小手伸也「自分のセンサー次第で感じ方ががらりと変わる作品」

(撮影・辰根東醐)
 それはそれぞれの人によっても変わりそう?

「そうだと思います。そういうことがあるからこそ、この作品は普遍的なテーマ性をはらんでいるというか、時代を超越して古さを感じさせない。あるいはすごく特定の国家の特定の時期をモデルにしているけれど、ものすごく今の時世をとらえているようにも見えるというのは、チューニングのレベル次第で見えてくるものが違うからなんだろうなと思いました。僕が混乱したのは、振り切った状態にチューニングしたら、トム・ストッパードが抱え込んでいる内面の問題に真正面から向き合うことになってしまったからかもしれない。そういう本って、僕は初めてでした。初回の素読で核心をつかむということには自信があるほうだったんです。それが全然、今回の本に関しては通用しなかった。それは僕自身がこういう翻訳劇とガチンコでやらせてもらうのが初めてということもあると思うんですが、それ以上に今言ったような、この本が持っている底力みたいなものにまだ僕が追い付いていなかったのかもしれない」

 政治的な意味合いでは今の日本にかぶるところもある。演出家のウィル・タケットと話は? 彼は今の日本の状況なんて分かってないですよね。

「一度お会いしました。分かっていないことはないと思いますけど、もう少し視点はグローバルだと思います。僕、生意気に聴いちゃったりしたんですね。“今、この本を日本でやる意味は何だろう?”って。何様だって感じですけど(笑)」

 そんなことないです。

「初めましてですし、ウィルさんも僕がどんな芝居をする人間かお分かりになっていないだろうし、ここで遠慮しても多分何も生まれない。むしろこういう本にガチンコで挑むならば、そういうところは遠慮せずに行かないといけない。多分海外の方って結構ちゃんと失敗を認めてくれると思うんですよね。“間違っていることは間違っていると言ってくださる方だ”というオーラも感じたので(笑)、割と強めにそういう踏み込んだ質問をしてみたら、“特に日本にフォーカスしているわけではなく、もう少しグローバルな世界的な情勢も視野に入っている”といったことをおっしゃっていました。だからこれを日本っぽいと思うのは、やはり僕らが日本人だからということはあるかもしれない。でもこの本に出てくるオーケストラが政府とか体制とか思想といったものを象徴化したものととらえて、極めて政治的なニュアンスを含んだ作品であるという解釈は可能だと思うんですけれども、もう少し違う解釈も可能かなという気はしたんですよね」

 違うというのは?

「それを僕なりに日本的に解釈するのならば、村社会とか共同体幻想とか同調圧力とか、そういったものに置き換えることも可能だと思ったんです。でも同調圧力って多分、割と日本的な概念かもしれません。個人主義が発達している欧米で同調圧力って言われても、っていうのはあると思うんです。それは日本“ならでは”の考え方という感じがするし、そういう意味においては、そのならではを生かせるんじゃないかなって思ったんですよね。それをウィルさんが求めているかは別の話として、結果として日本の観客にそういう伝わり方もしたとしても誰も損をしないような、そういう作品になったら、この作品の持つ多層的な力というものをよりいろんな人に伝えられるんじゃないのかなって思います。純粋なエンタメを求めている人の中には社会派演劇とか政治的思想というものに対してアレルギー反応を示す人がいなくもないのが事実だったりするし、そんなことでハードルを上げたくはないなということもある。僕はとにかくこの本は面白くて楽しめる本だと思うし、なおかつオーケストラと一緒という前代未聞というか、誰も体験したことのない演劇体験を日本でお届けできるというのは挑戦的かつわくわくする事件だと思うんです」