鈴木寛の「2020年への篤行録」 第26回 ロボットと共生する社会を目指す

2015.11.08 Vol.654
 みなさんは「コンビビアリティー」(conviviality)という言葉を聞いたことがあるでしょうか? おそらく東大生でも知っている方は少ないでしょう。ご存知という方がいたら、現代哲学や社会思想に強い関心をお持ちだと思います。  コンビビアリティーは、オーストリア出身の思想家イヴァン・イリイチ(1926〜2002年)が提唱した概念で、日本語では「共悦」「共愉」、つまり“みんながワイワイ楽しく、生き生きとしている様子”を言います。もともとは効率を何かと優先する産業主義的な考え方を批判する視点から生まれたものなのですが、2020年以降、私はコンビビアリティーが非常に重要になってくると、最近考えています。  2020年の東京オリンピック・パラリンピックを契機にいま注目されているのが自動運転の普及です。先ごろ、トヨタ自動車が2020年頃を目処に高速道路での実用化を目指す方針を明らかにしました。またDeNAも2020年のロボットタクシー実用化構想をぶち上げました。  自動運転を巡っては既存の自動車産業だけでなく、世界的にはグーグルも研究開発に力を入れており、遠くない将来、私たちの移動の概念を根底から変えていくイノベーションになります。ロボットが運転をしてくれれば、人間がいままで運転に充てていた時間を使って、車内で仕事なり、家族とのコミュニケーションなり、時間をより生産的に使えるようになります。飲酒運転も過去のことになるでしょう。  一方で、未来の働き方を占った世界的ベストセラー「ワークシフト」でも論じられたように、テクノロジーによる社会のアップデートは同時に既存の雇用を奪うことになります。多くの国でタクシー運転手は、所得が比較的低い人たちが担っており、ロボットに運転の役割を取って代わられると、職を失ってしまいます。 「ワークシフト」では、暗い未来を論じていますが、「人間VS機械」のような単純な二項対立はある意味、欧米的な言説のようにも思えます。しかし私は、日本人は古来、外国からの文物を巧みに取り入れる多様性があることから、ロボットと仲良くなりながら、より豊かな社会を作れるのではないかと考えています。  9月に「ユニバーサル未来社会推進協議会」を設立しました。目指しているのはロボットの力を借りて、障害の有無、言語の壁を取り払い、誰もが生き生きと(コンビビアルに)生活できる社会。ロボットや人工知能研究の第一人者にお集まりいただき、今後、民間企業をも巻き込んで日本から人間・ロボットが共生する社会のロールモデルを打ち出していきたいと思います。 (文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第25回 日本ラグビーの危機を救った代表チーム

2015.10.12 Vol.

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第22回 18歳選挙権引き下げで大事なこと

2015.07.13 Vol.646
 公職選挙法が改正され、投票年齢が18歳以上に引き下げられました。投票年齢の変更は70年ぶりのことです。来年夏の参議院選挙から適用される公算が高くなっていますが、高校3年生の一部も含まれますので学校現場では、どのように政治と向き合えばいいのか、戸惑いの声が上がっています。  ここで重要なのは、若者が投票に行きさえすればいいということではないこと。たしかに、世界的に投票年齢は18歳以上が主流になっており、日本でも低迷して久しい若年層の投票率を上げ、彼らの政治参画を促そうと若い世代を中心に投票年齢引き下げを主張し、ようやく実りました。  しかしネット選挙活動が解禁された折を思い出してみてください。当時も「ネットを使う若い人が投票に行くようになればいい」という期待論がありました。私がかつて十数年、ネット解禁を主張した理由のひとつに、候補者と有権者、あるいは有権者同士の政策論議を活発化して、政治参画の意識を高める目的がありましたが、結局、政党やマスコミが一時的に騒いだ割に投票率が劇的に上がることはなく、それどころか都知事選では歴代ワースト3番目、衆議院選挙は歴代最低の低投票率に終わりました。  このときの“教訓”から改めて思うのは、投票年齢引き下げにしろ、ネット選挙解禁にせよ、所詮は手段に過ぎないということです。民主主義制度は有権者の自治システムなので、ほかの誰かからの介入を受けることなく、自分の頭で考え抜いて決めるようにならなければなりません。そういうマインドを地道にコツコツ育てていかないといけません。70%の市民が投票に行った大阪の住民投票のような事例は、当事者意識が高まったからですが、それはカンフル剤のようなもので、やはり普段からの地域や家庭でいかに「自治意識」を育てていくのかが重要です。  何も特別なことは必要ありません。政治は、「あちらを立たせばこちらが立たず」といったトレードオフや矛盾、葛藤の連続ですが、たとえば部活動のマネジメントを基本的に生徒たち主体で行うだけでも自治意識は育っていきます。公立高校の野球部であれば、サッカーなどほかの運動部とグラウンドが共用だったりして十分な練習時間を確保できないことが多いでしょう。そこでグラウンドが使えなくても可能なトレーニングが何か創意工夫します。狙い通りにいくこともあれば失敗することもあるでしょう。しかし、仲間たちと話し合って、どのように効率的かつ効果的にチームを強くしていくべきか、その試行錯誤のプロセスこそが自治意識のひな形になるのです。高校時代、弱小サッカー部のマネジャーだった私は仲間たちと主体的に運営したのですが、強豪校を破って地元の大会で優勝した成功体験は大きかったと思います。  こうした自主性を養うには大人のアプローチが重要です。介入ではなくじっと見守り、どうしようもなくなったときだけ手を差し伸べるようにできるかどうか。親や教師、大人のマインドセットも問われています。 (東大・慶応大教授、文部科学大臣補佐官)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第21回 今こそ中小企業から「バイパス型キャリアアップ」

2015.06.07 Vol.644
 この原稿が掲載される頃には東京は梅雨に入っている頃でしょうか。学生の就職活動もいよいよ佳境を迎えていますが、就職情報会社の調査では、7月までに実質的な内定を出す企業が6割を超える見通しだそうです。  今年は空前の「売り手市場」とあって、企業側は優秀な人材確保に懸命です。特に中小ベンチャー企業は、大手企業に人材を取られまいと囲い込みに入り、あとで内定を辞退されることも覚悟の上であえて早めに内々定を出す動きが報じられています。先日、経済誌系のウェブメディアの連載で、こういう状況だからこそ中小ベンチャー企業は、たとえば浪人や留年等の累計年数が2年を超えるような学生であっても能力本位で見定めるべき、工夫を凝らした採用戦略を採るべきだと提言させてもらいました。  さて一方の学生のほうはどうでしょうか。一時期、「意識高い系」という言葉がネット上で流行し、起業志向やベンチャー企業を目指すような若者を揶揄する言説もありましたが、昨今の就活市場に目を向けると、知名度もブランドもあり、待遇もいい大手企業が採用枠を増やしてしまえば、学生の大手志向がますます固まっていくのではないでしょうか。今春発表された人気就職ランキングの記事の類を見ていると、上位10社には銀行や証券会社、最大手の旅行会社等が名前を連ねており、よく言えば「堅実」、悪く言えば「安住」志向が変わらないと感じます。  手前味噌ながら、私の歴代の教え子たちは、そうした学生たちとは一線を画して就活に臨んでいました。おかげさまで日本を代表する社会起業家、大手ネット企業の経営陣として活躍し、有名雑誌の特集「日本を元気にする若者100人」で名を連ねるような卒業生も多数います。彼らの中には、卒業前後から学生ベンチャー、スタートアップ、NPOを起業する人もいましたが、マスコミを始めとする大企業に入るにしても将来的にはリーダー型人材として力を発揮するため、戦略的にキャリアアップをしています。  30代でリーダー型人材として活躍する教え子たちの多くは、20代から「非定型業務」つまり決まりきっていない仕事に全力で取り組んでいます。リーダーになる人材は①新しい仕事や仕組みをクリエイトする ②既存の仕組みでパターン認識できないことを判断しなければならない ③リスクマネジメント(想想定外のトラブル等に対応する)——の3点に対応しなければなりません。社会人としての基礎を学んだ上でのことや、クリエイティビティーが必要とされる業界や職種に関してではありますが、20代後半になっても、与えられた仕事(定型業務)をこなすだけでは、マネジメントする側に回る時の素養が身につきません。  私の教え子で大手広告代理店に入社したA君は、当初、地方支社に配属されました。東京の華やかな舞台で活躍する同期に焦りを感じたこともあるようですが、支社長の「かばん持ち」として上に立つ人間の一挙手一投足を、仕事を通じて学び、支社の小さい所帯にあって業務の全体を見通す知見を得ました。早いうちに部下を持つことも人の動かし方、コミュニケーションの術を学ぶ機会にもなりました。その後、着実に実績を積んだ彼は、後年、会社が新規事業の子会社を設立する際、社内公募に合格して同社の社長を30代前半で任されるまでになりました。また別の教え子は中小企業でプロジェクトのマネジャー経験を積んで大手企業に転職。転職先の生え抜きの同世代よりも早く役員に抜擢されるという「バイパス型キャリアアップ」を果たしました。  同世代の多くが人気のある大手企業に目を向けている中、綿密な企業分析・情報分析を行って、あえて逆張りで、有望な中小ベンチャー企業に飛び込み、将来を見据えたキャリアアップをする選択肢もあっていいのではないでしょうか。イノベーションは、型破り、非定型の発想から生まれるのだと思います。 (東大・慶応大教授、文部科学大臣補佐官)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第20回 新社会人が浴びる「プロの洗礼」

2015.05.10 Vol.642
 ゴールデンウィークが終わりました。新社会人のみなさんは研修期間に区切りをつけ、それぞれの職場で実地訓練が本格化していく頃だと思います。その一方で、仕事が厳しくなっていくのも事実。新年度スタートからの緊張感から一時的に解放された反動も重なり、いわゆる「5月病」が心配になる時期でもあります。  近年は減少傾向にあるようですが、一頃、新卒入社から3年以内の離職率が問題視されました。昔から「石の上にも三年」「桃栗三年、柿八年」と言うように、相応の成果が出せるようになるまでには一定の年月と忍耐が必要です。「いまどき古いことを言うね」と、眉をひそめられるそうですが、どんな業界、世界でも、一旦入ったからには、その良いところも悪いところも見ないで辞めるのは勿体ないと思います。  そういう私も実は、新社会人の最初の3カ月は辞めたくて、辞めたくて仕方がありませんでした。1986年、今の経済産業省、当時の通商産業省で社会人生活をスタートしましたが、霞が関のなかでも“通常残業省”と呼ばれるほどの激務。最初の1年間は100日、役所に泊まり掛けで勤務していました。とにかく山のように仕事が降ってきます。しかもいろいろな先輩からいろいろなことを同時に頼まれ、同期の新人も含めてキャパシティーがオーバーする。当時の通産省は体育会気質で、ミスをするとすごく怒られました。  そんなある日、上司に怒られて深夜残業中の私に、隣の課の課長補佐が声をかけてくれました。先輩は「今しかミスはできないからね」とも言ってくれ、さらに、巨人軍の原辰徳選手の新人時代の話を引き合いに出されました。  いまの20代の皆さんは原監督の現役時代をご存じないでしょうが、高校時代から注目を集め、巨人入団時には王・長島の後継と期待される等、鳴り物入りの新人でした。ところが、そんな大型新人に対して冷静な評価を下す「上司」がいました。巨人軍のV9を参謀として支え、久々に現場復帰していた牧野茂コーチです。牧野さんは原選手に対して「キャッチボールもできないからね」と語ったそうです。  新人とはいえ、曲がりなりにもプロである原選手に対し、「キャッチボールができない」とはどういう意味でしょうか。それは「プロレベルのキャッチボールができるかどうか」ということです。原選手が守っていた三塁手ならば、どんなに難しい体勢で捕球しても、一塁ベース上の一塁手のファーストミットにめがけて、ピンポイントに投げられなければなりません。スピード、技術の精度が大学生とは違います。おそらく牧野コーチの目には入団当初の原選手の技術が物足りなく見えたのかもしれません。  その話をしながら課長補佐は、「おまえが(ボールを)落とす、ミスをするのはしょうがない。なぜならスピードが全然違うから」と私に諭しました。私たちの世界でも、仕事の分量、スピードに対して反射神経的に対応できなければなりません。それはまさに「プロの洗礼」であり、天狗の鼻をへし折られるということ。  公務員試験に受かって何となく“できる”気分になっている。論述試験でもそれなりのことが書けるつもりになっている。しかし、こと仕事の文書を書くとなると、「プロの目」からは水準に達していないわけです。私も議事録を取るのが苦手で先輩の筆で真っ赤に直されました。  実は先輩や上司は、新人のあなたがミスをすることは想定内。そのリスクマネジメントが仕事です。逆に言えば、どこまでミスせずに頑張れるかを見ています。だから、何かミスをしたらすぐに報告・連絡・相談すること。初期消火が大事なのです。  新人選手もプロの球のスピード、変化に慣れていき、本来の才能を発揮していきます。仕事はできる人に集中しますので、課題を乗り越えることで次につながります。そういう意味では1年目は勝負所。あなたも立派な戦力。仕事がふられることは信頼されている証しです。「プロの洗礼」は誰もが通る試練の道。頑張ってください。 (東大・慶大教授、文部科学大臣補佐官)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第19回 英語が”できない”というあなたへ

2015.04.12 Vol.640
 新年度に入りました。大学キャンパスの桜は散ったものの、サークルの新入生勧誘・歓迎活動がピークに入り、一年のうちでも特ににぎわう時期です。新入生の皆さん、そしてこの春に大学を巣立って社会に出た皆さんの門出に際し、心からお祝い申し上げます。  元旦と並んで4月は目標を打ち立てる時期です。その一つで毎年のように挙げられる定番が語学の習得。先日、あるビジネス誌が「英語特集」を企画するということで、グローバル人材育成を推進する私にも取材の打診がありました。編集部の都合により、後日の取材は別の切り口になったのですが、「英語」はビジネスパーソンのニーズが根強い企画なのだと改めて感じました。NHKの英会話講座のテキストは4月が最も売れるという話を以前聞いたことがありますが、5月、6月と時間が経つたびに脱落者が増えていくのもまた年中行事。「英語が使えない」という日本人の悩みはなかなか解消されません。  実際、データで見ても、TOEICやTOEFL受験者の国別平均点数で日本が「アジアで最下位クラス」と嘆かれる通りの状況です。しかし、所詮は言葉です。日本人の能力が低いから英語が使いこなせないのではなく、語学教育も含め、英語を使いこなすための環境が整っていないのです。日本語よりも英語に言語構造が近いラテン系諸国でさえも同じこと。たとえばイタリアに旅行したことがある方なら、街中で英語を話せる人が少ないことに意外な思いをされたのではないでしょうか。  かくいう私自身も典型的な“受験英語”育ちで学生時代はナマの英語に触れる機会はほとんどなく、会話に自信を持てませんでした。英語の4技能(読む・聞く・話す・書く)のうち、読解に偏重していました。法学部在学中は、政治学の英語の原書を読むことはしていましたが、留学はしませんでした。その後、通産省に入ると、早朝出勤、未明帰宅が続く日々でしたので、英語の勉強時間をまとまって取ることもありませんでした。  しかし1992年、28歳の時にオーストラリアに1年間、赴任することになりました。当初は学生寮のような施設に住んでいましたが、「これではいけない。英語を使えるようになりたい」と一念発起し、今でいうシェアハウスに移り、同国出身の男性と女性(カップルではありません)と計3人で暮らしました。2人と日常的にコミュニケーションを取り続けるだけでなく、ネイティブである2人の会話も聞くことで実際の英語の使い方に慣れていきました。私たちはどうしても完璧な英語を話そうと力んでしまいますが、ネイティブでも日常会話は結構ブロークンです。「あなたは日本人ですか?」を英訳すると、教科書どおりなら主語と動詞の順番を入れ替えて「Are you Japanese?」と話すでしょうが、実際の会話では「You are Japanese?」と語尾を上げるだけでいい、という具合に“発見”があります。  もし、あなたがセンター試験の英語で180点以上も取れているのに、英語が話せないと嘆くのであればそれは「思い込み」です。受験英語をある程度、修得した日本人であれば、難しい論文の読解力は世界的にも高いものだと思います。ただし、「話す・聞く」の訓練は不足しているために、培った知識を引き出し、組み立てるまでの時間がかかってしまいます。私の場合はシェアハウスの生活で、会話の間の取り方、会話のつなぎ方を覚えることで実践的な使い方の基礎を身に付けられました。  語学は、意識して使う環境が無ければ、どの国の人でも身に着かないのです。1986年に社会人になった私より以前の世代は、円安のために学生が海外に行くのは1回がやっとという時代でした。しかし85年のプラザ合意の後の円高で海外旅行や留学に行きやすくなりました。バブル世代の後も円高は続き、慶応SFCや国際教養大学のように英語を使いこなす学部や大学も目覚ましく増えました。最近では、LCC(格安航空会社)の就航で安く海外にも行けますし、インターネットを通じてフィリピン人との会話レッスンをリーズナブルに受けられるなど、学生時代の私から見れば羨ましい環境が整っています。  4年制大学であれば春夏冬の長期休暇が年間に3か月ほどあると思います。1年以上の長期留学は難しくても、すべての休みを短期留学に充てることができたら4年間で12か月分、つまり学生時代の4分の1を海外で過ごすことも理論上は可能になります。独身の社会人の方であれば英語を使う外国人とシェアハウスするのもいいでしょう。私も世界が広がりました。受験英語は無駄ではありません。まずは「習うより慣れろ」の精神でトライしてみてください。 (東大・慶大教授、文部科学大臣補佐官)

鈴木寛の「2020年への篤行録」
第16回 なぜ学ぶのか?「花燃ゆ」の松陰に思いを馳せる

2015.01.11 Vol.634
 あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。  若い頃にミュージカル劇団の音楽監督を務めた経験がある割に、普段はテレビドラマをあまり見ないのですが、NHKの大河ドラマだけは政治家時代から時折見てきました。2015年の大河は吉田松陰の妹、杉文を主人公に描いた「花燃ゆ」。松陰の生き様に、私も大きく影響されましたので、今回の作品には格別の思いで楽しみにしていました。  物語の冒頭で松下村塾が出てきましたが、まさにその場所が教育者としての私の原点です。20代の終わりに通産省から山口県庁に出向の折、現地を訪ねました。十畳と八畳半の二間しかない平屋建ての茅葺小屋に五十名もの塾生が学んでいたことにまず私は驚きました。ドラマでは久坂玄端と高杉晋作が「秀吉とナポレオンが戦をしたらどちらが勝ったか?」と議論していましたが、私も小さな畳の空間を眺めながら、ここで若人たちがどんなに白熱した議論をしていたのか思いを馳せました。それまでの私は法律立案や予算編成の仕事をしていて世の中は制度が作るものだと思い込んでいましたが、世の中を変えるのはそうした「制度」ではなく、「人」だということに気付きました。山口には2年ばかりの着任でしたが、その間、私は20回も通いつめては国づくりとしての人づくりを考えました。  ドラマでは、後の松陰こと寅次郎が山鹿流の兵学者のホープとして長崎や江戸に遊学していた時代から始まります。途中、叔父の玉木文之進からスパルタ教育を受け、学者としての基礎を叩きこまれた少年時代が回想シーンとして挿入される等、初回は教育者としての生い立ちをしっかり描いていました。そのため、登場人物の信念をセリフの中に投影し、物語の基礎を固めんとするばかりの骨太な描写が印象的です。とりわけ初回のクライマックスシーン。幕府によって禁書とされた「海防臆測」の所有者に名乗り出るように玉木たちが藩校の学生たちに呼びかけたところで、寅次郎と若き儒学者、小田村伊之助(後の楫取素彦)が禁書を持っていたことを打ち明けつつ、「人はなぜ学ぶのか?」熱弁を振るったシーンには感銘を受けました。 「知識を得るためでも職を得るためでも出世のためでもない。人にものを教えるためでも、人から尊敬されるためでもない。己のためじゃ 己を磨くために人は学ぶんじゃ」。寅次郎がこう言えば、伊之助も「お役に就くためでも、与えられた役割を果たすためでもない。この世の中に己がすべき事を知るために学ぶのです」と同調します。  折しも高校生にとっては受験、大学生にとっては期末試験のシーズン。当面はテスト対策の勉強に専念せざるを得ませんが、落ち着いたところでドラマでも見ながら「自分はなぜ学ぶのか?」と自問自答してみてください。違った視野から学問を考えるきっかけになると思います。 (東大・慶大教授、文部科学省参与)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第15回 世代別選挙区導入の論議を

2014.12.07 Vol.632
「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」。有名なチャーチルの名言ですが、これは第二次世界大戦終結から2年後の1947年の下院演説で語った言葉でした。独裁体制のナチス・ドイツ相手に苦闘し続けた体験、そして冷戦期の始まりでスターリン体制のソ連が新たな脅威になりつつある国際情勢が、こういう皮肉めいた言い方で民主主義を評させたのでしょう。  この言葉の前段には「民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない」。チャーチルは先見性に優れていた政治家です。早くからナチスの脅威を予告し、首相になる前の政権が宥和的な外交政策を取ることについて反対していました。やがてその予測は的中し、国の危機感が高まったところで彼は政権の座に就くわけですが、独裁国家に大戦で勝利した後、今度は民主主義の機能不全をまるで予見していたかのような言葉に彼の達見ぶりを見て取れます。  議会制民主主義は民意を反映した政治を行い、独裁的な権力行使を抑制することにメリットがあるわけですが、現代社会のように社会が複雑化し、有権者の価値観が多様化してくると、その世相を反映したように議論が堂々巡りになり、意思決定が滞る、あるいは自分たちの利益を適格に代弁する代表者がいなくなる、という事態に陥ります。まさに民主主義の弱点です。かつて日本の国会で衆参の多数派が分かれた「ねじれ国会」もそうですし、近年では米国議会が連邦債務の上限引き上げを巡って紛糾し、デフォルト寸前まで至ったのが典型的な事例でしょう。そして今は人種を巡る問題で全国的な暴動に直面しています。  日本でも衆議院が解散し、総選挙が2日からスタートしました。この原稿が掲載される頃には選挙戦は中盤でしょうか。しかし争点が見えづらい選挙と言われ、報道各社の世論調査を見ても解散に納得しない方が6、7割に達します。若者は財政や社会保障制度破たんの可能性を含め、本音の議論を聞きたいのに、各政党は多数派の高齢世代のマーケティングに終始しています。それがまた若者を失望させ選挙から遠ざけてしまう負の連鎖になっています。  地域別で利害を調整する意味で選挙区がありますが、いっそのこと東大の井堀利宏先生が提唱する年代別選挙区の導入により、各世代の利益を代表する議員を送り出すようになれば政治への関心も回帰するかもしれません。ネット投票を自宅で出来るようにするようにもなれば、選挙の風景は一変しそうですが、まだまだ五里霧中です。しかし、この国に彷徨っている時間は無いのですが。。。 (東大・慶大教授、元文部科学副大臣、前参議院議員)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第13回 東京オリンピックのソフトレガシー

2014.10.13 Vol.628
 先日、神戸新聞から「関西で東京オリンピック・パラリンピックについてできることとは?」というテーマのコラムをオファーされました。私は神戸の出身で、その地元紙からのたっての願いということで喜んでお引き受けしました。しかし反面、そういった種類の原稿を書く依頼が来た背景を考えると、2020年東京オリンピック・パラリンピックに期待を寄せる「温度差」「地域差」を感じてしまいました。  どうしても東京との距離が心理的にあるのでしょう。加えて、私も半分は関西人の気質があるので、よく分かるのですが(笑)東京に対する関西独特の対抗意識も影響しているのかもしれません。しかし、改めて言うまでもなく2020年の大会は、東京だけでなく、日本を挙げてのプロジェクトです。都民だけでなく、全国民が一体となった機運が生まれなければ、世界中に大会の熱を伝えることはできません。  心の距離を埋めて、オリンピック・パラリンピックを「自分事」にしてもらうには、どうすればいいのか、私なりに思案しコラムを書いてみました。東京の読者の皆さんが、神戸新聞を読む機会はほとんどないでしょうから、概略を説明しましょう。関西の方々が今一つ乗り気になれない要因として、国際的なスポーツ大会開催の意義を、インフラや経済効果のような「ハードレガシー」でしか位置付けられないような、高度成長期の価値観にとらわれているのではないかと指摘しました。そこで私は、大会がもたらす「ソフトレガシー」にもっと目を向けるように提案しました。ソフトレガシーとはスポーツを通じた社会教育基盤や、心身の健康を保つためのコミュニティのことです。  1964年の東京オリンピックに際し、日本中に誕生したのが日本スポーツ少年団でした。野外活動やレクリエーションを通じて、子どもたちの健全育成をしてきました。あれから半世紀が経ち、Jリーグ創設があって地域の総合型スポーツクラブが各地に誕生し、スポーツ基本法制定による後押しも加わって、スポーツのコミュニティが着々と増えてきました。今度は2020年大会を機に、ライブでリアルタイムに各国選手団の活躍を見ることができますから、そうしたソフトレガシーの基盤はさらに整う流れになります。キャンプ地は、全国1700の自治体どこにでも可能性はあります。2002年のサッカー日韓W杯では、カメルーン代表のキャンプ地となった大分・旧中津江村が話題になりました。 「見る」だけでなく、「する」レガシーもあります。コラムでは関西の事例として、元ラグビー日本代表の平尾誠二さんが理事長を務めるNPO法人「スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構」(神戸市)を紹介しました。この法人は名門・神戸製鋼ラグビー部の人材や地域のリソースを総動員して、ラグビーの指導から指導論・人材育成の座学まで幅広い層の人たちに展開しています。  開催地である東京でもソフトレガシーの意義を見落としています。多摩地区ではしばしば「オリンピックの効果が実感できない」という声を聞きますが、キャンプ地に関していえば地方よりも立地条件は恵まれています。選手団との交流は街の歴史に誇るべき出来事になり、触発された子どもたちの視野を大きく広げるきっかけになるのです。 (東大・慶大教授、元文部科学副大臣、前参議院議員)

鈴木寛の「2020年への篤行録」
第11回 大人も夏の自由課題をしてみませんか?

2014.08.18 Vol.624
 子どもたちや学生の夏休みは終盤に入りました。近年、ヤフーの天気情報の検索件数が8月の終わりにかけて急上昇すると聞いたことがあります。小学生や親たちが、サボっていた宿題の絵日記の天気を調べるからだそうです。  昔は、お天気を毎日記入させることが日記を習慣づけるためのインセンティブになっていました。要領のよい子どもは図書館に通って新聞のストックからその日のお天気を調べて帳尻を合わせていましたが、中には絵日記の天気欄に適当に雨と記入する子もいました。そういうときは、新学期になって担任の先生から、クラスみんなの前で「君のおうちだけ雨が降っていたのかな?」と皮肉まじりに叱られて恥をかいてしまうわけですが。そんな場面も、インターネット時代になってもう見られなくなりそうです。  しかし、大学生や社会人のあなたも、宿題を積み残した子どもたちを笑ってはいられません。人生常に勉強です。夏休みは単なる骨休みではなく、ルーティンワークから解放されることで日頃できないことに取り組んだり、思考を巡らせたりできる貴重な時間です。そういうわけで大人たちの中でも、とりわけ学校の先生たちには率先していただきたいのですが、見識をアップデートできていない方が意外に多いようです。  この夏、私立学校で先生方の研修会に招かれてお話する機会か何度かありました。私は、「今教えている子どもたちはこの先70年、80年と生きていかねばならない」「200年ぶりの歴史の大転換が起きている中で彼らがどう生き抜き、自分たちの手で歴史をつくっていけるように教師として何ができるか考えてください」といったお話をしました。講演時は、私が何のお話をしているのか今一つ反応が鈍いようにも思えたのですが、後日、続々と講演の御礼を兼ねたメールが送られてきて、「こういう話は初めて聞いた」「頭をガツンと叩かれた思いだ」といった感想が寄せられました。  こうした先生方は、決まりきった既存のカリキュラムを経験則に基づき、通り一遍で教えていたのかもしれません。しかも講演先はいわゆる進学校の関係者。日頃優秀な生徒を教えているはずの先生方ですら、油断していると日常に意識が埋没し、自己研さんが後回しになってしまうのです。  思い出してもみてください。これをお読みのあなたが中学高校を卒業してからの間だけでも、歴史や物理で一大発見があって教科書の内容が書きかえられることも度々でした。さらに大事なのは、過去の現象がアップデートされるだけでなく、予測不能な未来を生き残るために自分の頭で考える力です。そのためにも歴史や哲学、はては地球、宇宙、生命といった壮大なテーマから不変の真理とは何か、読書を通じて自分に問いかける作業が大切です。プロイセンの宰相ビスマルクが「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と語ったのはまさに至言です。  そういう意味では、進学校で勉強に飽き足らず、社会問題への意識が高い若者たちのほうが行動的です。最近では、高校生でも積極的にプロジェクト・ベースト・ラーニングに取り組んだり、NPO活動を始めたりする生徒も増えました。彼らは知識こそありませんが、感受性が高いので時代の行く末を自分の手でつかもうとしているのです。  来年の夏は、そうした意識の高い若者たちと大人がコラボレーションする場所も作ってみたいと考えています。残り少ない夏休みシーズン、まずは溜めこんだ宿題に追われる小学生を他山の石として、大人のあなたもご自身の自由課題を設定してはいかがでしょうか? (東大・慶大教授、元文部科学副大臣、前参議院議員)

鈴木寛の「2020年への篤行録」
第10回 サッカーW杯にみたメディアの病理

2014.07.21 Vol.622
 サッカーW杯・ブラジル視察から戻ってみて、「サッカーは人生の縮図」というイビチャ・オシム元日本代表監督の言葉を身に染みて感じます。ブラジル視察の感想を東京ヘッドラインの読者向けにメディア論の視点から述べさせていただきます。  本郷にあるサッカー協会のオフィス前に行くと、十数人の男性が暑い中、外にたむろしている光景が目に入ります。サッカー協会を担当するスポーツ紙や一般紙の記者たちです。協会に大きな動きがありそうな時は、ここにテレビカメラのクルーも加わって、「メディアスクラム」が出来ることもあります。彼らは、大仁邦彌会長や、原博実技術委員長ら監督の後任人事のカギを握る幹部の方々がビルに出入りするところを待ち構えています。  そして、「ぶら下がり」といって、例えばビルの前に横づけされた車から関係者限定の室内に移動するまでの間、取り囲んで取材してきます。時にはICレコーダーを突きだし、「人事は決まりましたか?」等と、その場で回答が出るはずもない無意味な質問を繰り返します。スポーツの記者さんたちは割とカジュアルな服装が多く、永田町・霞が関で出くわすスーツ姿の政治部記者とはカルチャーが違うようにも思いますが、やっていることには大差ありません。官房長官の記者会見で、目の前の記者たちが質問もせずにパソコンに一生懸命打ち込んでいる場面をテレビで見たことがありませんか? 以前は永田町くらいかと思いきや、最近は企業の社長会見、スポーツの記者会見の現場にも広がりつつあります。  いまはネットの動画中継もあるので、会見に出てきた人物の発言を書き起こすくらいなら、その現場にいなくても出来る仕事です。記者会見に出席する記者は、利害関係のない第三者、ジャーナリズムの体現者としてのウォッチャーの役回りを担っているはずです。以前の発言と変化やブレが無いのか? ほかの関係者の話していることと矛盾は無いのか? あるいは事実関係に誤りがあるのか? 問題が何も無くても、せっかく現場にいるわけですから臨場感を伝えることだけでも意義があるというものです。残念ながら無心に「キーパンチャー」に徹する記者たちの姿から、思考力は一切感じられません。  これでは当然、まともな分析記事を書ける記者があまり育ちません。日本代表の敗戦総括をせずに、新監督の人事ばかりを報じているだけでは、読者・視聴者に考える材料を提供できません。4年前、ザッケローニさんの就任発表当日には、あるスポーツ紙がザッケローニさん就任を特報し、もう一紙は別の人物を挙げる誤報をしました。発表を先取りすることを「特ダネ」扱いし、本質的な報道をしていない典型的な事例です。  それにしても、本郷の地元住民や近隣の会社関係者がいぶかるような「から騒ぎ」は、代表監督の後任問題が落着するまで続くのでしょうか。日本人がサッカーを本質的・多角的に考えられるようになるには、メディア側の意識改革も必要です。あるいは他業界と同じく、既存のメディアに刺激を与える、新規参入も待ち望まれます。 (東大・慶大教授、日本サッカー協会理事、元文部科学副大臣、前参議院議員)

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