栗栖良依「五輪パラのディレクターが コロナ禍で見せたい未来」


参加者ほぼゼロからの船出


 ロンドンに魅せられ、「日本でも唯一無二の面白いものを作れる」と確信して2014年に立ち上がったヨコハマ・パラトリエンナーレ。しかし、船出は厳しいものだった。

「いざ始まってみたら、全然障害のある人の参加者が集まらなくて。ロンドンではあれだけたくさんの人たちが“我こそは”と舞台に立っていたのに、日本は誰も申し込んでくれない。ショックでしたね。アクセシビリティ(高齢者や障害者など、誰もが必要とする情報・機能を利用できること)の課題があったんです。障害のある人は一人で会場に通ってこられない人もいるので、まずご家族やヘルパーさんなど協力してくれる人の理解が必要です。また、オープンスペースで行うワークショップでは「うちの子が周りに付いていけるのか」と思われる親御さんもいます。きっと今まで学校に通っている中で、健常のクラスの人と同じようにできなくて、仲間に入れなくて残念な思いをしてきた子もいると思うんですね。そうした不安や壁を取り除かなければ人が集まらないし、人が集まらなければパフォーマンスができない。日本はスタートラインにも立っていないんだということを痛感しました」

 現在、ヨコハマ・パラトリエンナーレでは、障害のあるアーティストが芸術活動に参加する上での環境を整える「アクセスコーディネーター」と、障害のあるアーティストと一緒に創作をする「アカンパニスト(伴奏者)」と呼ばれる人たちが活躍している。

「まずは環境を整備をするために、そうした人材を育てました。それによって、ご家族や本人に安心して参加できるプログラムなんだというのが伝わって、参加につながったんです。これは2014年最大の課題であり収穫です」