徳井健太の菩薩目線 第69回 「俺はいるんだろうか」と考えた~「オレたちゴチャ・まぜっ!」卒業の理由を明かす



6月下旬。MBSラジオ「オレたちゴチャ・まぜっ!~集まれヤンヤン~」を卒業した。気が付けば2011年4月から9年間も出演していた。当時は、30代の幕があいたばかり。三十而立。この10年間、いろいろな転機が訪れた。思い入れの深いラジオだったなぁ。

去る4月、加藤(浩次)さんが番組から退いた。座組みが変わり、ふと、超が付くほど客観的に「オレたちゴチャ・まぜっ!」を眺めてみた。このラジオに、「俺はいるんだろうか」と考えてしまった。

加藤さんがいたとき、俺は加藤さんに噛み付く――、挑んでいくような気持ちがあると同時に、何かと加藤さんから牙をむかれる(同番組に出演する)アイドルたちを守る役割として、ラジオにおける意味みたいなものが支えとしてあった。

加藤さんがいなくなるということは、アイドルをくさす人もいなくなるということ。あらたに、井戸田さん(スピードワゴン)とフルポン村上が加わり、番組はフルポン村上しかできないだろうイタい発言を中心に回ることが多くなった。俺は、村上の良くも悪くもあいつにしかできないイタい発言の数々が好きだ。村上と対峙することで、リニューアルした「ゴチャ・まぜっ」の中で、自分なりの意味づけを模索していた。まさしく、 「ゴチャ・まぜっ」だ。

でも、村上と対峙するポジションは、俺ではない他の誰かでも成立するだろうし、俺である必要はないとも考えた。気が付けば、俺も40歳。番組参加から10年が経とうとしている。俺じゃない他の誰かが、より番組を面白くできるのだとしたら、そろそろ身を引くときが来たんだろうなと感じた。

意地で続けたこの安いギャラ、そして2時間30分から30分延びて3時間の放送時間。時給に換算すると、虚しさを覚えるときもある。愛憎が入り混じるけど、引き際は間違えてはいけない。また違う「ゴチャ・まぜっ」らしさが生まれるのだったら、俺は去るのみだと思った。

加藤さんがいなくなってしまったことで、糸が切れてしまった感もあった。大きな喪失感を覚えてしまった。立ち向かう気持ちがあったから、背筋も伸びた。

第56回のコラム「生きるって誰かの死で成り立っている。うまいエキスになれるように生きよう!」でも触れたとおり、俺である必要がなく、(誰でもいいのに)気を使って俺に声を掛けてくれたのだとしたら、「才能のある若手に声をかけてあげてください」と、スタッフさんにも伝えている。死んだら死んだで、そのときだよ。

ラジオの良い所って、間違ったことを言ってしまう、もしくは言えるところだと、俺は思っている。人数が増えてしまうと、間違ったことを言いづらくなってしまうし、面白さのようなものがなくなっていくような気がする。

お笑いコンビが、たった二人で何時間も喋り続けるだけ――そんなラジオという装置が、これだけたくさんのリスナーを惹きつけるのは、その人たちだけの、ときに間違った、ときに狂った世界が、何時間も続くから面白いんだと思う。

だから、ラジオはパーソナリティが良くも悪くもイタかったり、狂ったりしていないとできないものだと思っている。「俺はこう思う」、「これが正義だ」、そんなことを平気で言える人間が向いている。イタい王様の独裁的メディアが、ラジオだ。裸になればなるほど王様になれる舞台装置。地方で何十年も続く人気ラジオ番組に、なぜ名物パーソナリティーがつきものなのかと考えたとき、裸のカリスマが君臨しているから面白いのではないだろうか。視点を合わせるように、正常値に近づけば近づくほど、それはラジオのようでラジオではないのだと思う。

俺は、桂馬みたいな存在だ。 敵陣に入って金将になりたくない桂馬だ。王将がラジオのパーソナリティーだとしたら、俺は骨董市の店主。次からの10年、さて何をしようかな。


【プロフィル】(とくい・けんた)1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。吉本興業所属。
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