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【インタビュー】ノゾエ征爾「自分の青春の原点というか衝動の原点に立ち返ったような作品」

2020.02.23 Vol.Web Original

 劇作家で演出家、そして俳優としても活躍するノゾエ征爾が主宰を務める劇団「はえぎわ」の番外公演『お化けの進くん』が2月28日から東京・有楽町のニッポン放送 イマジン・スタジオで上演される。番外公演ではあるが、はえぎわの公演は約1年ぶり。今回は「“ミュージカルみたいな”作品」と言うノゾエに話を聞いた。

「ミュージカルみたいな」作品 はえぎわ番外公演『お化けの進くん』

2020.02.19 Vol.727

 2016年には亡き蜷川幸雄氏の遺志を継ぎ『1万人のゴールド・シアター2016』、昨秋の東京芸術祭では74人の出演者による野外劇『吾輩は猫である』の演出を手掛けるなど話題作が続くノゾエ征爾。

 今回はニッポン放送のプロデュースで自ら主宰を務める劇団、はえぎわでの番外公演。ニッポン放送とは2016年の『其処馬鹿と泣く』に続き2度目のタッグとなる。

 本作は「あんまり歌えない人たち」による「小さな空間」での「ミュージカルみたいな」作品で「音階」の概念が分からない男の子・進くんのお話となる。

 SAKEROCKのメンバーであった田中馨率いるバンド「Hei tanaka」から田中、あだち麗三郎、池田俊彦の3人が参加し、生バンドで演奏するのだから「ミュージカル」と言ってもよさそうなものなのだが、あえて「ミュージカルみたいな」というのがノゾエ流。
 2012年に『〇〇トアル風景』で第56回岸田國士戯曲賞を受賞後の作品は特に観劇後に感じるちょっとした切なさが強めの作品が増えてきた。今回は若干にぎやかめの作品のようだが、果たしてどのような作品に仕上げてくれるのか。

 なお、はえぎわとしては今年はこの公演のみとなるので、古くからのファンには必見の作品となる。

【下北沢で観劇始め!!】はえぎわ『桜のその薗〜ミワクの鳥が踊る町の山の川の果ての鈴鳴る滝で一人龍を征す』

2019.01.21 Vol.714

 ノゾエ征爾率いる劇団はえぎわが今年、結成20周年を迎える。

 はえぎわの本公演は2016年の8月以来。この間、ノゾエは多くの外部公演で作・演出を務めた。中でも2016年12月の彩の国さいたま芸術劇場『1万人のゴールド・シアター2016』ではもともと脚本を担当していたものの、演出を務める予定だった蜷川幸雄氏が本番を前に逝去したことから自ら志願する形で演出も担当。演劇人として大きな成長を促す出来事となった。その後もさまざまなところで名前を見かけるように、その活躍ぶりは周知の知るところだろう。それは俳優たちにも言えることで、劇団公演がない間、みな多くの客演をこなし実力と認知度を高めてきた。

 しかし気心の知れた、もっというと無理の利くメンバーと作る作品は外部公演とは明らかに違うはず。劇団結成後、これだけ本公演の間が空いたことはなく、その分今回はそれぞれが外部で吸収してきたものを集結させた作品となるはず。
 今回のお話はノゾエ曰く「解散しない集団が作る、解散にまつわる物語」という。

 タイトルをよ〜く見ると出演者全員の名前が織り込まれている。こんなところにも劇団公演ならでは感があっていい。

本公演だけどいつもとはちょっと違った雰囲気
『飛ぶひと』はえぎわ

2015.03.22 Vol.639

 本作は2月に広島のアステールプラザで、広島の演劇人を中心とした座組で上演された作品。広島公演からは引き続き3人の俳優が出演する。

 広島県の広島市文化財団では「演劇引力廣島」という演劇ワークショップ事業を行っているのだが、そこでは毎年、演劇界の第一線で活躍する演出家やスタッフを招聘し、地元の演劇人たちと協働でプロデュース公演を創作している。定期的に行われていて、今回で12回目を迎えるという本格的なもの。このプロデュース公演のほかにも「演劇学校」という形で演劇人の養成も行うなど、広島の演劇熱は思いのほか高い。

 ノゾエ自身、2011年には演劇学校の講師を務め、『ガラパコスパコス 広島 ver.』を上演するなど「演劇引力廣島」とは深い関わりを持っている。

 今回ノゾエは作品作りのために1月上旬から広島に滞在。広島の人たちとともに一から作品を作った。そして2011年のときはもともとあった戯曲を上演したのだが、今回は新作を書き下ろした。

 ノゾエはふだんはあて書きで脚本を書く作家なので、はえぎわの本公演ではあるものの、その点ではいつもと違った空気感の作品になっているかもしれない。

岸田戯曲賞受賞者による2本の作品 はえぎわ『ハエのように舞い 牛は笑う』

2014.08.03 Vol.623

 今年で15周年を迎えたのだという。旗揚げから数年は“とがった”とか“奇抜な”という言葉で形容される作品が多かった「はえぎわ」。というかノゾエ征爾。それがいつのころからか、見る者に人生を深く考察させるような作品が増えてきた。

 こう書くと年齢とともに角が取れて丸くなったような印象を受けるかもしれないが、そんなことは決してない。人間、根っからの奇抜さはそうそう抜けるものではないわけで、そういった部分は作品中の所々で顔を出す。

 かつては作品中にまんべんなく散らばっていた奇抜さが、今ではひとつ所に集中しているとでも言おうか。この成熟した奇抜さとベーシックな部分が絶妙に並び立つことによって、互いを際立たせているといった感じ。

 本作は「はえぎわの、新たな一歩の最初の一歩」となる作品という。さて、ここからまたどんな歩みを見せてくれるのか。

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