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徳井健太の菩薩目線 第107回 絵の評価は難しい。いつか飾る絵のために「額縁」を探しに行った

2021.08.20 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第107回目は、絵画に関心を持った背景について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 ここ数年、絵を見ることが好きになった。芸術ってすごい――などと、当たり前のことを言いたくなるくらい、芸術はすごい。芸術家たちの生きざまはすさまじい。それでいて、面白い。

 好きが高じてというほど詳しくはないけど、いずれ絵を購入したら……なんて考えると、額縁が必要になる。気が早い。というわけで、画材・文房具専門店「世界堂」に行ってみた。

 すげぇ高いんだ、額縁って。びっくりした。きちんとしたものを買うなら、2~3万円は当たり前。ともすれば、シャガールやピカソ……世界にその名を轟かす名画をおさめる額縁は、一体いくらするんだろう。

 学校の校長室や病院の応接室に飾ってある立派な絵。その額縁だって、それなりに高いに違いない。今まで気にかけることなんてなかった額縁が、妙に高価なものに思えてくる。額縁は額も高ければ、奥も深いものだと気が付いた。新しい興味を持つと、新しい発見がある。

 飾る予定の絵はない。けど、俄然、額縁を通して「飾る」という行為に関心を持った俺は、その飾り方も気になってしまった。壁に額縁をネジか釘かで打ち付けるのか、それともフックのようなものでひっかけて飾るのか? 世界堂をうろうろしていると、まさに飾るための小道具が陳列されているコーナーを発見した。

 その中に、「想い出くん」という額掛けがあった。なんともそそるネーミング。「家にキズをつけずに額をかけられる!」らしい。

 形状を説明するのは難しいのだが、S字フックのような形をしていて、突起しているところ(和室の長押など)に挟みこむと、壁などをキズつけずに掛けられる。おお、なるほど。これは便利だなんて思ったものの、1セット2つで梱包されている「想い出くん」は、売れ筋とは一線を画すように、さびしそうにたくさん陳列されていた。なのに、少し手垢感があった。

 その一つを手に取り、我が家に長押のようなひっかけられる出っ張りがあるかを考えた。あれこれ思料し、他のものと比べてから、購入するか否かを決めようと、一旦「想い出くん」をしまおうとすると、「あれ?」。まったく元の形にしまえない。

 俺は、間違いなく目の前にある箱から「想い出くん」を取り出したのに、1セット2つを重ねて、箱に戻そうとすると、どうやっても収まる気配がない。一体、俺はどうやって取り出したんだろう。

 知恵の輪のような状態が続くこと数分。こんな余興をするために世界堂にきたわけじゃない。他のしまわれた状態の「想い出くん」を参考に、何度もチャレンジしても、やっぱり入らない。

「すみません」

 俺は白旗を上げた。店員さんに謝りながら、その旨を伝えると、彼はほんの数秒で箱にしまってしまった。きっと俺のように、「想い出くん」トラップにはまった初心者がたくさんいるんだろう。だから、手垢感があったんだ。さびしい理由が何となくわかった。買いたいと思う絵と出会ったら、また「想い出くん」に会いに行こう。

 美術はいろいろな捉え方があるから面白い。俺自身は、価値を作り出してるのはアーティスト自身ではなく、パトロン的な人物だったり、支援者だったり、周辺が価値を作り出しているように感じてしまう。

 例えば、1枚の絵を完成させるために、画家は何か月も時間をかけることもあるだろう。その間、描いている絵がどれだけの価値を生むのかわからない……、「価値なし」と評価されれば、何か月あるいは数年間が、タダ働きになるかもしれない。それでも描き続ける。狂気がないとできない時間の使い方だ。もちろん、中には「自分は超有名な画家だから自分が書く1枚はものすごく高価なもの」という自負にあふれた人もいる。

 全員が露悪的で破滅的ではないにしても、どんな価値を生み出すのかわからない絵にひたすら向き合って、時間を捧げる。そして、その絵に大金を払う支持者が現れる。画家は、とんでもない職業だ。畏怖の念を抱く他ない。

 ただ――。描いた画家以外に、本当にその価値がわかる人ってどれだけいるんだろう、なんて思う。パトロンや有名な画商が価値を見出すわけであって、飾られている段階ともなれば、不特定多数はありがたがったり、高尚なものだととらえたりするしかない。凡人がはやしたて、凡人が勝手に評価を与えることもあるのなら、クラウドファンディングやオンラインサロンと大差ない。裏を返せば、芸術というのは、そういう一面をはらんでいるということなのかもしれない。

 支援する、支えるという意識が中抜きされ、評価をする、あるいは、評価を与えることのできる自分に「酔う」ところだけ残ってしまうのなら、絵の収まっていない額縁だけが飾られてるような気がしないでもない。自分の視点を大切にして、いつか飾る絵と出会いたい。

 

※【徳井健太の菩薩目線】は毎月10・20・30日更新です。

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