2002年の日刊新聞としてのスタートから今年で20周年【TOKYO HEADLINE 20th HISTORY】

「TOKYO HEADLINE」は2002年に日本で初めての無料の日刊新聞としてスタートしてから今年で20周年を迎えます。当時の名前は「HEADLINE TODAY」。週刊化に伴い現在の名称に変更しました。その後、ウェブ配信の強化に伴い、隔週、月刊と発行サイクルを変更。今年からは年4回の季刊とし、日々のニュースはウェブでどんどん発信していきます。ということで、この20年の弊紙と日本を並行して振り返ってみました。

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2002

 HEADLINE TODAYはまずは6月3日から1週間、テスト版として発行。その時の1面はちょうど開幕したサッカーの日韓W杯。7月1日から本格的にスタートし、最初のうちは認知度を高めるために都内の主要駅を中心に手配りを敢行。多くの人が「これは何だ?」「何が始まったんだ?」という感じで手に取っていったそう。

 創刊時から初代編集長の人脈の広さからジャーナリストの木村太郎氏、スポーツライターの青島健太氏にコラムを執筆していただくなど、異色の媒体として認知されるようになる。当初は日刊ゲンダイ、夕刊フジと同じ大きさのタブロイド判で紙質も「ザ・夕刊」といったものだった。しかし日刊は長く続かず、11月から週刊化。この時期は紙質も良くなり、インクで手が汚れることもなくなった。

vol.83

2003

 2003年は1990年代後半から始まった格闘技ブームが頂点に達したといっても過言ではない年。K-1系の「Dynamite!!」がTBS系、PRIDE系の「PRIDE男祭り」がフジテレビ系、そしてアントニオ猪木がプロデュースする「INOKI BOM-BA-YE」が日本テレビ系と大晦日に地上波3局で格闘技イベントが放送された。本紙ではまさかの猪木のインタビューに成功。一面でもその雄姿を見せてくれた。

 この年は地上波デジタル放送開始。東海道新幹線「品川駅」開業。日本郵政公社が誕生という出来事もあった。

2004

 この年は『冬のソナタ』をきっかけとした、いわゆる「韓流ブーム」のスタートとなる年。4月4日にはその主演俳優であるペ・ヨンジュンが初来日し、渋谷公会堂でファンミーティングを開催。ファンが大挙押し寄せたのはもちろんなのだが、メディアの受付にも記者とは思えない女性が大挙並んでいたことを思い出す。今から考えるとのどかな時代である。国内の主要メディアが集まる中、本紙カメラマンはくじ引きでなんと「1番」をゲット。フォトタイムのたびに横から舞台中央に走り、写真を撮っては戻るという動きを繰り返していたのだが、最前列のファンに「見えない!」と罵声を投げかけられながらの撮影だったという。

 音楽界にもTOKYO HEADLINEがじわじわと浸透し始め、矢沢永吉、松任谷由実といった大物ミュージシャンのインタビューなどが紙面を飾った。またアテネ五輪時にはスポーツニュースに特化した「Special edition」を制作。秋には専門学校や一部の大学に配布した「TOKYO HEADLINE SCHOOL edition」を発行。これは2010年まで続いた。

 

2005

 ヘッドラインでは独自のニュースとともに2002年の週刊化の際に産経新聞と記事配信契約を結んでいたのだが、この年はライブドアによるフジテレビへの敵対的買収問題が発生。産経新聞はいわずとしれたフジサンケイグループとあり、まさかの展開に固唾をのむ編集部。とりあえずは大きく体制が変わることはなくほっと胸をなでおろす。

 4月に200号を発行。この年から映画配給会社GAGAの映画を一本丸ごと紹介する「GAGA HEADLINE」を発行。これは2011年まで続き、Vol.35まで続いた。同時期に「TOKYO HEADLINE entertainment edition」もスタートした。これはピザーラのピザの宅配に同封された。

2006

 2002年のサッカー日韓W杯からスタートしたヘッドラインにとって2度目のW杯。

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