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国内の古墳の数はコンビニの約3倍! コロナ禍でも古墳グッズは売上増! 奈良県橿原市が古墳ブームをさらにコーフンさせる

2020.12.04 Vol.Web Original

「日本全国に、コンビニの約3倍存在し、村や町によってはコンビニはないけど、存在しているもの、なーんだ?」

なぞなぞのように聞こえるかもしれないけど、なぞなぞやとんちの類ではないんです。答えは、古墳。いたって本当の話なのだ。

文化庁の調査によれば、日本全国にある古墳の数は約16万基。対して、全国にあるコンビニの数は、2019年3月時点で5万8340店(日本フランチャイズチェーン協会発表)。コンビニはないのに古墳はある――。そんな村や町が存在するほど、古墳はいたるところに、実はあったりする。

そもそも古墳とは、人工的に土を高く盛った古代人のお墓のこと。3世紀中頃~7世紀末の古墳時代、多くの人は古墳を造り、寿命が尽きれば、そこに葬られていた。古墳と聞くと、教科書で習ったような巨大な「前方後円墳」をイメージしがちだけど、地方の権力者や村長レベルのプチ権力者もいたわけで、全員が全員、立派な古墳を造ったわけではない。下の写真も、意外に思うかもしれないが古墳なのだ。

こじんまりしたものや質素なものなどなど……、バラバラでしかも多彩。それゆえ、お気に入りの古墳や妙に気になる古墳もあって、古墳を巡る「墳活」、古墳を愛する女子「古墳女子」といった用語が誕生するまでに。じわじわと「古墳ブーム」は広がり続け、いまなお「古墳はキテる」と熱い視線が注がれているほど人気を博している、というからビックリする。

「おいおい、古墳ブームなんて聞いたことないぞ!」。そう言いたくなる人もいるはず。しかし、「古墳にコーフン協会」を設立し、現在、会長を務める古墳シンガー・まりこふんさんは、胸を張って説明する。

「今から4~5年ほど前に、「古墳にコーフン協会」は東急ハンズさんとコラボし、古墳グッズの販売イベントをはじめました。今年は、初年の3倍以上の売上増になるほどで、コロナ禍でもかなりの売上がありました。それだけ需要が伸びていて、買う側も作る側も増えているんですね」

「古墳にコーフン協会」会長のまりこふんさん。古墳愛を歌う古墳シンガーでもある。

2019年には、巨大な鍵穴を想起させ、誰もが歴史の教科書で一度は見たことがあるだろう「仁徳天皇陵古墳」を含む、「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府堺市)が世界文化遺産に登録されたことは、記憶に新しいところ。我々が想像している以上に、古墳はその姿に負けないくらい人気の面でも盛り上がっていて、古墳に魅せられる人は増えているというのだ。よくよく見たら、古墳ってシフォンケーキみたいでかわいいし、埴輪はちょっと間抜けでかわいい。それに、 「コンビニはないのに古墳はある」なんて聞くと、妙に親近感を覚えて、「小さい古墳ってどんな感じなの?」と見てみたくなる。ハマる角度が人それぞれ、それもまた古墳の魅力なのだ。

歌にしてしまうまでの古墳愛を持つまりこふんさんにオススメを聞くと、「ありすぎて選べないのですが、奈良県橿原市の古墳群は見てほしい」とコ―フン気味に話す。

実はまりこふんさん、旅行会社が定期的に企画する古墳を巡るバスツアーの識者として、ツアーに同乗し、案内やミニライブを行うなど、古墳の魅力を伝えるために奔走している第一人者でもある。「2年前くらいからは年6回全日程ほぼ満席、すべて催行しています。いやはや、ありがたいことです」と謙遜するが、定期的にバスツアーが開催されるほど、古墳人気は本当に右肩上がりなのだ。古墳だからと、話を盛っているわけではないんです。

橿原市――。日本で有数の「字面はよく見るけどそのたびに読めない市」かもしれない。“かしはら”。この地域周辺にある古墳が「面白い」らしく、なんと12月と来年1月には『古墳シンガーまりこふんさんと行く「橿原・飛鳥古墳にコーフン旅行」』というツアーが組まれるほど、橿原市も古墳を介して街の魅力を伝えようと奮闘している。

なかでも、まず見てほしいと力説するのが、橿原市が古墳の魅力を伝えるべく連携するお隣・明日香村にある「石舞台古墳」(上写真)だ。大小約30個の石英閃緑岩が使用され、石の総重量は2300トン(!!)。もともと覆われていた盛土は失われ、天井石が露出。結果、巨石が積まれている姿がむき出しになり、その様子は異様にして圧巻だ。中は空洞になっていて、日本最大級の横穴式石室を持つ。埋葬された人物は、6世紀後半にこの地で政権を握っていたと言われる蘇我馬子の可能性が高いという。

明日香村は、1956年の合併の際に現在の地名になるが、それまでは飛鳥村という地名だった。古代における飛鳥の中心的地域であったとされ、推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子、蘇我入鹿、中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原鎌足)、天武天皇、持統天皇らが生きたいた時代の中心――、歴史のテストに出てきた古代のオールスターが存在していた、とんでもないエリアなのだ。

さらには、飛鳥時代は「天皇」という呼称がはじまることや日本初の元号「大化」を定めたことを筆頭に、貨幣経済のはじまり、時計と暦の開始、大陸との交流、官僚制度の構築などなど、今に続くたくさんのエポックメイキングな枠組みも、この地から生まれたと言われている。明日香村は、歴史上の人物が登場し始める歴史の始点であると同時に、古代の終点でもある。それを教えてくれるのも、やっぱり古墳だったりする。

石舞台古墳の内部。どうやって石を積み上げたのか? もちろん現地に行けば謎が解ける。

冒頭、古墳はコンビニの3倍ほど存在すると説明したが、それほどあった古墳がなぜ造られなくなったのか? 疑問を覚えた人もいるはず。

それは、飛鳥時代に仏教という国際的な思想が伝来し、隆盛することで、各地の古墳にまつわる信仰や儀式が希薄化し、古墳そのものの存在意義もなくなってしまったから。開明的になった人々は、古墳造成に費やす労力を都市開発やインフラに費やしただろうし、実際に仏教が浸透するにつれて古墳が小さく、シンプルになっていくことも確認されている。そして、奈良時代になると上流社会の間では火葬墓が一般的になり、古墳はその姿を消していくことになる。

つまり明日香村は、古墳時代の終わりであると同時に、その後の中世へとつながる近代的古代の幕開けの場所、ということになる。時代の境い目である江戸城や大阪城にも負けない、歴史のダイナミズムが詰まった場所。なのに、城のように絢爛豪華に主張するでもなく、ひっそりと、もっこりと存在するマイペースな古墳たち。墓なのに、ものすごく雅かつ躍動感にあふれる、そのギャップが知的好奇心とは何かを教えてくれる。

とは言っても、難しい知識や事前準備がなくても楽しめるので大丈夫。下写真は、同じく明日香村内にある高松塚古墳だが、まるで抹茶フレーバーのプリンのよう。見た目がかわいいこの古墳も……実はすごい。

昭和47年、石室内に極彩色の壁画(国宝)が発見され、特に西壁の女子群像は、歴史の教科書のカラーページに登場するまでに。7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期の古墳と言われ、天井には星宿図が描かれていた。かわいい姿からは想像できないほどすさまじい古墳、たとえるなら90年代の名CM、北浦共笑の「私脱いでもスゴイんです」を彷彿とさせる古墳である。隣接する高松塚壁画館では、壁画発見当時の現状模写をはじめ、一部復元模写、棺を納めていた石槨の原寸模型のほか、副葬されていた大刀装飾金具なども見ることが可能だ。

明日香村だけでもレジェンドクラスの古墳が揃うが、橿原市の古墳力もコ―フン間違いなしだ。「橿原市の約70%は遺跡なんです」と教えてくれるのは、同市教育委員会文化財課の松井一晃さん。なんと、市の約7割の範囲が何かしらの遺跡や遺構とは、橿原、恐るべし。今まで読めなくてごめんなさい!

「新沢千塚古墳群は、誰でも楽しめる公園なのですが、この一帯には約600基の古墳があります。日本を代表する群集墳でもあるんですよ」(松井さん)

新沢千塚古墳群公園。古墳で遊び放題

その容貌はまるで“日本のカッパドキア”と呼びたくなるほどで、モコ、モコ、モコと古墳群が目に飛び込んでくる姿は圧倒的。「これが全部、古墳なの?」と目を疑うこと間違いなしだ。

「こういった光景を我々はワンダ墳(=素晴らしい古墳のこと)と呼んでいます。古墳浴(=森林浴的な)するには最適の場所です」(まりこふんさん)

たしかに、初心者でも「ワンダ墳!」と叫びたくなるほどの美観。明日香村は貴族の古墳が多かったが、橿原市には名もなき首長たちの古墳も多数あるため、バラエティ豊かな古墳を体験することができる。例えば、下写真の小谷古墳は被葬者は不明だが、中に入ると面白い発見がある。通常時は、鉄柵で周囲を囲まれているため、中に入ることができないが、ツアーなどで見学する際は開放されるという。外から眺める、そして中に入る。古墳は“一粒で二度おいしい”というわけだ。

もちろん、どこか異界に足を踏み入れるような憂惧する気持ちも生まれる。「無理矢理石室に入る事をすすめることを、私たちは石ハラ(セキハラ)、石室ハラスメントと呼んでいます。楽しむ気持ちを忘れないでくださいね」とまりこふんさんがレクチャーするように、相手の気持ちを尊重しつつ、墳活すること忘るべからず。

小谷古墳の入り口。なんと墳タスティックな。
小谷古墳の内部。よく見ると……

「(手前部分の)石棺の一部が欠けていることが分かると思います。これは盗掘された痕跡です。古墳を修復したり復元したりはしていません。この空間内部は、古代、そして盗掘された姿のまま今の時代に残っています」

そう松井さんが解説するように、古墳が歩んだ歴史をそのまま追体験できるのは、改めて考えるとものすごいこと。だって、“古代の人間が葬られていた墓を、そのあとの時代の人間がこじ開けて、現代の人間が見ている”のだから。この小さな空間に、約1400年の変遷が詰まっている。こんなマジカルな体験ができるのも古墳ならではだろう。

小谷古墳から南東に500メートルほど歩いたところにある橿原市の巨石「益田岩船」も外すことができないスポットだという。たどり着くと、あ然とする。鱗滝さんと炭治郎がいたのかしら……。

なぜこんな巨石が山奥にポツンと?

「近くに斉明天皇陵の可能性が高い牽牛子塚(けんごしづか)古墳があるのですが、おそらくは益田岩船は失敗作だろうと。というのも、牽牛子塚古墳の横口式石槨と形が似ているため、当初は益田岩船を墳墓にしようと作っていた……けど、問題が生じて無理となった(笑)。そして、放置したと思われます」(松井さん)

古代人のやらかした理由……その続きは、ぜひともツアーに参加するなどして、自身で確認してほしい。古代人の中にも“しくじり先生”がいた! ことを知ったあとで、この巨石を眺めてみると、何も知らずに見ていたときのような不気味さはなくなり、「やっちゃったな」と同情する気持ちがわいてくるほど。想像力を育ててくれることが、歴史の醍醐味なのだとしたら、橿原市はものすごい可能性を秘めている場所だ。

 

上から見ても大きさが分かる益田岩船。古代人の“やらかした”痕跡を目撃しよう

玄室(古墳の内部にある棺を納める部屋)に入ることができない古墳もたくさんある。しかし、橿原市は同市の魅力を知ってもらうために、積極的に内部を公開する機会を創出している。

古墳は想像している以上に面白い。奥が深い、というよりもホントに「面白い」のだ。同じ古代でも、縄文時代や弥生時代の遺跡と違って、古墳は目の前に存在している。だから、あれこれ想像しやすいし、勝手に自分好みか否かの点数なんかも付けたくなってくる。そんな古墳が橿原市にはまだまだたくさんある。さらに言うなら、国内にはコンビニの約3倍ある。そりゃ、飽きないし、ハマる人が増えていくのがわかる。

「見た目がかわいいとか、自分好みの古墳があった――、興味を持つポイントはなんでもいいんです。実際に古墳を見ると、惹かれるものがきっとある。しかも、中に入れない古墳もある。こんなに近くにいるのに、こんなに遠くに感じる愛おしい存在は古墳だけです(笑)。もっと墳友(ふんゆう)を増やして、古墳のすばらしさを広められたら最高ですね」(まりこふんさん)

玄室へと続くトンネル(羨道)は、あなたを超面白い世界へといざなう、動線かもしれない。改めてもう一度。古墳、キテます。

 

(取材と文・我妻弘崇)

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