トリノオリンピック観戦で連日寝不足の人も多いと思うけど、ヨーロッパの冬といえば、俺は1989年の年末から90年の新年にかけて巡った東欧を思い出すよ。てことで、昨年末に「機会があったらまた話す」と約束してた旅の話をしたいと思う。写真家のハービー山口さんとクリスマスにベルリン入りした話は去年コラムに書いた通りだけど、実はこの旅、そこからが大変だった。そもそも、飛行機に乗るのが嫌いな俺がどうしても行きたいと思ったのは、ベルリンの壁の崩壊から続いた民主化の波をこの目で見たかったからだ。その年には中国で天安門事件があって、その時も「行くしかない」と思ったけど、入れないと言われて断念した経緯があったから、ベルリンで『民の力』を見た俺は、どうしてもヨーロッパの他の国を回ってみたかった。しかし、次の目的地として勢い込んでルーマニアを目指すもチャウシェスク大統領が政変で銃殺され国境越えは断念。転じて、ハンガリーのブタペストへと俺たちは入った。
ブタペストは、そりゃあ美しい町だった。商業主義の看板は一切なく、中世の石造りの町がそのまま息づいている。過去にオスマントルコに侵略された時代もあったからだよな、って思えるイスラム教のモスクみたいな美しい建物もたくさんあって、街の向こうにはドナウ川が悠々と流れている。映画のワンシーンのようでもあり、100
0年も前の町にいるんじゃないかと錯覚する瞬間だった。民主化が進んだ今は街も変わってしまったかもしれないけど、そういう街を見て俺なんかが思うのは、ほんとに資本主義が正しいのかどうかってことだよね。民主国家っていうけど、崩壊した事がすべてにおいてよかった、なんてとても言えないことだよなあ……。まあそれぐらい別世界に来た感覚だったね。
そして、12月31日にはチェコスロバキア(当時)の首都・プラハへとたどり着く。しかし、やって来たはいいが、泊まるところがない。ホテルは全部国営だと聞いていたが、国が倒れたから組織自体が破綻してるし観光客はなだれ込んでるしでどこも満室。広場にぶわーっと人が集まってるから見に行ったら、フェラーリが1台あるだけ。西側のヨーロッパから観光に来た人が乗ってきたんだろうけど、その車がよっぽど珍しかったんだね。で、ハービーちゃんとふたりで宿探しをするんだけど、見つかったのは、広場にずらりと立てられた難民キャンプみたいなプレハブ小屋。チェコ人なんて一人もいなくて、アラブ人とかアジア人ばっかりで、ここどこ?って感じだったけど、雨風がしのげるだけいいわって、ふたりでコート着たまま小さなベッドに横になってみたけど、暖房なんてないしどうにもクソ寒い。そのうえ、腹が減ってもこんな時期に開いてる店もないし町中には何も売ってないとくる。極寒のプラハで食べ物を求めてふたりで歩き回って、駅の売店でカツレツみたいなのを見つけたけど、かじったら中身がなくて全部油。「うぇ〜、こんなの食えないよ」って、結局ふたりでソーセージを半分ずつかじって、置き去りになってたニクロム線のコンロを拝借して、それで暖をとってた。それでも寒いし、腹は減るし…。何かしようにも、人間、腹が減ってちゃどうにもならん。困り果てた時にすがるのは情けしかない。「よし、物乞いに行こう!」ということになり、俺たちは思いきってある家のドアをコンコンとノックした。(続く)