【TOKYO 2020 COUNTDOWN】根木慎志“車いすバスケのレジェンドが3600校に出向くわけ”


35年間で変わった景色


 ライフワークでは、これまで35年間、全国の小・中高等学校約3600校・80万人の子どもたちに車いすバスケットボールの体験型授業を行ってきた。活動の原動力となっているのは、自身の経験だ。高校3年生の時に交通事故により脊髄を損傷。そのときに救われたのが、車いすバスケットボールだったという。

「僕は車いすバスケに出会って、輝いている人を見て、自分もまた輝けるんだと思えました。競技を通して、応援している人たちに人間の可能性やチャレンジすることの素晴らしさを感じてもらって、今度は自分が輝けるんだということを知ってほしいです。パラリンピックのバリューを実体験した一人として、パラリンピックに行く前から“これは絶対伝えたい”と思って活動してきました」

 活動を続けるなかで、徐々に子どもたちの意識の変化も感じていた。

「私がパラリンピックに出る前は、そもそも“パラリンピックって何?”“車いすバスケって何?”という感じから、今は“知ってる! あれすごいよね”というふうになっています。東京の子どもたちはオリンピック・パラリンピックについてもすごく勉強していて、オリンピックの開催は“世界平和のためです”と、オリンピック創設者・クーベルタンの思いも分かっている。これは、リバース・エデュケーションといって、子どもがオリンピック・パラリンピックのことを勉強したり、アスリートと出会ったりして、それを子どもの言葉で親に話をして“大会を見よう!“となる。それは2000年の頃にはなかった事ですね。当時習った子どもたちが今学校の先生になって呼んでくれているとか、親子二代で話を聞いてくれているとか。そんな時代になっています」

互いに輝かせる「友達」になる


 パラリンピックを通じて「誰もが違いを認めて素敵に輝ける世界」を作りたいと語る根木さん。そこにはスポーツだけに留まらない願いが込められていた。

「人間って輝いている場面もあれば、そうでない時もあるんです。僕たちパラアスリートは競技場では輝いているけど、バリアのある建物や、大雨が降って、坂道ある場所だったら全然輝けない。でもそこで“傘さしましょうか?”とか“車いす押しましょうか?”とか困っているときに手を差し伸べてもらえたら、きっと輝ける。そうやって、お互いに輝かせられる役割を見つけていけたらなと思うんです。子どもたちにはそれを“友達”と呼んでいます。友達が頑張っていたら応援するし、困っていたら助けてあげる、そんなふうに思えたらいいなと思います」

 障害者や健常者という枠を超えて「友達」と伝えるところに、根木さんの明るさや優しさがにじみ出る。車いすバスケットボールの大会では、多くの子どもたちが選手にサインを求め、声を掛ける姿を目にするが、それも根木さんの描く「誰もが違いを認めて素敵に輝ける世界」の一端ではないだろうか。2020年の先にはどんな景色が広がるだろう。根木さんの挑戦は続く。
【Profile】根木慎志 1964年9月28日生、日本パラリンピアンズ協会副会長、岡山県出身。シドニーパラリンピックで男子車いすバスケットボール日本代表チームのキャプテンを務める。また、ライフワークとして、過去35年に渡り全国の小・中高等学校3600校、参加生徒数約80万人に向けて車いすバスケットボールの体験型授業を行ってきた。
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