【徳井健太の菩薩目線】第58回 自分の人生は、何勝何敗だろう? 人生にはクラッチの技術が必要だ



 ラジオ『オレたちゴチャ・まぜっ! ~集まれヤンヤン~』(MBS)で、(極楽とんぼの)加藤さんと話をしているとき、「人生は何勝何敗がいいのか」というテーマになった。加藤さんは、「4勝6敗の人生でいい」と言う。それくらいのほうが「かわいく見える」とも主張する。

 情報番組のMCも務める加藤さんが、「4勝6敗の人生」を歩んでいるとしたら、俺なんて1勝すら疑わしい。多くの人が、「いやいや加藤さんは勝ち越しているでしょ」と思うに違いない。加藤さんは結論しか言わない人だ。どういう思いがあって4勝6敗なのか……僭越ながら、俺なりに推察してみると、“全勝しにいったものの4勝しかできなかった”という意味合いを含んでいるのではないかと思う。つまり、全力で臨んだ結果の6敗だから、得るものが多分にある負けなのではないか。じゃないと、加藤さんほど結果を残している人が4勝と言い切れるわけがない。昔、「オンリーワンになりたい」と番組内で発言した子に対して、「ナンバーワンを目指した奴がオンリーワンになれるんだ。最初からオンリーワンを目指すような奴はただのクソだ」と、加藤さんは叱責していた。

 加藤さんの4勝6敗論は、とても示唆に富んでいる。計画性を持って臨む以上に、可能な限り全力で臨め――。全力という言葉は多少重いだろうから、真剣に、でもいい。俺たちは往々にして、「ここは手を抜こう」なんて具合に星勘定をしてしまう。星取としては勝つ局面もあるだろうけど、そんな算段をつけている時点で、実際には中身のない勝ちを拾っているに等しいのかもしれない。そんな勝ちよりも、当たって砕けた負けのほうが中身が濃いことがある。時の運で6敗するわけだから、時の運が味方すれば、8勝2敗になる。そんなもんだと考えたら、真剣に臨むことが大事だと気が付く。

 翻って、俺は何勝何敗なんだろうか。吉村の操り人形だった結成から10年目までは、0勝10敗。この時代は勝ちにすらいっていないわけで、ダメージを受けないように引き分け狙いばかり……情けないね。『(株)世界衝撃映像社』から『ピカルの定理』終了までは2勝くらいはしたと思いたい。ただ、振り返るとその勝ち方も間違っていたと思えるから、歳を重ねるってのは面白い。

 当時の俺は、それなりに真剣に向き合っていた(はず)。でも、「人と違うことをしなければいけない」と、自分に対して呪いの呪文のように言い聞かせていた。「自分が呼ばれているということは、他の人ができない狂ったことをするためで、それをしなければ意味はない」と。結果、変な空気にした挙句、次回は呼ばれない。だけど、たまに危険球を評価してくれる人がいてくれたから勝つ……ということを繰り返していた。懸命に臨んでいたけど、ときに責任って感覚は、不必要な呪いにしかならない。そう、おのれの屍の山を振り返れる今は思う。

 さて、今の俺は何勝何敗なんだろう。40近くなったことで、呪いにも似た責任から解放されつつある反面、「腰掛けてしまったらいけないな」と、どういうわけか感じている。ありがたいことに、俺を求めて呼んでくれる環境がそれなりにある。その環境の中だけでカウントすれば、おそらく勝ち越すこともできるんだろう。ポジションやキャラが見つかるというのは、そういうことだから。10年前の俺は、今の俺をうらやましく思うに違いない。

 だけど、安泰のように感じられるその感覚は、よく考えると自分を置物化させてしまう可能性も秘めている。そのキャラさえ演じていればいい――それって恐ろしいことだと思わないだろうか。実際、面白い先輩芸人の立ち居振る舞いは、メジャーリーガー投手の球筋同様、明らかにレベルが違う。仮に、自分の庭で7勝できていたとしても、外に出たときの3敗が気になって仕方がない。背中にべったりと土がつく。俺なんか速球を使い分けない超スローカーブだけで三振を取ってきたタイプだから、全然通用しないと痛感する。人間なんて勝ったときよりも、負けたときのことのほうが忘れられないからね。

 自分のキャラクターや役割を理解しつつ、頑張って上を目指してみようと考えたとき、“「全力で空気になる」ための全力”を出せるようにならなくてはいけない、と思った。芸能界でMCを任されるような歴戦の強者は、自分のキャラに腰掛け続けないで、どういうわけか空気になじむように、そこに自然と溶け込んでいる。タモリさんも、東野さんも、有吉さんも、いつの間にか求められていたキャラ像から解脱して、その場に溶け込んでいる。アクセルを緩めるのではなく、全力でブレーキを踏めるかどうかが肝なんだろうな。アクセルを踏むなんてのは誰にでもできる。踏みながら、全力でブレーキをかけることができれば、急な人生の曲がり角もドリフトよろしくターンができる。アクセルを踏み続けていたら、いつか事故になる。飽きられるんだ。人生にはクラッチの技術が必要なんだろう。

 全力で空気になったときに、手ごたえを感じられるかどうかだよ。逆に考えると、全力で空気になりにいって、そのまま空気になってしまうのだとしたら、「真剣に臨む」のコマに戻れということだ。勝ったのか、負けたのか、悩める人間だけが次のコマに進めるんだ。

※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
◆プロフィル……とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。公式ツイッター:https://twitter.com/nagomigozenz
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