと、お互いの違いを理解して認めること。  なんとなくそうやってすごしていれば、「こじらせ」とか、面倒くさい悩みとかからは解放されるような気がします。  ただ、ありのままの自分を受け入れて、自分を肯定することって、無欲とは違うんですよね。 「もっと周りから好かれたい!」 「コンプレックスをなくしたい!」 「自分のことをわかってほしい!」  どんなに頭では理解しているつもりでも、自分の気持ちや感情が、現実以上のことを望むことがあります。    また、違いを認めても、認めた上でやっぱり違和感を拭い去れないときがあります。  少なくとも、私はそうですが、皆さんはいかがでしょう。  たとえば、みんなで一緒に出かけていても、「自分はここにいてはいけないんじゃないか」という気持ちに苛まれることってありませんか?    そういう、いわゆる「場違い感」というのが、私にはずっとついてまわっています。    この「場違い感」のようなものが、私にとっての一番の「こじらせ」なんじゃないかと思います。  どんなに自己肯定したところで、自分以外のすべての人が自分を否定しているんじゃないかとか。  そういう思いに一生取り付かれたまま、きっと一生私は「こじらせ」から抜けられないまま、死んでいくのだと思います。  仮に、場違い感に自分の感情を支配されてしまうとしたら、私にとってはやはり「他者からの肯定」(勘違いも含めて)が足りていないのかもしれません。 「愛されたい」「ちやほやされたい」「モテたい」。  そういう、承認欲求を得たいという思いが自分の奥底にはあって、それを含めて自己肯定をすることが、こじれていない本当の自分なのでは。  私は結局この「もっと愛されたい!」という自分の気持ちを肯定することにしました。  果たしてそれが、こじらせからの脱却なのか、こじらせとの共生なのかはわかりません。  ただ、ありのままの自分を肯定できたからこそ、ぶれない自分のまま、他者に肯定されることに恐怖がなくなったように思います。  というわけで、来月からは「愛されたい」について考えるコラムをはじめます。  皆様、引き続き、よろしくお願いします。

“脱”こじらせできたのか?【脱こじらせへの道 第63回】

2018.01.12 Vol.Web Original

 年が明けて早2週間が経とうとしています。  この記事が公開される二日後に、GIRL’S CHは5周年を迎えます。早いものです。  5年前の2013年1月14日、東京ではまれに見る大雪で、交通機関がほぼ麻痺した状態の中、GIRL’S CHのサイトオープンイベントが開催されたのでした。  それから二年半ほど経った2015年の6月から、この「脱こじらせへの道」の連載が始まりました。  今回で63回を迎え、「もういいよ」って言われるんじゃないかというほどに、「こじらせ」についてああでもないこうでもない、と書いてきましたね。  さすがにここまで続いたら、そろそろ田口もこじらせからの脱却が出来ているんじゃなかろうか?とも思うので、ここで一旦足を止めてみようかなと思います。  これまでの62回分の記事の中で、いろんなパターンの「こじらせ」の例を見てきました。 第3回 女性のセックスは「イク」ことがゴールではありません http://www.tokyoheadline.com/356280/  まずはよくあるこの「こじらせ」。  「セックスはこうあるべきだ」とか、「女性はこうあるべきだ」と最初から決め付けて、感情や欲望と、頭で考えていることが合っていない。  つまり、現実を見ないで頭の中で考えすぎてしまうことからのこじらせです。  「セックスでイケない自分って変?」という悩みの原因もそこにあると言えます。  パートナーとの意思疎通とか、自分がセックスを楽しむことを置いてけぼりにして、「イクというのがセックスのゴールらしいぞ…」とどこからか聞いた根拠のないゴールを設定してしまうから悩んでしまうのです。 第21回 おっぱいの悩み http://www.tokyoheadline.com/367094/  なんでもないコンプレックスの話のようですが、どういう理由で悩んでいるかによって、実はこじれているということもあります。  それがこの、「おっぱいの悩み」の回で書いていたことです。  コンプレックスや欠点はあって当たり前ですし、あっても全然問題ないはずです。  なぜ私たちはコンプレックスをなくしたいのか? なくさなければいけないのか?  もしその理由が、「他者からの目が気になるから」というものであれば、それはこじれています。  自分の気持ちと行動がかみ合っていないからです。    頭で考えていることと気持ちの動き、自分と他人。  それだけでこれほどまでにこじれているのですから、男性と女性との間もこじれているのはもちろんです。 第48回 セックスの要望、言えますか? http://www.tokyoheadline.com/381149/  「相手に悪く思われたらいやだから我慢しよう」とか、「こんなこと言われたら引かれるのでは」という不安から、自分がどうしたいかより相手の都合を優先して、その結果こじれてしまう、というパターンもありました。  男女の性に対する考え方は全く違っているのですが、今の日本では、それが可視化された状態にはなっていません。  AVひとつとっても、男性ユーザーと女性ユーザーの感想は全く違うのに。  お互いに、「自分はこれがいいから、相手もこれがいいはずだ」という風に思ってしまい、なんで分かってくれないんだろうということで悩みが深まってしまう。  互いに違うことを理解できていればいいのですが、なかなか難しいものです。  そんな風に、「こうあるべき」「こうでなければいけない」という思い込みに、感情がついていかなくなったとき、人はこじれてしまうのかな、と私は思っています。    子供のころ、親や学校に厳しく言われたりした経験はありませんか?  集団生活においては、ある程度のルールは必要かもしれません。  でも、自分らしく生きることについては、誰かからルールを押し付けられる必要なんてありません。  お互いに違いを認めて、自分にとっての最善を目指していけば、本当はこじらせる必要なんてないのかもしれませんね。  というわけで、なんとなく私の「こじらせ」についての謎が解けてきたみたいです。    次回、「脱こじらせへの道」最終回です。
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