中曽根康弘元首相が死去。101歳

電電公社、専売公社、国鉄を民営化
戦後初めて首相として靖国公式参拝


 戦後歴代5位の首相在任記録を持つ中曽根康弘元首相が11月29日午前7時22分、老衰のため死去した。101歳だった。

 大正7年5月27日、群馬県高崎市生まれ。昭和16年に東京帝大卒業後、内務省に入り、戦時中は海軍に勤めた。22年1月に内務省を退職。3カ月後の衆院選に初当選し、連続20期56年間、衆院議員を務めた。
1985年のサミットで各国の首脳陣と。左からイギリスのマーガレット・サッチャー首相、ドイツのヘルムート・コール首相、アメリカのロナルド・レーガン大統領、中曽根氏、カナダのブライアン・マルルーニー首相(写真:AP/アフロ)
 憲法改正を生涯のテーマに掲げ、首相公選制の導入も訴えた。原子力の平和利用の推進にも尽力し、原子力基本法制定の先頭に立った。

 34年、科学技術庁長官で初入閣し、運輸相や防衛庁長官、通産相、自民党総務会長、幹事長などを歴任。57年11月、第71代首相に就任すると「戦後政治の総決算」を掲げ、新保守主義に立脚した政治を展開。

 外交では、米国のレーガン大統領(当時)と「ロン・ヤス関係」を構築し、自由主義陣営の一員として日米同盟と反ソ連体制を強化させた。内政では電電公社、専売公社、国鉄の「3公社」の民営化を推進した。在任中にNTTとJTを発足させ、国鉄分割民営化法を成立させた。
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