【徳井健太の菩薩目線】第57回 『酒と話と徳井と芸人』で東野さんが語ってくれた“ダウンタウン”と“芸人観”



 音声コンテンツ『酒と話と徳井と芸人』のゲストに、東野(幸治)さんが来てくれた。打ち上げで会う機会があったから、ダメ元でオファーをしてみると快諾してくれた。『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』(フジテレビ)の収録終わりに、わざわざ中野区の某居酒屋までタクシーでかけつけてくれて。東野さんを尊敬していることは、このコラムでもたびたび触れているけど、東野上人――そう呼びたくなる芸人。

「喫茶店のマスターだと思えばいいんじゃないかな」

 俺が東野さんから伝えられた言葉だ。第37回のコラムで触れたように、「喫茶店のマスターに売れさせる力はないけど、心が休まるようなコーヒーを出すことを心がけてみたら」。以来、俺は売れていない芸人やアイドルに対して、温かいコーヒーを出すように、できるだけ悩みや相談に耳を傾けることを心がけている。

 「徳井君が良いと思ったアイドルを吉村君に伝えることで、人が付いていくタイプである吉村君の発言をきっかけにその子たちが注目を集めるかもしれない。そのときに、「自分の手柄にしやがって」と思うのではなく、徳井君はその様子をテレビで見つめながら、また君の前に現れた悩み人にコーヒーを差し出せばいい」

 俺にとっては祝詞のような助言だった。

『酒と話と徳井と芸人』では、あまり語られることのない東野さん視点による“ダウンタウン”の話がザクザクと登場する。ダウンタウンを超えることができない若手時代の葛藤、ダウンタウンが吉本にもたらしたもの……いかにダウンタウンが次元の違う芸人だったかを追体験できると思うから、『酒と話と徳井と芸人』を、ぜひとも聞いてほしい。宣伝と呼ばれようが構わない。それを差し引いても、この話はすべてのお笑いファンに届いてほしいと思うから。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』についてもいろいろと教えてくれた。本当はあまり話したくなかったのではないか、なんて俺は勝手に思っている。東野さんは、「ごっつの話をみんなが話たがらないのは、喋ることがないから」と、丁寧に説明するんだ。「台本がなかった」から話しようがない、と。話を聞いていくと、当時、ダウンタウンさんは漫才をしていたからコントの作り方に関しては手探りだったという。

 東京に進出して、早々にごっつでコントを作ることになるわけで、ゼロからコントを作っていく――。改めて考えると、いかにダウンタウンがおそろしいことをやり遂げたのか、いかにダウンタウンが放り込まれた環境が目まぐるしいものだったか、背筋がゾクッとしてしまう話だ。コント師ではないのに、数多の名作コントを生み出していく。しかも、テレビという装置で。天才すぎる。

「吉本の中で自分は何番目に面白いか」と東野さんから振られた話も、ぶっ飛んだよね。俺は自分を250番目くらいだと思っていると答えたら、「その前後は誰?」と核心を突いてくる。当然、俺も東野さんに聞き直す。東野さんの“自身が思うランキング”、そして“その前後は誰なのか”……本当に一聴の価値があると思う。

 それゆえに、今回の話を勝手に書き起こしてネットニュースにした場合は、「5万円を請求する」と宣言しておこうかな。記事で一部分を引用する場合も、きちんと出典『酒と話と徳井と芸人』と付記するようお願い申し上げます。昨今、取材も何もしないで勝手な想像で記事を書く人が増えているからさ。せめて『酒と話と徳井と芸人』の名前くらいは出してほしいもんだよ。

 芸人になって一年目のときに、時代の寵児・ダウンタウンが間近にいる芸人人生……想像しただけでも絶望しかないよね。負けから始まる人生。悟りを開かなかったら、何を開くんだって世界が広がっている。俺自身、「一番面白い奴になりたい」という気持ちだけでお笑いの門をくぐった。でも、NSC入学の3か月後には「これは無理だ」って悟った。東野さんが上人化してしまうことに納得したと同時に、なぜこんなにも物事を俯瞰で見ることができるのか。いろいろと氷解した贅沢な時間だった。
※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
◆プロフィル……とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。公式ツイッター:https://twitter.com/nagomigozenz
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