vol.36
1990年のヨーロッパ冬の旅−その2 雨あがりの空に



 海外で途方に暮れると、自分でも思いがけないほど大胆なことができたりするもんだよな。あのときのノックはまさにそうだった。見ず知らずの家庭の扉を叩くなんて日本じゃ考えられないのにね。

「コン、コン、コン」

 腹が減り途方にくれて、ハービーちゃんとふたりで「物乞いするしかない!」ってことになって、訪ねること数十件目で、やっと、静かに扉を開けてくれたのは……年のころは俺の両親と同じくらいのおっちゃんだった。俺は英語は片言だが、ハービーちゃんは流暢。ここが英語の国じゃないことは分かっていたが、とにかく夢中で説明したね。俺たちは日本から来た、泊るところもままならないうえに、食べるものがないんだよ、腹が減ってたまらないんだ。

 すると、その親父も片言英語だったがなんだか楽しそうな顔して俺たちのことを見て、「俺は若いころ、軍隊でプサンにいたことがあるんだ。そうかお前たちはあの国から来たのか! 懐かしいな、そうか、そうか」

 最初に“日本から来た”って言ってるじゃん、と思いつつ、それはそれ。いっしょくたになってんだろうなという事で、“いいや、プサンから来たってことにしちゃえ”って「そう、そう」と答える。すると「ちょっと待ってろ」と手で合図して、しばらくしたら薄切りパンの上にソーセージやチーズを乗せたものを持ってきてくれた。暖かくなるからって、酒も飲ませてくれて、親父の親切のおかげでホントに生き返った。お金払うよ、って言ったら、いいよ、いらないよって言うし、どこに泊ってるんだ?と聞くもんだから、「あの広場の…」って言ったら、ああ、あそこか、そりゃ大変だろう、って、奥から酒ビンを持ってきて、「これであったまれ」って酒をわけてくれた。このときはしみじみ、人情のありがたみを感じたね。こうやってたまに思い出すと、あの親父にもう一度会って話したいなって思うよ。もう街も変わっちゃっただろうから親父の家がどこだったか分からないだろうけど。今会っても俺のこと覚えてるかなぁ。

 プラハでは、レンタカーで町中をぐるぐる回ったりもした。しかしまぁ、車がほんとにボコボコなんで、俺が運転するとすぐ止まっちゃう。ハービーちゃんが「吉川さんの運転が悪いから」っていうから「じゃあ運転してよ」って変わるとなぜか壊れない。おまけにハービーちゃんは車を止めると写真を撮りに行っちゃうから、俺はひとりで散歩しながら詞を書いたりしてたよ。やっぱり東欧をまわっていろいろ感じることはあったからね。今思うとすごく稚拙な詞だけど、まあ、頑張って書いてるなって感じかな…。

 天安門事件が起きた時も、戦車の前に立ちはだかっている人を見て『アフター・ザ・レイン』っていう曲を書いたことがあって、いつか雨が上がるように、キミの勇気もいつか報われる時がくるっていう詞だったんだけど…やっぱりああいう人たちを見てると感動するよね。

 その時の歌が入ってるのがコンプレックスの2枚目のアルバムだから、わたくし22歳。土に埋まって寝たって死なないような年齢だから、ああいう旅が出来たんだろうね。とにかく、いろんな意味でいい経験だったのはまちがいない。(続く)

  
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