
vol.343
『ぼくの好きな先生』『パリ・ルーヴル美術館の秘密』――
数々の傑作ドキュメンタリー映画の生み出す“まなざしの天才”
ニコラ・フィリベール
ドキュメンタリー映画を見ながら、クスクス笑ったり、胸がいっぱいになったり、誰かと話がしたくなった経験があるのなら、あなたはすでにニコラ・フィリベールの作品に出会っているのかもしれない。世界最大の美術館・ルーヴル美術館の知られざる舞台裏を描いた『パリ・ルーヴル美術館の秘密』、ろう学校に通う人々の、驚くほど豊かな感覚にあふれた日常を描いた『音のない世界で』、1人の教師を中心に、同じ村に暮らす幼稚園から小学校最終学年までの子供たちがともに机を並べるクラスの日常を描いた『僕の好きな先生』…。長年にわたり多くの傑作ドキュメンタリーを手がけてきたフランスの映画監督ニコラ・フィリベール。ドキュメンタリー映画の最高峰ともいうべき存在だが、その作品は、普段ドキュメンタリーを見ないような人でも楽しませる魅力にあふれている。しかし彼は決して“観客のための”作品を作っているのではない。
「映画を作るとき、見てくれる観客が少ないか多いかなんてことは考えていません。例え観客のことを考えて作っても、結局思い通りにいくはずがないので。だから、観客が気に入るかどうかを考えることに意味があるとは思わないんです。そんなことより、自分がやりたいこと、やっていることに対して誠実でいることが大切だと思う。むしろそれさえを守っていればいいと思うんです」
とはいえ、今回手がけた新作『かつて、ノルマンディーで』については、観客の視点についても考える必要があった。フィリベール監督が助監督として参加した、ルネ・アリオ監督の作品が撮影された村を30年ぶりに訪ね、俳優として映画に参加した村人たちと再会する、いわば監督の原点回帰。
「今回の作品に限っては、アリオの作品を見ていない人たちや、映画マニアでない人たちにも分かってもらえるような映画作りをしようと努めました。アリオの映画を見た人はほんのわずかですからね。もしアリオの映画を見たことのある人や、事件を知っている人たちだけが分かるような映画であれば、日本で公開されるチャンスなんてなかったでしょう(笑)」。
監督個人のアルバムのような作品であるはずが“映画に突然携わった人々の、その後の半生と思い出”を綴るハートフルで普遍的な作品となった。監督の作品に対する姿勢は厳しいが、思えばその作品はとてもハートフル。
「自分に対する要求は高くなければいけないと思います。そして、観客の考える力を前提とすること。扇情的に、安易な感情を喚起させようとすることはしない。シリアスな映画だからといって娯楽性がまったくないかというと、そんなことはないんです。私は、娯楽的な映画と知的な映画が対立しているとは思いません」
今でこそドキュメンタリー映画を敬遠する向きが減りつつあるが、彼こそはその傾向に挑み続けてきた監督。
「日本だけじゃなくて世界中どこでもそういう傾向がありますよ。フランスでもドキュメンタリーというと教育的で退屈だと言う人は多い。ドキュメンタリー映画がなにかを教えてくれることは確かですが、それと同時に楽しませてくれる一面も持てるんです。最近のドキュメンタリーの事情は少しずつ変わってきていて、感動したり笑ったりするものも増えてきている。昔ほど頭が痛くなるようなものではなくなってきましたね(笑)。私自身、ドキュメンタリーにまとわり付くこのイメージを、なんとか変えようとしているんです。私は、ドキュメンタリー映画はフィクション映画と同じくらい広いレンジを持った、とてもバリエーションの豊かなジャンルだと思うのです」
なぜ、人はドキュメンタリーを退屈だと思うのだろう?
「実際の状況や実際の人々を撮っているというだけで、ドキュメンタリーとは、現実をそのまま映し出していると思われがちです。それで人々は“現実のことなら、映画館で見なくても知ってるよ”と感じてしまう。私たちはまるで、映画は現実から逃避させてくれるもので、そのために見るものだと考えている部分がある。だから、わざわざ知っている現実を映画館に見に行く必要なんてない…と思ってしまうのではないでしょうか。でもドキュメンタリーは、決してありのままの現実を映し出しているだけではない、と思うんですね。そこには作家の解釈があって、作品は主観的な視点によるビジョンが再構築されたものなのであって、皆さんが知っている現実ありのままではないんです」
確かに、フィリベール監督ならではのユーモラスな視点に、その作品の中で度々お目にかかっている。そんなフィリベール監督の“まなざし”に触れてほしい。
(本紙・秋吉布由子)