イチローの「革命」を日本社会は生かせたか?【鈴木寛の「2020年への篤行録」第67回】

 そして、そのスタイルはアメリカでも遺憾なく発揮されました。90年代後半の大リーグは、1998年のマグワイアとソーサという2人の強打者による本塁打の歴史的記録レースに見られる「パワープレー」が席巻していました。そこに2001年、イチロー選手がマリナーズに入団し、1年目から首位打者、盗塁王など数々のタイトルを獲得。俊足巧打、華麗な守備で魅了したプレーは、アメリカ人に野球の原点を思い起こさせ、「技術立国・日本」の象徴のようにメディアでも称えられました。

 まさに野球選手としてのイノベーターだったイチロー選手でしたが、その一方で、私たち日本社会は、彼の生き方に学びながら、昭和期のモデルを脱した人づくりの仕組みを平成のうちに作ることができたでしょうか。2020年以降、教育改革が本格的に社会実装されていくとはいえ、教師、保護者などの大人たちがまだまだ古い価値観に囚われていないでしょうか。

 先日、私が実行委員長を務める「全国高校生マイプロジェクトアワード」では、地域活性化や防災推進、小児がんの子どもたちにウィッグを提供するなど素晴らしいアイデアが披露・表彰されました。令和の御世に、各分野の“イチロー”さんを、もっともっと送り出していかねばと思います。
(東大・慶応大教授)
東京大学・慶應義塾大学教授
鈴木寛

1964年生まれ。東京大学法学部卒業後、1986年通商産業省に入省。

山口県庁出向中に吉田松陰の松下村塾を何度も通い、人材育成の重要性に目覚め、「すずかん」の名で親しまれた通産省在任中から大学生などを集めた私塾「すずかんゼミ」を主宰した。省内きってのIT政策通であったが、「IT充実」予算案が旧来型の公共事業予算にすり替えられるなど、官僚の限界を痛感。霞が関から大学教員に転身。慶應義塾大助教授時代は、徹夜で学生たちの相談に乗るなど熱血ぶりを発揮。現在の日本を支えるIT業界の実業家や社会起業家などを多数輩出する。

2012年4月、自身の原点である「人づくり」「社会づくり」にいっそう邁進するべく、一般社団法人社会創発塾を設立。社会起業家の育成に力を入れながら、2014年2月より、東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授に同時就任、日本初の私立・国立大学のクロスアポイントメント。若い世代とともに、世代横断的な視野でより良い社会づくりを目指している。10月より文部科学省参与、2015年2月文部科学大臣補佐官を務める。また、大阪大学招聘教授(医学部・工学部)、中央大学客員教授、電通大学客員教授、福井大学客員教授、和歌山大学客員教授、日本サッカー協会理事、NPO法人日本教育再興連盟代表理事、独立行政法人日本スポーツ振興センター顧問、JASRAC理事などを務める。

日本でいち早く、アクティブ・ラーニングの導入を推進。
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