EXILE TETSUYA「絶対に負けないという気持ちであがき続けてここまで来た」

4月に行われたEXILE PERFORMER BATTLE AUDITIONで、新たに5人のメンバーが入り19人体制となったEXILE。自身も2代目J Soul Brothersを経て、2009年にEXILEに加入したTETSUYAが、第4章をスタートさせた新生EXILEについて語る。また、月刊EXILEの連載からスタートした「EXILEパフォーマンス研究所(E.P.I.)」の所長としての活動や今後の展望、オリンピックについての思いなども。さらに読者からのさまざまな質問にも回答。何事にも真っ直ぐに向き合うTETSUYAの素顔が見られる。

一木(以下、一)「EXILEが4月から19人体制になりましたがいかがですか」
TETSUYA(以下、T)「第4章のスタートということで、全く新しくなったなという感じがします。これまでのEXILEの良さは残しながら、それをいい意味でぶち壊して、新しいものを作る。そこに自分の役割のようなものがあるんじゃないかな。一番若い子とは10歳ぐらい違いますから、ギャップは感じます。TAIKIとかもう何が共通の話題なのか分からない (笑)。弟みたいな感じかなって思っていたら、それよりも下ですから、戸惑う時もあります。でも自分も2009年からEXILEに入ったので、その当時のことを思い出すと彼らの気持ちも理解できる。反対に、自分は先輩からこういうふうに思われていたんだとか、先輩はこういうふうに思ったらこうしてくれたんだなとか、その先輩の気持ちも分かる。食事にもよく連れて行ってもらったし、飲みにも誘ってくれた。そういう役割は、今回は自分たちの役割だと思っています」

一「EXPGのインストラクター、2代目 J Soul Brothersを経てEXILEになったけど、その転機の時に自分を奮い立たせたものはなんだったんですか?」
T「あがきです。すごくうまくいかないことだらけで、ちっとも順調な人生でもなく、もがいてもがいて、あがき続けてここまで来た。格闘技でいえばKO寸前まで追い詰められたことは何度もありましたが、ラストチャンスだと思って、思い切って手を出したらパンチが当たってしまったということが多かった。上京してからも、もうやめて、地元に帰ろうと思ったこともある。でもその度に、“あと1回だけあがいてみよう。これで最後でもいいから、あと1回やってみよう。”と思ってきた。EXPGのインストラクターや2代目J Soul Brothersの時にも、もうダメだと思うことが何度もありましたが、絶対に負けないという気持ちだけは持ち続けていたような気がします」

一「夢の課外授業スペシャルなどでも、復興支援として東北に行かれたり、いろいろな活動をしたりしていますが…」
T「震災っていうもの僕の中ではすごく大きかった。自分の考えが変わった転機でもあったし、そこで掲げた“日本を元気に”っていう言葉がすごく自分を変えてくれました。ですから、2020年には日本はこんなに元気になりましたって叫べるぐらいのダンスをオリンピックの開会式で踊りたい。復興支援ソング “Rising Sun”の詞は ATSUSHI君が書いたんですけど、“その光がここから、どこまでも広がってく”っていう詞が、自分の気持ちにすごくぴったりだったんです。夢の課外授業の国体でのフィナーレでは、そこのところでブワーって鳥肌が立ちました。その国体では、HIROさんが、最初に人差し指を天に向けて上げていくという振りには“願い”や“祈り”を込めているって言ったんです。それについては、メンバーには特にインフォメーションはなかった。でもみんな必ずそう思ってやっていましたね。全員がそういう気持ちでやっていたのは分かっていたので、改めてHIROさんが言っていたのを聞いたときに、やっぱりそうですよねって、確認ができてちょっと安心しました。その国体で踊った時に、たくさんの人と、思いを同じにして一緒に踊ることの素晴らしさが実感として分かったんだと思います。その一つの形として、オリンピック・パラリンピックにつながったら最高ですね」

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