中村七之助 今年も華やかに開催!赤坂大歌舞伎

2008年、十八世中村勘三郎の“芸能の街・赤坂で歌舞伎を”の一言から始まった「赤坂大歌舞伎」。勘三郎亡き後、中村勘九郎、中村七之助の兄弟を中心に2013年に新たに開幕。第4回目となる今年は、上演演目が2作とも古典という初の試みだ。赤坂大歌舞伎のこと、歌舞伎界のこと、そして偉大なる父・勘三郎について七之助が語る。

赤坂大歌舞伎は父が遺してくれた宝物。兄弟で身を引き締めて挑みたい

「赤坂大歌舞伎は僕たち兄弟にとってはもちろんですが、父にとってもすごく大切な公演のひとつでした。残念ながら父はいなくなってしまいましたけど、その父が亡くなった後も遺してくれた宝物として、私たち兄弟が気を引き締めてやらなくちゃいけない公演のひとつだと思っています」

 平成中村座、コクーン歌舞伎など、歌舞伎をさまざまな形で広めた十八世中村勘三郎。七之助は、赤坂大歌舞伎を“宝物”と表現。

「父が始めたということもありますけど、とにかく楽しいんです。TBSのスタッフの皆様とも仲が良くて(笑)。僕たちがほかの舞台をやっている時もいつも見に来てくれるし、そういうことがすごくうれしい。だから僕たちもこの人たちのために、赤坂ACTシアターで何かやりたいなと思うし、一緒にやってうまくいったら最高だろうなという気持ちにさせてくれます」

 今回は勘九郎がユーモアあふれる舞踊『操り三番叟』を、そして七之助は七役の早替りが見所のひとつである『於染久松色読販 お染の七役』を演じる。2演目とも古典をやるのは初めてのことだ。

「いろいろな演目を出してはああでもない、こうでもないとみんなですごく悩みました。それで、最後に残ったのが、今回やる2つだった。これは僕たちにとってもすごくチャレンジなんです。今までの赤坂大歌舞伎は、古典的な踊りがあったら、もう1つは『狐狸狐狸ばなし』のような分かりやすいものにするとか、山田洋次監督に補綴をしていただいた『文七元結』をやるなど、親しみやすいものを取り入れていました。また、2013年に初めて僕たちだけでやった時も『怪談乳房榎』のようにとても分かりやすく、初めて見る方がなんの抵抗もなく見られるものに、古典的な踊りを組み合わせるなど、分かりやすいものと古典が両方見られるというスタイルでした。しかし今回は両方とも古典、それも昔ながらのというものを持ってきました。この演目を2つ並べた理由は、もしこれを見たお客様が“こういう歌舞伎も面白いね”って受け入れて下さったら今後、この赤坂大歌舞伎でできることが広がってくるんですね。これをやっておくことで、次に新作も持ってこられる。古典と新作が両方楽しめるという可能性が広がると思うんです。ですから、4回目にしてちょっとチャレンジの演目を持ってこようと。かと言って、この2つが難しいかといったら、全くそんなことはない。古典ですが楽しめる演目になっているので、あまり構えないで見に来て下さるといいなと思いますね」

 勘九郎の『操り三番叟』はちょっと変わった踊りだとか。

「三番叟は、五穀豊穣を寿ぐとてもおめでたい踊りです。その中のひとつなんですが、演目にあるように後見に操り人形が操られて踊りだす。操り人形ですから、表情もないし、踊りがコミカルなんです。今でいうロボットダンスのようなものです(笑)。日本舞踊的なロボットダンス。内容も分かりやすく、純粋に見ているだけで楽しい。やっているほうはすごく大変だと思いますけど、歌舞伎を知らなくても笑っちゃう演目だと思います」

 七之助のやる『於染久松色読販 お染の七役』は、2012年の平成中村座公演での初演以来2度目となる。

「これは玉三郎のおじさまに教えていただいたんですけど、習った通りにきちんとやりたいなと思っています。お染久松の話が主になっていますが、早替りだけ見ても、楽しめますし、七役をどう演じ分けるのかを楽しんでもらっても溶け込みやすいと思います。お六さんなんて、悪婆と言われる役ですが、演じていて楽しいです。男勝りでいつも悪態をついているけど、とってもチャーミング。ゆすりもしてしまいます(笑)。そういうのは、演じていてスカッと気持ちがいいです。逆にお染は世間知らずのぼーっとしたお嬢さん(笑)。何を考えているか分からない。とりあえず久松のことばかり考えているというどうしようもない人(笑)。ほかにも、翻弄される役、嫉妬に狂う役、早くお酒を飲んで男の人のところに行きたい芸者さんなど、人間味のあふれる個性的な役が多いので、全部楽しいです。役の切り替えは、気持ちもそうですが、歌舞伎の形をきちっとやること。そこをちゃんとしておくと、お客様にも伝わりやすい。娘役なら、首の傾け方、姿勢、歩き方、手の動かし方など。大きな劇場でやることが多いので、表情や声だけでは分かりにくいんです。年齢や性別だけじゃなくて、芯のある人、色気のある人っていうのもパッと形を見せることで、切り替えるようにしています。それをやることで、内面からこういう人だっていうのがどんどん出てくる感じです。例えばお家のために翻弄されているっていう設定があるとすると、その気持ちを自分の中にストックして持っている。そしてその人を演じる時に、形で一瞬でお客様に伝える。そうしたらお客様も見やすいし楽ですよね。もちろん、僕自身も楽ですし(笑)。それは玉三郎のおじさまにも、繰り返し言われました。今度は2度目なので、自分の中ではハードルを上げていきたいと思っています。3年前より、よくできていないといけないし、もう一度気を引き締めて、あの時の教わったパワーを思い出します。そしてこの3年間で身に付けた技術的なものを取り入れて、あの時できなかったこともできればと思います。玉三郎のおじさまには、また演じさせていただくというのは報告しましたが、まだお稽古はみていただいていません。ですが、お稽古をみていただきたいとは思っています。しかし、教えていただいたことがどこかにいってしまっていたらどうしようというのはありますが…(笑)」

 先輩から稽古をつけてもらって、受け継がれてきた歌舞伎。その形をきちんと受け継ぎながらも“型破り”で新しいことに挑戦してきたのが父・勘三郎だ。

「歌舞伎はジャンルが広いというのが魅力のひとつでもあります。可能性が限りなく広がる演劇。古典といわれているものは、昔の方がずっとやられてきた洗練された揺るがない基盤があり、その魅力は多くの日本人の方は感じることができると思います。自分が歌舞伎をやっているからというわけではありませんが、いろいろなお芝居や映画と比べても、歌舞伎はよく昔の人はこんなこと考えたなと思うようなものもある(笑)。その演目の多さたるやすごいですよ。また、7月に出演した『阿弖流為(アテルイ)』みたいに、ギターを使ってバンドが入って歌舞伎NEXTという形の歌舞伎もできる。その振り幅は、世の中の演劇の中で歌舞伎が一番だと思います」

 ここ数年、市川團十郎、中村勘三郎、坂東三津五郎など役者として脂がのりきっているはずの人気役者がいなくなり、昔からの歌舞伎ファンの中には喪失感があるともいわれているが。

「僕もすごく寂しいです。團十郎のおじさましかり、父、三津五郎のおじさま…。僕の大好きだった先輩たちが亡くなりました。個人的にもものすごく寂しいけど、僕もファンの皆さんと同じように、あの人たちの芝居を見られなくなったのがすごく寂しい。やっぱり見たいです。例えば、“この役を三津五郎のおじさまがやれば絶対に面白いのに”とか “この新作のこの役は父にやってほしいな”とか思いますし。でもそれはみんなそうだと思うんです。多分父たちも偉大なる先輩が亡くなった時に思ったでしょう。しかし、そこで衰退しないのは、背中を見て育ってきているっていうのが大きい。先輩たちがやってきた姿勢、演劇を追求しようとしている気持ち、それが歌舞伎が何百年も続いた理由だと思います。誰ひとり手を抜いていない。それ以上に、先輩を見て、自分もそういう役者になりたいと思う。そこだと思います。だから僕がうちの父親を見てやりたいと思ったように、この前、甥の七緒八が『阿弖流為』で坂上田村麻呂を演じたいと言っている姿を見ると、後輩たちにこう思わせなくちゃいけないんだなと思います。だから僕が中村屋を継承するとか、引っ張っていくとか、そういうことはあまり考えてないです。歌舞伎はみんなが一生懸命同じ方向を見て、手を取り合ってやっていけば絶対にいい方向に向かって行く。それは危機感を持ってやるというのは大前提で、次につなげるというより、背中を見せることだと思っています」

 父・勘三郎も若いころに父・十七世勘三郎を亡くしている。

「うちの父が亡くなったのは、兄の勘九郎襲名興行の真っ最中という大変な時期でした。今思うとそれが良かったというか、逆に精神的に張り詰めていた分、耐えることができた。父が病院にいて“隆行(七之助の本名)、襲名中は兄貴を支えろよ”っていう言葉がずっと残っていたので、それが力となって無事襲名披露興行を終えることができました。その時にやはり兄弟がいて良かったなと思いましたね。ひとりだったら…どうなっていたか分からない。父はお姉さんが2人いましたけど、男ひとりですから、大変だったんだろうなと思います。日ごろから“兄弟仲良くしろよ。俺はひとりだったけど、お前たちは2人なんだから、努力すれば俺の倍のことができるんだ”って言っていましたから。もちろんまだまだ父の足元にも及びませんが、亡くなった時に、2人だからいろいろなことができると改めて実感したことは確かです」

 勘三郎が始めた赤坂大歌舞伎も、演目の選定も自分たちなりに行い、新しいものにも挑戦していく2人。赤坂大歌舞伎をこれからどう育てていくのか。

「うちの父が昔ながらの芝居の街で、芝居がないのは寂しいと言ってやり始めたんですね。料亭があって、芸妓さんがいて…という粋な街ですし。それで赤坂ACTシアターができた時に、歌舞伎をやろうと。スタッフの方もその当時からとても良くしてくださり、歌舞伎を赤坂の街でやるという伝統を残していこうとして下さった。ですから赤坂ACTシアターのお客様に合った演目をこれまで選んできましたが、今回は今までとちょっと違うチョイスで挑戦させていただく。これはうちの父が愛した、情熱のぶつかり合いだと思っているので、これまでの赤坂大歌舞伎の伝統を残しつつ、新しいものをみなさんにお見せしていければと思っています。この小屋にあった赤坂ACTシアターならではの新作っていうものも絶対にあると思うし、ほかの小屋とは違うテイストの、赤坂大歌舞伎らしいものを確立していきたい。一番最初に“宝物”だと言いましたけど、父が亡くなった時、本当は続けられなくても、いや、続けられないのが当然だったと思うんです。でもTBSのみなさん、松竹のみなさん、そしてお客様が残しましょうと言って下さった。それは確実に父に対してのリスペクトだと思いますし、皆さんの父を愛する気持ちがあってこそだと思うんです。そこはみなさんの愛を忘れずにやっていかなくてはならない。だから、本当に宝物だと思います。平成中村座がこんなにも早く建てられるのも、やはり父が偉大だったからでしょう。それはやはり一生そう思って生きていくんでしょうね。平成中村座は自分たちがやったとか、赤坂大歌舞伎は自分たちだからできるんだなんて一生思わないでしょう。それは父に感謝ですし、それに少しでも恩返しができればという気持ちだけです。もちろん自分たちのためにもやりますが、お客様、スタッフのみなさんといった父を愛してくださった人たちに対しての恩返しという気持ちはとても大きいし、いつも心の中で持っています」(本紙・水野陽子)

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赤坂大歌舞伎製作記者発表会見

 先月、都内の会場で赤坂大歌舞伎の製作記者発表会見が行われ、中村勘九郎、中村七之助が揃って登場。勘九郎がその意気込みを語った。

「父が遺してくれた財産のひとつである赤坂大歌舞伎をまた今年もできるという喜びでいっぱいです。この7年間いろんなことがありましたけど、本当に早かった。赤坂ACTシアターは、歌舞伎座で上演している歌舞伎を演出を変えずにやることができる貴重な場所です。今回は歌舞伎の初心者から、昔からの歌舞伎ファンの皆様まで楽しんでいただける演目だと思います。赤坂は歌舞伎を初めてご覧になるお客様が多い。初めて見る作品はとても大切です。最初に見たものがつまらなかったら2度と見て下さらないかも知れない。ですから皆が楽しめるものを提供したい。分かりやすいもの、古典を大切にするという気持ちは父から受け継いでおります。『操り三番叟』は、五穀豊穣を願うおめでたい踊り。それが操られているのでコミカルにもなっています。『於染久松色読販 お染の七役』の前菜のような存在になれればと思います。また、赤坂ACTシアターで上演したことが海外公演につながっています。2014年、ニューヨークのローズシアターで公演ができたのも、ここ赤坂ACTシアターで上演し、そのセットをそのまま使うことができたから。寸法が同じだったんですよ。だからここで『於染久松色読販 お染の七役』ができたらニューヨークでもできる。赤坂発信は多いので、そういう意味でもすごく可能性のある舞台になると思います」

赤坂大歌舞伎
【日程】9月7日(月)〜25日(金)【会場】赤坂ACTシアター【料金】S席 1万1500円、A席 8000円、B席 4000円(全席指定・税込)【問い合わせ】サンライズプロモーション東京 TEL:0570-00-3337(10〜18時)