車いすラグビー選手 中町俊耶×小川仁士「僕らが前を向く理由」コロナ禍でパラアスリートが気づいたこと


娘に見せたいパラリンピック


 現在、日本代表入りを目指す小川は、プライベートでの変化も大きな力になっているようだ。

小川「今年1月に娘が生まれました。もう可愛すぎますね。パラリンピック開催が1年延びて、来年には子供が歩いたりすると思うので、もし自分が代表に選ばれたら、試合に見に来てくれるのかなとか思ったりします。その先もパリ(パラリンピック)があるので、子供の記憶に残ればいいなと思います」

 現在の課題は「状況判断」だと語る小川。コートに立った時、プレーの流れを1秒でも早く理解し、チームの戦力になりたいと意気込む。

正反対の同級生は、良きライバル


 1994年生まれの中町と小川。実は、同じ病院で出会い、小川がリハビリの一環で出会った車いすラグビーに、中町を誘ったことから競技をスタート。同時期にラグビーを始めた仲間であり、良きライバルでもある。同級生同士の2人の間には、互いに尊敬し合う姿も垣間見えた。

小川「中町は、僕にはない真面目さと努力家な一面があって、すごく尊敬しています。海外の選手の名前や、一人一人の特徴を分かっている。僕がラグビーに誘った人が、いま代表の一線でやっているのは、刺激になりますね。僕も負けてられないなって思えます」

中町「仁士は、プレー中や普段の生活でもアクティブに動くところがあるので、そういうところは刺激的です。仁士は(守備を主とする)ローポインターですが、“(攻撃を主とする)ハイポインターも食ってやるぞ”という精神がとてもあります。僕はわりと頭の中で考えてしまうところがあるので、そういう気合やガッツあふれるプレーは、見習わないといけないですね」

 目標の舞台が1年延期になったことで、改めて自分の課題や強みに気づくことができたという2カ月。最後に改めてパラリンピックへの思いを語った。

中町「自国開催でパラリンピック競技を認知してもらえる大きなチャンスになると思います。障害を負ったり、壁に当たって一歩前に踏み出せない人に対して、自分たちが頑張る姿を見せることで、生きる活力につながればいいなと思っているので、パラリンピックの舞台ではしっかり輝きたいと思っています」

小川「世界から恐れられる1.0のローポインターになりたいというのが目標です。東京パラリンピックがゴールではなくて、そこをきっかけにいろいろなパラスポーツに興味を持っていただけたらうれしいです」

 活動再開の車いすラグビー。選手たちの力強い決意と共に、パラリンピックへの旅が再び始まる。
  
 (TOKYO HEADLINE・丸山裕理)
車いすラグビー…手や足に障害がある選手が競技用の車いすに乗って行うラグビー。車いす同士のタックルが認められていることから「マーダーボール(殺人球技)」とも呼ばれる激しいコンタクトプレーが見どころのひとつ。試合は4対4で行われ、選手にはそれぞれ障害の重い0.5点から軽い3.5点まで、7段階の持ち点が与えられている。日本は現在、世界ランク3位。パラリンピックで初の金メダルが期待されている。
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