車いすラグビー選手 中町俊耶×小川仁士「僕らが前を向く理由」コロナ禍でパラアスリートが気づいたこと

【Profile】小川仁士 1994年6月2日生まれ。18歳の時にモトクロスのレース事故により頸椎を損傷。大きな体から生み出されるパワーとスピードが武器で、2016年から日本代表強化指定選手。持ち点1.0。(Ⓒ2020JWRF/ABEKEN)

僕らはコロナに罹ったら、命を落としてしまう


 車いすラグビーの選手の多くは、首の神経である頸髄を損傷しているため体温調節が難しかったり、呼吸機能が低下するなどの障がい特性がある。新型コロナウイルスの感染による発熱や肺炎で重症化する可能性も高く、感染症対策は最も重要な問題だ。

小川「僕たちのように頸髄損傷の人は、肺活量が普通の人に比べて、半分や3分の1くらいなので、新型コロナに罹ってしまうと、きっとほとんど命を落としてしまうんですね。自粛期間中は、不要不急の外出はしませんでしたし、最低限スーパーに行く時などは、マスクに手洗い、うがいは徹底していましたね」

中町「僕は頸髄損傷で自律神経も損傷していて、血圧をコントロールする力が健常の人に比べて弱いんです。自粛に入ってから、外出せず太陽の光もあまり浴びなかったり、夜更かしなどで自律神経が乱れて、体調を崩してしまいました。5月からは積極的に散歩して、太陽の光をちゃんと浴びながら、規則正しい生活をしたら、回復しました。外の光は大事なんだなと、学べたいい機会でしたね」

 穏やかな表情で語る2人だが、パラリンピックの延期についてはどのように受け止めているのか。

小川「僕は正直、今年だったら日本代表に選考されていなかったと思うので、1年延びて、またチャンスをもらえたという感じです。あと1年頑張れる猶予があると、マイナスには考えなかったです」

中町「僕も延期になったことに対してネガティブな印象はなくて。パラリンピックのメンバーに入れたとしても、試合に出るところまで行けたかどうかは分からなかったです。1年延びたことで、さらに力をつけて、来年しっかりコートに立てるという時間ができたと思っています」

 活動休止の約2カ月を経て、6月19日から週1〜2回、クラブチームでの合同練習を再開した車いすラグビー。これまで拠点としていたお台場の日本財団パラアリーナが医療施設に改修されたことを受け、現在は、都内や埼玉の体育館に集まっての練習。新しい生活様式の中で、マスク着用や手洗い・うがいを徹底の上、選手やスタッフの人数制限以外は、ほぼ通常通りの練習ができているという。

野球で培ったボール技術と精神力


 そうした中、チーム関係者から「絶好調」と太鼓判を押される中町。その裏には、小学1年から大学1年まで投手として活躍した、野球でのボール感覚が秘められていた。

中町「野球をやっていて良かったと思う瞬間はたくさんあります。ピッチャーで、指先の感覚は研ぎ澄まされた感じがします。車いすラグビーでは走っている選手に対して、どこに投げれば相手の取りやすいところに落ちるかが考えなくても感覚的に分かる。他の選手に当たられながら、ボールをしっかり握れていない状態でも、しっかりパスを出せる。そういうのは、他の選手より持っているなと感じます」

 中町の強みであるロングパスは、昨年の国際大会でもチームを救う大きな力になった。野球で培った微細なコントロール能力は日本代表の武器になりそうだ。