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コロナ危機克服が人を成長させる【鈴木寛の「2020年への篤行録」第79回】

2020.04.13 Vol.729

 今年は桜の見頃が例年より早く訪れましたが、新型コロナウイルスの影響で世の中の花見ムードは消え失せました。私も半世紀以上生きてきて、これほど緊張感に包まれた春を迎えるのは初めてです。

 日本は当初抑え込んだように見えましたが、3月下旬から感染者が急増。4月7日には初の緊急事態宣言も発令されました。一説には、中国から入ってきたウイルスの第一波が失速した後、欧米からの帰国・入国者が持ち込んだ亜種のウイルスが第二波として広がっているという指摘もあります。

 そのあたりは確定的な分析を待ちたいところですが、新型コロナウイルスは、第2次大戦後に人類が直面した感染症としては最強の難敵であることは確かです。難敵である所以は、発生期には正体がわからず、有効な薬も治療法も見出せない、ようやくおぼろげながら敵の姿が見え始めると、今度は新たな症例も報告される…。

「想定外」は医療・行政の現場だけではなく、企業も同様です。顧客の動きが急減し、従業は在宅勤務せざるを得ない。資金繰りも過去になく悪化する…存亡の危機に瀕している企業も続出しています。コロナ危機は、まだ出口が見えない分、リーマンショックや3.11よりも経済的な影響は深刻です。

新型コロナ:3.11に学ばないテレビ【鈴木寛の「2020年への篤行録」第78回】

2020.03.09 Vol.728

 東日本大地震からまもなく9年を迎えるところで、新型コロナウイルスの感染拡大という新たな国難に直面しました。国の専門家会議は2月24日に「今後1~2週間が感染拡大を収束できるか瀬戸際」と訴え、安倍政権は大規模イベントの中止や延期、さらに小中高の休校を要請しました。

 本稿執筆時点(3月4日)でも感染拡大がとどまる気配はみられません。「温かくなればウイルスの動きが鈍くなる」との楽観的な見方もあるようですが、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)のケースでは、WHOが終息宣言をしたのは夏場でした。

 確立された治療法はまだありません。新薬の開発導入には時間を要します。未曾有の危機に陥っているという点では、原発事故のときに放射性物質が拡散した事態と共通します。国民が不安と困惑の連続にいるなかで、専門家やメディアは科学的なエビデンスに依拠し、楽観にも悲観にも偏ることなく、正確なファクトを打ち出して「正しく恐れる」ように呼びかけるべきです。

 しかし原発事故直後の報道と言論は、すさむばかりでした。ネットで真偽不明の情報が飛び交う中で、当時の売れっ子科学コメンテーターまで「日本にはもう住めなくなる」と発信したこともありました。

 テレビ報道でも放射線モニタリングの最高値だけを強調し「福島は危ない」と煽って風評被害が拡大。某局のプロデューサーが「水素爆発の映像を流せば数字(視聴率)が取れる」と平然と私に言ったときの衝撃は今でも忘れられません。この報道のおかげで、福島に医薬品などの支援物資を届けるドライバーがいなくなり、救急搬送患者や病気療養中の方が亡くなりました。

 避難と籠城、二つの選択肢を、各人のケースに応じて、慎重に見極めて判断する必要があったのに、東京のテレビが避難のみを喧伝し、それに煽られた菅直人総理(当時)は、寝たきりの高齢者の避難を強行。その結果、避難などの震災関連死が1600名に及ぶ二次被害が相次ぎました。避難関連死について、NHKを除くテレビ各社は、いまだに、自らの責任に十分に言及していません。

 今回の新型コロナ感染拡大でも、まるで希望者全てにPCR検査を受けさせるべきかのような、医療資源が有限であることを無視した論者をテレビは登場させています。

 政府の対処が後手に回ったのは確かで、批判、非難もやむを得ません。しかし科学的、医学的根拠が不十分、あるいは根拠はあっても非現実的な言説がはびこるメディア空間のありようを見ていると、3.11から何も学んでいないと思わざるを得ません。

(鈴木寛)

クリステンセン教授の訃報に思う“日本のジレンマ” 【鈴木寛の「2020年への篤行録」第77回】

2020.02.10 Vol.727

 彼のことを大学の講義で学生たちに紹介していた、まさにその日のことでした。ハーバード大学経営大学院のクレイトン・クリステンセン教授の訃報に接しました。名著『イノベーションのジレンマ』は、日本でも広く読まれた偉大なる経営学者です。まだ67歳。白血病で闘病中でした。

 同書をまだ読んでない学生にはまさに必読だとずっと薦めてきました。企業の栄枯盛衰がなぜ起こるのか、その本質を見抜いた慧眼は、イノベーションのメカニズムを解剖し、見事に理論化しました。グローバル化やデジタル化でこれからも経済動向が千変万化していくでしょうが、クリステンセン教授の打ち立てた理論は不朽のものといえます。

 クリステンセン教授の理論では、イノベーションには「持続的」と「破壊的」の2種類が存在します。文字通り、前者は、既存の製品やサービスを前提に技術的な改良を加えていくもので、後者は既存の概念を覆す全く新しいもので市場を塗り替えていくことです。有名な事例としてはカメラを取り巻く一大変化でしょう。

 かつて写真フィルム事業の世界的企業だった米コダック社は、19世紀後半から20世紀にかけ、写真や映画の大衆化に貢献しました。しかしデジタル化の進展で、スマートフォン登場などの「破壊的イノベーション」が起きると市場を食われ続けてしまい、ついに2012年に倒産します。

 しかし、実は同社は世界で初めてデジタルカメラを開発していました。それも1975年のことでしたから、iPhone登場より30年以上も前のこと。既存のフィルム事業の存在が同社には大きすぎてデジタル化に舵を切れなかったのです。まさにイノベーションのジレンマでした。

 コダックの栄枯盛衰の本質は戦後日本にもまさに当てはまります。生前のクリステンセン教授も、「1950年代から70年代初頭は市場開拓型イノベーションか破壊的イノベーションだった」とトヨタやソニーなどの事例を挙げつつ、「90年代以降は持続的イノベーションと効率向上型イノベーションに集中し、非常に堅調だった日本経済の原動力が失われた」と指摘されています(参照:Forbes Japan)。

 日本は成熟化・高齢化を背景に既存のシステムを一度壊す勇気を完全に捨て去ってしまったのでしょうか。私の学生たちの意欲あふれる姿を見ていると、決してそんなことはないと信じています。2020年代の逆襲へ、きょうも学生たちを鼓舞していきたいと思います。
        
 (東大・慶応大教授)

「屋根なし」新国立競技場に見る日本の病【鈴木寛の「2020年への篤行録」第76回】

2020.01.13 Vol.726

 あけましておめでとうございます。いよいよ東京オリンピック・パラリンピックイヤーです。メイン競技場である新国立競技場も完成し、12月15日の竣工式に出席しました。隈研吾先生の見事な設計と、のべ150万人の方々の昼夜徹しての作業のたまもので、世界に誇れる競技場になりました。

 私が文科副大臣時代に建て替えを決断し、明治神宮をはじめ近隣の組織団体にご協力をお願いに回りました。財政難を理由に建設に反対した財務省を納得させるため、toto.法を改正してサッカーくじの収益の一部を財源に充てるように調整したことなど、思い出が尽きません。完成した競技場をみて感無量です。

 ただ1点だけ残念な思いもあります。竣工式の天気は幸いにも目の覚めるような青天でしたが、もし強い雨に見舞われていれば、せっかくの門出に水を差すところでした。新しい競技場には当初の構想にあった可動式の屋根がありません。皆様ご記憶の通り、建設費の高騰を巡る騒動でデザインを変更した際に屋根の設置は見送られました。

 屋根の問題は散々批判されましたが、東日本大震災当時、都内の帰宅難民を対策に携わった経験から、帰宅難民の収容に極めて有効な屋根をつける案を強く主張し、当初は30万人の帰宅難民を収容できるよう計画しました。屋根があれば、大規模なコンサートも天候に左右されずに開催可能で、収益改善にも大きな効果があり、オリンピック後の維持費の問題をクリアできるはずでした。

 竣工式後の懇親会で建設を進めてきた皆さんと屋根の追加工事について議論し、引き続き実現の道を探っていく思いで一致しました。ただし、今度は税金を投入しない形で進めます。税金が絡むと、この国は、マスコミが異様に問題を炎上させ、世論が怪物化して物事が何も解決しない宿痾を抱えています。

 あらためて言いますが、帰宅難民対策としても収益改善にも屋根は本当に重要です。複雑な問題を解決するには知恵の出し合いしかありません。

 私の教え子や友人もメディアに大勢おりますし、一人一人はいい人も多いのですが、組織となると、ひたすら炎上させて、対案は出さず、視聴率稼ぎに執心しがちです。心あるメディアの方だけでも、改心していただき、視聴率の前に、地味で落ち着いた大事な議論の積み重ねを見守ってください。皆でワンチームとなれば、よい社会はなんとか作れます。

(東大・慶応大教授)

ヤフー・LINE統合で変わる日本の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」第75回】

2019.12.09 Vol.725

 ヤフーとLINEの経営統合というニュースは、さすがに私も驚きました。ただ「ビッグカップル」が誕生したからというだけではありません。

 そこまでしないとアメリカのGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)や中国のBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ハーウェイ)との戦いに生き残ることができない段階になった現実を改めて突きつけられたことへの思いです。

日本のノーベル賞受賞を先細りさせないためには【鈴木寛の「2020年への篤行録」第74回】

2019.11.11 Vol.724

 今年のノーベル化学賞に、リチウムイオン電池を開発した吉野彰さん(旭化成名誉フェロー)の受賞が決まりました。いまや携帯電話やノートパソコンに不可欠なリチウムイオン電池。吉野さんが80年代に原型を開発してから30年余り、21世紀のIT社会はこのイノベーションなしにあり得ませんでした。

 日本出身の科学者の受賞は、吉野さんが30人目ですが、歴代受賞者の多くが大学の研究者。吉野さんは江崎玲於奈さん(1973年物理学賞、IBM)、田中耕一さん(2002年化学賞、島津製作所)らに続く、民間企業所属の研究者として受賞されたことは大変価値あることだと思います。というのも、官民問わず、研究に投資することの大切さをあらためて認識する契機と思うからです。
 資源がない日本は、人の知恵こそが富の源泉のはず。ところが官民とも心許ないのです。政府の科研費への投入額は、小泉政権の頃までは順調に伸びていましたが、次第に2000億円未満で頭打ちに。これを文科副大臣時代の私の肝いりで基金制度を導入し、2011年度は一気に2600億円まで増やしましたが、近年は2200億円台で横ばいです。

 一方、民間企業の研究費は昨年が13兆7989億円(総務省調べ)ですが、こちらも実はリーマンショック前の水準にやっと戻した感じです。日本企業の内部留保が7年連続で過去最高となる463兆円にのぼったことを考えると、十分な投資をしているのか議論の余地はあるのではないでしょうか。

 今回の吉野さんの受賞の報に、中国メディアでは日本を見直そうと呼びかける論調もあったようです。それはそれで誇らしいと思うものの、彼らは官民とも研究開発にケタ違いの投資をしています。日本は、少子化や理科離れという懸案を抱え、この30年、相対的には投資が不足しています。気がつけば、毎年アジアからの受賞者は中国勢ばかりとなり、日本のプレゼンスが地盤沈下してツケを払う事態は絵空事ではありません。

 毎度のことですが、日本人のノーベル賞受賞が決まると、マスコミはお祭り騒ぎ。肝心の研究の中身のことは小難しいからとばかりに、受賞者の人柄や生い立ちなどのヒューマンストーリーに焦点が集まりがちです。

 吉野さんたちの世代の受賞が「最後の砦」になるのか。浮かれている場合ではありません。科学や研究開発に対する日本社会の総合的なリテラシーが問われているのです。

批判的思考の欠落が日本を迷走させてきた【鈴木寛の「2020年への篤行録」第73回】

2019.10.14 Vol.773

 日本経済の問題を鋭く指摘し続けているデービッド・アトキンソンさんが、東洋経済オンラインのインタビュー記事(10月3日)で興味深い話をされていたのを拝見しました。アトキンソンさんは、人口減少と少子高齢化が進む日本の経済、社会にとって、 生産性の向上が重要であると訴えてきたことでおなじみですが、生産性の低い原因を日本人の働き方、つまり労働者個人の責任に負わせてしまい、中小企業が多すぎるなどの産業構造に原因があるのに「表面的な経済議論しか行われず、泥縄的な解決策しか出てこない」と苦言を呈されます。

 そして、日本のリーダーや専門家が提案する解決策が「失敗」する理由として、「徹底的な要因分析」をしないことを挙げられていました。インタビューでは、事例として女性活躍を挙げ、諸外国よりうまくいかない理由として、保育所を作るという大雑把な話ではダメで、規模の小さく経済合理性の低い企業で働く労働者の比率が高いとする海外の要因分析を紹介しています。

 産業構造に対する彼の見方への賛否は脇に置いて、教育的視点から見逃せないと思ったのは、「徹底的な要因分析」をしないことです。問題の分析には、クリティカルシンキング、つまり前提を疑ったり、問題の所在を一つずつ丁寧に腑分けしたりする批判的・分析的思考が欠かせませんが、アトキンソンさんの指摘を“私なりに要因分析”すると、日本の教育では、そうした思考法を徹底的に鍛える環境が非常に少ないのは事実です。

 それでも、理系の人材は分析思考の素養があり、社会人になってもエンジニアや研究者などとして職業的に鍛えられていきますが、問題は文系人材。私立大学の受験生は数学を選択しなくてもよく、マークシート方式の受験では記述もなく、用意された選択肢から「無批判」に選んでいるだけです。

 そのまま社会に出て行くので、与えられた仕事はこなせても、答えのない問題が起きた時に冷静な分析ができない。だから苦労や迷走をしてしまうのです。当然のことですから、仕組みを作って問題を解決するという発想も出てきにくいのです。2020年度からの入試改革の目的もこれを打開することにあります。

 日本の社会は文系人材を幹部に登用することが多く、クリティカルシンキングが足りないままリーダーや経営者になりうることが深刻です。アメリカの有名大学の前総長に以前聞いたところ、名門企業は就職試験でクリティカルシンキングを重視するそうです。日本もそうしたところから変えるべきでしょう。

(東大・慶応大教授)

ラグビーW杯、平尾さんと作りたかったレガシー【鈴木寛の「2020年への篤行録」第72回】

2019.09.09 Vol.722

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会がいよいよ20日に開幕します。日本は同日、ロシアと初戦に臨み、28日にアイルランド戦、10月5日にサモア戦、そして13日には前回大会で黒星を喫したスコットランドとの顔合わせとなります。強敵ばかりですが、開催国のプライドをかけて初の決勝トーナメント進出に期待したいと思います。

 自国開催のW杯という一生に一度あるかないかの大一番が近づき、胸がおどる一方で、やはりこの人と一緒に見届けられない無念もあります。3年前に亡くなられた元ラグビー日本代表の平尾誠二さん。「スポーツを通じて社会を変えたい」という同じ志を持ち、さまざまな活動をご一緒させていただきました。

 2017年3月の本欄でも書きましたが、阪神大震災に見舞われた神戸の街を、スポーツの力を通じて活気づけようと、2000年に総合型地域スポーツクラブSCIX(スポーツ・コミュニティ&インテリジェンス機構)を設立。神戸製鋼でGMだった平尾さんが理事長に。そして、神戸生まれとはいえ、当時、無名の大学教員に過ぎなかった私を副理事長に選んでくださいました。

 最初はラグビーから年代・性別を問わず、一緒にスポーツを楽しむことを通じて、コミュニティづくりをめざしました。私は政治家になる前から、市民が自立・自律・自発協働する場を作ることをライフワークとして実践し、教育分野ではコミュニティ・スクールを手がけてきましたが、スポーツの分野では、平尾さんとSCIXを立ち上げることで、それまで学校体育主導だった地域スポーツに一石を投じることができました。(なお、SCIXは、日本のNPOとしてスポーツ分野で国から認可を受けた初の事例でした)

 私がコミュニティづくりに力を入れるのは、日本社会はいつの頃からか、何か問題に直面し、直ちに解決できないときには、すぐ「お上」に頼るようになっていたことに危機感があったからです。しかし、まずは、自分たちの知恵や人脈を駆使して、解決策を探る「自治力」がなければ、持続可能な発展はあり得ません。それは、地方創生で地域ごとに明暗が分かれているのを見ればよくわかることだと思います。

 平尾さんは生前、「スポーツは新しいソーシャル・キャピタルとして、その存在意義がますます高まっている」と語られていました。今大会の会場、岩手県釜石市は平尾さんに影響を受けて、震災復興と地域活性の原動力に大会を生かそうとしています。私もその遺志を受け継ぎ実践したいと思います。

れいわ、N国旋風で問われる政治教育の今後【鈴木寛の「2020年への篤行録」第71回】

2019.08.12 Vol.721

 このコラムをお読みの方で「ドラえもん」をご存知ない人はいないでしょう。今から33年前に刊行された単行本の36巻に「めいわくガリバー」というお話があります。

 ガリバー旅行記に感化された、のび太が小人たちの世界に行けば、自分がヒーローになれると思い、ドラえもんに懇願して宇宙旅行に出発。思惑通り小人のいる星に辿り着くのですが、街を歩けば「車を踏みつけるな」「交通事故になる」とクレームをつけられる。空き地に仮住まいのハウスを立てると、町中を日陰で覆ったとして裁判所から立ち退き命令を下される……といった具合で、難渋してしまいます。

「めいわくガリバー」は、ドラえもんを題材にして小学生が政治の仕組みを学べるよう、私も監修した『ドラえもん社会ワールド −政治のしくみ−』(小学館)で収録しました。なぜこの話を選んだのかといえば、世の中でことを成そうとしても、必ずトレードオフや矛盾とぶつかるという政治の現場の本質をわかりやすく伝えようと思ったからです。

 先月の参院選は既成政党に勝者がいない中、新興政党のれいわ新選組とNHKから国民を守る党(N国)が初めて議席を獲得したばかりか、得票率で政党要件をも確保して衝撃を与えました。いずれも選挙前までは政党要件を満たさない政治団体に過ぎず、新聞やテレビでほとんど取り上げられることがなかったのに“躍進”したことが驚きをもって受け止められました。

 両党はネットを主体にした選挙戦で、先鋭化した主張をしていました。これまでの政治や社会の不満に訴求し、かなりの共感を呼んだのは間違いありません。それぞれの政策の是非には立ち入りませんが、確実に言えることは、有権者の心の捉え方が実に“巧み”でした。

 新聞、テレビ等、マスメディアの客観的なフィルタリングを通した選挙「報道」と異なり、ネットは政党や候補者らが発信する「宣伝」情報がそのまま有権者に届くことになります。逆にいえば、有権者一人ひとりに判断する力が問われることになります。

 そして、その判断の礎になるのが、まさに子どもの頃からどのような学びをしてきたかなのです。しかし日本は長らく家庭だけでなく学校ですら、大人と子どもが政治についてじっくり論じたり、考えたりする機会がほとんどありませんでした。三権分立の図解は知っていても、ドラえもんの話で紹介するような社会の矛盾との向き合い方などには無頓着なのです。

 そうした主権者教育の「空白」を突かれた部分はないのか。ネット時代に年々巧妙化する政治マーケティングへの対策は待ったなしです。
(東大・慶応大教授)

全く笑えないG20「すし詰め」騒動【鈴木寛の「2020年への篤行録」第70回】

2019.07.08 Vol.720

 6月28、29日に主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が大阪で行われましたが、G20では図らずも会場設営のことが妙な形で話題になりました。

 初日のメインセッションを前に行われたデジタル経済に関する首脳特別イベント。その会議室が狭く、各国首脳たちが企業の会議室にもあるような長机に「すし詰め」状態で座ったシーンが報道されると、SNS上でたちまち話題となりました。

 会場が決まった経緯について、外務省の担当者は産経新聞の取材に対しノーコメントだったそうですが、今回の会場となったインテックス大阪は、大阪市の人工島・咲洲にある西日本最大級の国際展示場でした。G20は、安倍総理肝いりであったことはもちろん、大阪にとっては6年後の万博を見据えた大型国際イベント。外務省も大阪府・大阪市も入念に準備を重ねてこの会場を選んだと思いますが、SNSやメディアの騒ぎは表層的に思えます。

 インテックス大阪の延べ床面積(70,000m2)は、東京ビッグサイト(95,000m2)、幕張メッセ(72,000m2)に次いで国内3番目の規模でした。しかし築34年と老朽化していました。万博準備やIR誘致に伴う再開発により、新しい施設の構想もあるそうですが、中国などアジア各国に行くと、その数倍の規模の施設がありますから、平成の30年で日本はここでもグローバル競争に遅れをとったことがわかるのです。

 今回の騒ぎを見ていると、数年前の国立競技場の建て替えに伴う迷走劇を思い起こします。計画変更は資材高騰などのやむを得ない事情もありましたが、税金が絡むとメディアの論調は「浪費」と決めつけるのがこの国の特徴です。オリンピック後を見据えた投資としてどの程度が適切なのか冷静に分析した報道や解説はほとんどありませんでした。

 計画を作り直した国立競技場にはエアコンがありません。夏場の大会の観戦環境として不安を残すだけではなく、IOC幹部や各国の政府高官などVIPの接遇の拠点として機能するのか、「安物買いの銭失い」になりそうで、大いに懸念を感じます。

 G20の会議場も、多少の投資をしていまの世界標準を意識した施設があれば新たなブランドを醸成できます。トランプ大統領や習近平主席が使った椅子に座れるとなれば、中国人観光客の見学コースにもでき、映画やテレビドラマのロケ地としても貸し出せたでしょう。国際的なイベントを誘致しやすくなります。

 今回の騒動は、浪費と投資の違いがわかる国民、メディアを育成することの必要性を改めて痛感します。「すし詰め」を笑い事で済ませていいのでしょうか。            

“学校歴”社会から“超高学歴”社会にシフトせよ【鈴木寛の「2020年への篤行録」第69回】

2019.06.10 Vol.719

 6月に入り、主要企業の新卒採用選考が本格化しています。ただ、もうこれは表向きのこと。実態はというと、人手不足による焦りから企業による優秀な学生の囲い込みは熾烈を極めており、就活シーズンは実質的に「終盤戦」です。

 3月に説明会、面接などの選考は6月に入ってから…という各社の横並びの慣行が続いてきましたが、いまや採用はグローバル化しています。大学生が留学をしない「内向き」も指摘される反面、意欲的な学生は卒業後の就職先も日系企業ではなく、若いうちから実力次第で大きな権限や高い報酬を得られる外資系企業をめざすようになっています。実際、東大の優秀な教え子たちを見ていても、その志向は年々強く感じるところです。

 ここにきて経団連の中西宏明会長が「終身雇用を続けるのは難しい」と発言し、新卒一括から通年での採用に変わる方向も見せはじめているのも、遅まきながら危機感が反映されてきたのだと思います。

 ところが日本の経営者、あるいは現場レベルでも、若い社員を育てる側の上司の人たちですら、まだまだ認識が変わっていないと思うことがあります。先月、毎日新聞の教育改革特集『令和のはじめに どう変わる教育』でロングインタビューを受け、そこでも申し上げましたが、そのひとつが「大学で学んだことなんて」という意識があることです。

 日本は学歴社会といわれていましたが、「本当に」そうなのでしょうか。理系人材の専門職は違いますが、文系人材の総合職採用について言えば、どこの大学を出たのか「学校歴」を気にはしても、本人が大学で何を学んできたのか「学歴」を軽視してきたのが全体的な傾向です。

 大学進学率でも見ても日本は5割強にまで増えましたが、それは国内だけの評価。世界的には、オーストラリアの9割をはじめ、他の先進国と比べても低すぎます。特に25歳以上の進学率は約2%と惨たんたるもので、社会に出た後の「学び直し」の環境が少なすぎることが、時代に即応した産業づくりに遅れをとった要因ではないでしょうか。

 かくいう私も学部卒のまま役所と政治家を経験しましたが、海外交渉で渡り合う相手方の政治家や高級官僚は、院卒が当たり前。博士号取得者も珍しくありませんでした。私個人は教授などの肩書きがあったので助かりましたが、官民とも「超高学歴」の人たちを相手に国際競争に身を投じ続けるのも限界でしょう。

 高校無償化や奨学金制度を充実し、政府もリカレント教育を推進するなど、この10年で学びの環境は整ってきました。あとは肝心の世の中の方が頭の切り替えをする段階です。(東大・慶応大教授)

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