徳井健太の菩薩目線 第75回 前を見ないで歩いている人たちは、金は盗まれると思っているのに、命は奪われないと思っている



 前を見ないで歩いている人がいる。「自分は死なない」と思っている人なんだろうね。それに、お店から出てくるときに勢いよく飛び出してくる、なんて人もいる。歩道を自転車が通り過ぎするかもしれないし、走ってくる人だっているかもしれない。飛び出してくる人を見ては、「はい、死んだ」と思っている。

 なぜ、こんなにも死なないと思えるんだろう。そう考えたとき、この人たちは不安を忘れてしまった人種なんだと思った。もっと言えば、世の中に対してよく分からない信頼を寄せすぎている人たち。生きている全員が全員、聖人君主だと思っているのかな。

 駅のホームで誰かから押される可能性だってある、ガードレールを突き破って車が激突してくるかもしれない。だから、なるべく車道側を歩かない。どんな人間かもわからない人がコントロールしている鉄の塊が、交差点という“一応の法のルール”だけに委ねられていることに対して、信頼を寄せることができない。不安があるからこそ、より強固に生存を意識すると思うのだけれど。

 のほほんと生きることはうらやましい。一方で、のほほんと生きることができるってことは、ご飯を食べることにも困らなかっただろうし、それなりにレギュラーの座を掴めた学生時代だっただろうし、アラサーを過ぎてもトレンドに対してそこそこ敏感なんだろう。その結果が、「前を見ないで歩ける」ことなのかな。“安心を感じる”と“安心しきっている”は、雲泥の差だよね。

 そうして不思議なことに、そんなのほほんと生きている人たちは、財布だけはしっかり離さないように気を配る。前は見ないのに、財布は見る。金は盗まれると思っているのに、命は奪われないと思っている。

 10000人に一人の確率と聞くと、ものすごく他人事のように聞こえるけど、人口1億人の分母で考えると、1万人が該当する。こう聞くと、対岸の火事とは思えない。「なんで私だけ」と思うけど、実は何かしらみんな「私だけ」の事案を抱えている。悲劇はすぐ隣に存在していて、同情すべきことではなくて、共感すべきことなんだよね。珍しいことじゃないから、良くも悪くも「そういうもんだよ」。そう思うほかない。

 誰だって、そういうときが訪れると思っていれば――「不安」を感じていれば、事前に対策を立てることだってできるし、頭を働かせることだってできる。不安がよぎるからこそ、生存戦略を思いつくことができる。「絶望」は素晴らしいことだと思ってほしい。

「絶望」の裏側は何だろう。「無心」になれること、かもしれない。好きな歌を思いっきり歌ったり、息が切れるまで走る。不安と上手に付き合うことは難しいだろうから、「無心」になれることを見つけてみたらいい。『半沢直樹』における剣道だよね。ドラマだろうが、数多の絶望が襲い掛かってきても跳ね返せる、妙な説得力が生まれる。「絶望」と「無心」のバランスが取れるようになれば、突然、目の前で地盤崩壊が起きても、「そういうもんだよ」と頭が冴える。

 不安を受け入れるには、自分には才能がない、と認めなければいけない。大前提。でも、認めることは怖い。だから、誰かの、何かのせいにしないとやってられない。家族や環境、仕事のせいにするしかないけど、じっくりと目の前で、「いや違うよ。一つずつそう思う理由を書き出してみて。何かのせいにしてみたけど、どう? やっぱり自分は才能があると思える?」と問われたら、気が付くしかないんだ。

「自分は一生懸命、目の前のことに取り組むしかないです」。そう理解できたとき、人は変われると思う。目の前の課題に対する姿勢も違ってくる。絶望というのは、いつ出られるとも分からない自分の中にある茂みに深く入り込んで、ただただ草木をかき分けていく状況に近い。でも、その姿は必死で、何よりも生きている証拠だよ。かき分けられる人は、それだけ自分と向き合った人でもある。自分の茂みに入っていける人だからこそ、プライドが生まれると思うんだよね。
 

【プロフィール】
1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。吉本興業所属。
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