アントニオ猪木さんが死去。今後の活動に意欲を見せていた矢先の訃報

2020年2月に行われた「喜寿を祝う会」では長州力に闘魂ビンタ

 力道山の付き人を務めた猪木さんは力道山亡き後、海外遠征で頭角を表し、1966年に豊登とともに東京プロレスを設立。しかしノーテレビだった東プロはすぐに崩壊し、日プロに復帰。馬場さんとともにエースとして活躍するも、1971年には会社乗っ取りを企てたとして追放され、1972年1月26日に新日本プロレスを旗揚げした。

 新日ではタイガー・ジェット・シンとの抗争、タブーとされていた大物日本人同士の対戦、ウィリアム・ルスカ、モハメッド・アリといった他競技の強豪選手との異種格闘技戦といった斬新な戦いでプロレスブームを巻き起こした。

 1989年にはスポーツ平和党を結成し政界進出。第15回参議院議員通常選挙で初当選した。1990年には湾岸戦争によりイラクで人質となっていた日本人の解放に貢献。1995年には北朝鮮で「平和のためのスポーツ祭典」を開催した。