
vol.328
引退古田「また、あいましょう」
7日神宮球場で行われた東京ヤクルト・スワローズVS広島東洋カープ戦の試合後、古田敦也プレイングマネジャーの本拠地最終戦での引退セレモニーが開催された。
古田PMは「18年間、ありがとうございました。また、あいましょう」と、万感の思いでファンに別れを告げた。
首位打者、歴代最高の盗塁阻止率.644、2度のMVP。大学、社会人出の選手で初の通算2000安打も記録。この夜は4打数無安打に終わったが、日本を代表する捕手であり続け、「眼鏡の捕手は大成しない」との常識を覆した。
球界再編問題が起きた2004年には、選手会長として史上初のストライキを指揮してオーナー側に対抗した。「全力で突っ走った。あのときファンの力で食い止めていなかったら、いまごろ10球団や8球団になっていた」。選手会事務局から、額に入ったスト妥結を報じる新聞の号外を贈られ、感慨深い笑顔で受け取った。
常に野球界の発展を考えて歩んだ18年のプロ生活。兼任が負担となって監督としては名を残せなかったが、選手としては有り余る足跡を残した。
最終打席では今季限りで引退する広島の佐々岡が対戦相手を務めた。前日の横浜戦で引退試合を終えていた佐々岡の突然の登板に球場は大歓声に包まれた。2人はアマチュア時代に日本代表でバッテリーを組んだ経験があり、この日は佐々岡が希望しての登板。カウント2−1から遊ゴロに終わった。佐々岡は「全部真っすぐを真ん中に投げるつもりだったけど、球が遅すぎた。すごくいい思い出になりました」と感慨に浸った。試合後、球場を引き揚げる佐々岡に対してスタンドを埋めたヤクルトファンから感謝の大「佐々岡コール」が送られた。
〈古田PMのコメント〉「あっという間に1日が過ぎてしまった。セレモニーでは泣くまいと思っていたけど、真中が先に泣いちゃって。一番の思い出は2001年の優勝。(日本一を決めた)最後のアウトが捕邪飛で神宮で胴上げをできた。けがをしていて苦しかったし。若いころなら(1992年の)荒木(大輔)さんの復活劇。衝撃度ではあれが一番だった。最後の打席に(アマ時代の)全日本でも一緒で、同期入団の佐々岡と対戦できてよかった。『一生懸命、投げますから打ってください』と言われたけど、打てんかったなあ。やり遂げたというほどのことはないが、悔いのないようやってきた。選手としてはきょうで終わりです」