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「『会う』という最強のコンテンツ」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#8

2020.04.10 Vol.Web Original

 この記事で取り上げるまでもなく、新型コロナウィルスの感染拡大は皆様もよくご存じのことで、2月から各種イベントの延期、中止が決まり始め、3月末にはデパートなどで臨時休業が始まった。

 この記事を書いている現時点で、収束の見通しは立っていない。

 アダルト業界もご多分に漏れず、女優さんの握手会が中止になったり、一部のメーカーでは撮影自体をストップしているという話も聞く。

 弊社の場合は、秋葉原の「女子社員酒場」、新中野の「Syain Bar」が臨時休業になっている。
(上記の店舗については、TOKYO HEADLINE内の記事が非常にわかりやすいので見ていただくとして…飲食店の中でもお客様とキャストの距離が近い店舗である。)

 GIRL’S CHではもともと3月6日にイベントの開催を予定していた。

 それが3月頭の時点で29日に延期となり、結局は中止になってしまった。

 私たちにとって、この日のイベントは特別だった。

 それは、2018年から毎月続けてきたイベントが、これで一旦終了する予定だったからだ。

 GIRL’S CHでは、2018年からイベントに力を入れ始めた。

 それまではサイトでの動画配信・販売がメインだったが、動画を見ること以外のお客様の潜在的な需要を探る目的で、イベントを開催しようということになったのだ。

 2018年2月に、サイト上での人気動画企画である「男優と男優」の収録にお客様を招くという形で始めて、その後は新作の上映イベントや、撮影で使った衣装や小物の販売イベント、ラブメンと一緒に食事をしながらテーブルゲームを楽しむイベントなど様々なイベントを開催した。

 特に私たちが手ごたえを感じたのは、すごろくイベントだった。

 当時リアル脱出ゲームが流行っており、そこに着想を得て、実際にお客様に作品の世界観を体験してもらおうというコンセプトだ。

 会場の床に大きく印刷したマスを貼り付けて、サイコロを振って出た目の数進み、止まったマスに書かれている指示を出演者と実行してもらう。

 作品のストーリーに沿って、とは言っているが、もともとの作品に謎解きがあるわけではないので、作品に出てくるシチュエーションをできる範囲で再現してもらったり、出演者にお客様ただ一人に向かって決め台詞を言ってもらったりする。

 また、作品には実際ないが、「このキャラクターとこんなシチュエーションでイチャイチャしたら楽しそう」というような内容を、イベント限定で二次創作的に用意することもあった。

 なぜすごろくイベントが支持されているかというと、やはりキャストとの距離の近さだと思う。

 イベントに来るお客様の多くが、作品の出演者(ラブメンやAV男優)のファンである。

 一対多数のイベントの場合、直接話したり触れ合う時間はごくわずかだが、すごろくイベントの場合、30分間一緒にゲームができる。ご案内するお客様も少人数なので、自分の番がまわってこないということはない。

 しかも、マスに書かれた指示はお客様と出演者が一対一で実行するので、普段のイベントよりも簡単に親密になれるのだ。

 私はこれらのイベントを通して、お客様の喜ぶ顔を見て、好きな人に「会う」ということが、お客様にとっていかに特別な時間であるかということを、毎回実感させられた。

 だからこそ、最後のイベントは、諦めたくなかった、できれば開催したかったのだ。

 結局は、そのイベントで販売する予定だった衣装や小道具はサイト上で通販し、トークショーはツイキャスとインスタライブでの生配信とすることにした。

 イベントが中止になったのは、誰のせいでもない。

 誰かの判断が間違っていたとか、会社の方針が間違っているとか、そんなことは全くないと思う。しいて言えば、コロナウィルスのせいだが、ウィルスに文句を言っても仕方がない。

 我々も、なんとかしてお客様にイベントをお届けしたかった。

 ライブ配信をしたり、出演作品をセールして手に取りやすくしたり、手を打ってみるものの、結局は「会えない」という事実は変わらない。

 オンラインで新しい企画がたくさん生み出され、新しい楽しみになっている。

 しかし、直接「会う」ということは、他の何にも代替がきかないことだということを痛感した。

 会ってしかわからないことはたくさんある。

 例えば背の高さとか、使っている香水とか。

 画面越しでは、相手の目を見て話すことができない。

 相手の体温を感じることができない。

 会わなければわからないことはたくさんある。

 なくなってようやく気付いた。

 イベントで「会う」ということがこれほどまで重要だったとは。

 会いたい人に自由に会えない今だからこそ、「会う」ということが、何よりも最強のコンテンツだということを再認識した。

 もちろん、イベントにいらっしゃるお客様は、ほんの一部だ。

 遠方でなかなかイベントには参加しづらいという方もいれば、イベントに参加する勇気が出ないという方もいらっしゃったと思う。

 また、動画は見るがわざわざイベントに行くほどにはファンではない、という方もたくさんいらっしゃると思う。

 それらすべてをひっくるめて、大勢の人たちに支えられて、サイトは成り立っているということも承知している。

 イベントがなくなったことで、GIRL’S CHのサイトまでなくなるということではない。

 オンラインでいくらでもつながることはできる。

 それでも、と思う。

 今までイベントにお越しくださった皆様、本当にありがとうございました。

 皆様から、好きな人に「会う」ための力の強さ、尊さを感じました。

 またいつか、別の機会にイベントがあった際に、再会できることを祈っています。

 また、そのときは、はじめましての方にもお会いできますように。

ワークライフバランスを考える【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#7

2020.03.27 Vol.web original

 そんなわけで、この2年は引き続きGIRL’S CHのサイトの運営やそれに関わる業務を行ってきた。

 体調不良や精神の乱れはまた不本意な結果を招くかもしれない。

 だからこそ、自分の健康や心地よさを重視して無理をしないようにと仕事をしていた。

 そんなある日、会社の先輩に呼び出された。

 別部署の女性ではあるが、私の入社前からずっと働いている人だ。

「GIRL’S CHに戻ってからどう? 思ったほど活躍できてないように見える」

 単刀直入にそう切り出された。

「GIRL’S CHに戻ってきて仕事に邁進するかと思ったらサンバにかまけてばっかりじゃないか」

 そうなのか。

 確かに以前のようなガムシャラな働き方はしていないが、決して仕事に手を抜いていたつもりはなかった。

 それが、周りの人にそう見られていたなんて。

 趣味であるサンバは、夏場は練習やイベント出演などで忙しく、しかしそれは土日がメインだ。

 とはいえ、浅草サンバカーニバルのような大きなイベントの翌日などは、有給休暇を使うこともあったし、日常会話の中でサンバの話題を出すことも多かったことは自覚している。

 ただ、普段は週に1度、仕事の後に練習に通う(それも21時からなので、基本的に業務には支障はない)程度なので、「サンバばかりして仕事に手を抜いていた」と言われるのは心外だ。

 また、前回書いたように、サンバで得られた経験が仕事に生かされるという局面もある。

 たとえば、サンバチームで活動するメンバーは年齢も仕事も家庭環境もバラバラなため、一緒に活動しながら様々な価値観を理解できるようになったりだとか。効率的に、かつ、確実に連絡事項を伝達するにはどうしたらいいかだとか。

 売上に直結はしないが、得るものは多い。

 決して、仕事よりサンバを優先していたわけではなく、どちらも同じくらいには大切なのだ。

 実は、弊社では今年度からノー残業デーが取り入れられた。

 週に一度は早く帰り、家族や友人と過ごす時間を大切にしたり、仕事以外の楽しみを見つけようという目的で、いわゆるワークライフバランスを考え直すための取り組みである。

 弊社はもともと映像制作を基盤としてスタートした会社で、目指す作品を完成させるためなら寝る間も惜しまない仕事熱心な人が多かった。

 少し前までは終電を超えて朝まで働くことも少なくなかったし、会社に泊まることもあった。

 そんな会社が、ワークライフバランスである。

 私としてはかなりのビッグニュース、会社に対しての価値観が揺らぐ出来事であった。

 その一方で前述した先輩のように、私に対して「仕事を怠けている」という人もいる。

 ただ、「サンバにかまけてばかりで仕事がおろそかになっている」というのも、言い換えてみると「もっと仕事をガムシャラにやってほしい」というその先輩の願望かもしれないことも想像できる。

 自分ももっと仕事をガムシャラにやりたいけど(会社や家庭や様々な事情で)それができない分、私に期待している。

 自分はワークライフバランスを大切にしたいけど、そうでない人生の可能性を見てみたいから私に期待している。

 そういう期待を込めて、叱咤激励してくれているとも考えられる。

 でも結局は、独身で、役職もない、責任がない私が、働きすぎてボロボロになっていく様子が見たいだけなのではないだろうか。

 そんな悪魔のような考えが頭をよぎることも事実だ。

 働いていても怒られ、働かなくても怒られる。

 一体私は誰のために、何のために働いているのだろうか。

 誰のご機嫌をとるために、誰の満足感を満たすために。

 本当は自分自身のために働いていればいいはずなのに、雑音が多すぎる。

 目の前の色々な意見に振り回されて、会社で生きることは本当に心が疲れてしまう。

 私に必要なのは、他人からの意見を右から左に受け流す軽さ、なのだろうか。

 本当にそれでいいのだろうか?

時間という自信【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#6

2020.03.13 Vol.web original

 このように、GIRL’S CHから部署を異動して、またGIRL’S CHへ戻ってきて、2017年は自分にとっては大きな転換期となる時期だった。

 奇しくもこの年は、新卒入社から10年が経過した時期でもあった。

 この年、私は長めの休暇をとり、ブラジル旅行に行った。(ちょうど前回のコラム冒頭で書いた、友達と約束したという旅行である)

 私が仕事以外に唯一熱中していること、それはダンスだ。

 大学のときにレゲエダンスと出会い、社会人になってからはサンバを始めた。

 特にサンバは2010年から毎年浅草サンバカーニバルに出ていて、所属チームの中心メンバーとしてパレード演出を仕切ったり、チームのNo.1ダンサーともいえる「ハイーニャ・ダ・バテリア」というポジションでパレードをしたりと、それなりのキャリアを積んでいる。(手前味噌ではありますが…)

 だからブラジル旅行も、一緒にサンバをやっている仲間たちと、本場にリオのカーニバルを見に行きたいという思いから出かけた。

 会場の熱気、生演奏の音圧、巨大な山車、そしてリオ市街の空気感、映像で見ただけでは感じることができない生のブラジルに圧倒された。

 帰ってきてもリオに恋い焦がれる日々が続き、なんと翌年もリオに行ってしまった。

 2回目のリオはカーニバルが終わったあとの時期に訪れ、10日間サンバのレッスンを受けた。

 あの頃は、自分が今いる場所と夢見た場所は地続きで、努力を続けていればいつか必ずたどり着けるものだと思っていた。

 2019年、それまで所属していたサンバチームを正式に辞めた。

 ちょうど、仕事でも自分のために働きたいと考えていた時期で、チームのために、踊りたい気持ちを抑えて演出や運営をやることに心をすり減らしていたからだ。

 私は踊りが踊りたくて、踊りだけができれば十分なのだ、もっと自分のやりたいことに忠実に生きたい、と思った。

 ただ、ちょうどサンバを始めて10年目の年だったので、浅草サンバカーニバルには出たい。

 そこで私は、自分がアクセスしうるサンバチームの練習に片っ端から参加した。

 自分の好みの音を奏でるチームはどこか、自分のやりたいパレードと価値観が近いチームはあるのか、いろんなチームを見て、結果その年に準優勝するチームに参加することに決めた。

 それまで所属していたチームは、お世辞にも強いチームとは言えなかったが、その準優勝チームははっきり言って強い。

 浅草サンバカーニバル優勝経験もあり、ブラジルの老舗チームとのパイプもある。

 そんなチームにいる人たちはきっとサンバ好きばかりなのだろうと思っていたが、実際にはそういうわけでもなかった。

 20年、30年とサンバをやっている大先輩も多かったが、初めて参加する人、夏だけ参加する人、始めて2~3年の人などいろいろな人がいた。考えてみればそれは当然で、大所帯であるほど、様々なスタンスの人を受け入れる懐の深さが必要になってくるからだ。

 それまでにいたチームは小規模だったので、全員が同じ熱量で同じ方向を向くという方法しか知らず、私にとっては新鮮だった。

 さらに驚いたことに、そのチームに放り込まれると私は「ベテラン」「経験者」として大事に扱われたのだ。

 仕事でも新卒入社で今の会社しかしらないし、サンバチームもずっと同じところにいたので、チーム歴の長さ=偉い、という勝手な価値観が私の中に出来上がっていたが、世の中というのはそうではなかった。

 実際に自分のまわりを見ても、同じ年代で10年もサンバを続けている人は多くない。

 自分より歴は浅いがすぐに辞めてしまうような人のほうがよっぽど多い。

 自分はそれまで、「転職する勇気もない臆病者」「外の世界へ出ない愚か者」「フットワークの軽さがない頑固者」と自分のことを否定的に見てきた。

 だが、何事も10年続けるのは、並大抵のことではない。

 サンバもアダルトの仕事も、10年以上続けているという人は、本当に一握りだ。

 長く続けるということは、誰にでもできることではない。

 そして、長く続けられるということに気付けるのは、文字通り長く続けたあとでしかない。

 10年という年月が、ようやく私にそのことを教えてくれたのだった。

 そして10年も続けることができているという自信が私に、もっと自由に生きろというメッセージを投げかけてきているように感じたのもこの頃だった。

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