「手洗い」の重要性を発見 知られざる“消毒の父”ゼンメルワイスとは?

公益社団法人東京都医師会の角田徹副会長
 死体から何らかの原因物質が妊産婦に運ばれているのではないか、と考えたゼンメルワイスはその物質を「死体粒子」と名付け、1847年に第一クリニックの医師や医学生にさらし粉(次亜塩素酸カルシウム)溶液での手洗いを義務付けました。すると、第一クリニックの産褥熱での死亡率が劇的に低下し、第二クリニックとほぼ同様のレベルにまで下がったといいます。1848年にはさらに消毒の範囲を広げ、手術に使用する医療器具も消毒するよう徹底した結果、産婦人科病棟から産褥熱がほぼ撲滅されたのです。

 ところが医療行為は「神業」だと考えられていた当時、医師の手で病気が運ばれ死に至るというゼンメルワイスの考えは認められませんでした。ゼンメルワイスはその後ウィーンから去り、故郷のハンガリーに戻って産科病棟に勤め、再び手と医療器具の洗浄で産褥熱の死亡率を低下させます。「手洗い」についての論文を2本発表して1861年には本も書き上げますが、医学界ではことごとく否定されてしまったのです。ゼンメルワイスは失意のうちに健康を蝕まれ、精神科病院に入院したあとほどなくして亡くなっています。

 ゼンメルワイスの死後、ルイ・パスツールが細菌説を唱え、それを受けてジョセフ・リスターが消毒法を確立したことで、ようやく彼の理論は広く認められるようになりました。現代では常識とも言える「手洗い」「手指消毒」の重要性は、こうしてゼンメルワイスによってもたらされたのです。

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