閑話休題 その3:北方領土をめぐる日露交渉に、喝!(中)【長島昭久のリアリズム】

2019.03.11 Vol.716

 前回おさらいした過去の経緯を踏まえ、安倍首相は今、どのようなアプローチで北方領土問題を解決しようとしているのか、分析を試みましょう。結論から言えば、安倍首相は、「4島一括返還」を求めてきたこれまでの日本政府の姿勢を転換し、歯舞・色丹の2島(先行)「引き渡し」に焦点を絞り、平和条約の締結(を通じて両国関係の完全正常化)を急ぐとの戦略的決断を行った模様です。昨年11月のシンガポールでの日露首脳会談において「1956年の日ソ共同宣言を基礎にして平和条約締結交渉を加速化する」ことで合意したというのは、まさしくそのことを意味するのでしょう。  この点をめぐり、国内から批判の声が上がっていることは周知のとおりです。すなわち、歴史的にも国際法の上からも我が国固有の領土である国後・択捉の2島を事実上放棄することは、竹島や尖閣など他の領土問題に対する悪影響はもとより、主権国家としての外交姿勢の根本が問われることになります。しかも、歯舞・色丹の領土面積は北方領土全体のわずか7%に過ぎないのではないかとの批判です。ここへ来ていきなり「日ソ共同宣言」の線で平和条約交渉をまとめたいと言われても、それは過去60数年間の日ソ・日露交渉の経過をあまりにも軽視した姿勢と言わざるを得ないのではないかと。我が国の国力は、敗戦から10年しか経っていない1956年当時とは比べものにならないくらい拡大しており、冷戦後の93年の東京宣言では「平和条約交渉の継続は4島の帰属問題の解決を意味する」という合意にまで、日本がロシアを押し返した外交成果を無にするのか、というわけです。  したがって、安倍政権としては、たとえ93年の線から後退してでも今なぜ平和条約締結を急がねばならないのか、その理由を説得力ある形で国民に示す必要があります。そこには、日露の二国間関係を超えた地政戦略的な正当性がなければなりません。もちろん、(不法か否かに拘わらず)すでに島を占有しているロシアにその返還を求める日本としては、相応の妥協を強いられることは覚悟せねばなりません。たとえば、領土返還の代価として、ロシア側が求める経済協力プロジェクトや北方領土の共同管理などで日本側の歩み寄りは最低限必要といえましょう。  最終回は、そのような一見不釣り合いともいうべき代価を支払ってでも、ロシアとの平和条約締結を急ぐべきだとの安倍政権による「戦略的判断」の是非について考察したいと思います。 (衆議院議員 長島昭久)

閑話休題 その3:北方領土をめぐる日露交渉に、喝!(上)【長島昭久のリアリズム】

2019.02.11 Vol.715

 北方領土返還を求める日露交渉が難航しています。二度目の首相に就任以来、安倍首相が北方領土問題の解決に並々ならぬ姿勢で臨んできたことは誰の目にも明らかです。在任6年の間にプーチン大統領との首脳会談はじつに25回に及びます。しかし、核心部分はしばしば「差し」の会談(通訳のみ同席)で話されてきましたので、肝心の情報は厳格に秘匿され外部の者からは窺い知ることはできません。以下、全貌を把握することが難しい日露交渉の現状を改めて分析し、私なりの考え方を述べたいと思います。本論に入る前に、まず議論の前提として、いくつかの歴史的事実を整理しておきたいと思います。  1.日本の主張(固有の領土である北方4島の主権は日本にある)とロシアの立場(第二次大戦の結果、4島はロシア領となり主権はロシアにある)は、真っ向から対立している。  2.近代国際法の下、日本とロシアとの間で初めて国境線を確定した「日魯通好条約」以来、第二次大戦末期まで国後、択捉を含む北方4島にロシアの支配が及んだことはない。  3.対日参戦の条件としてソ連が千島列島の領有を要求し、米英がそれを容認したとされるヤルタ協定(連合国有志間の密約)に基づき、大戦末期にソ連が日ソ中立条約を破棄し満州などに侵攻。ソ連軍は、日本が無条件降伏(1945年8月15日、ポツダム宣言受諾)した後になって北方4島に侵攻。以来、ソ連による不法占拠が続く。  4.終戦直後の混乱期、当時の吉田首相(1951年、サンフランシスコ講和会議での発言)や西村外務省条約局長(国会答弁)らは、国後・択捉島を「南千島」と呼び、色丹島と歯舞群島を「北海道の一部」と明言するなど異なる扱いを示した。  5.早期解決を模索した鳩山首相は、日ソ共同宣言(1956年)により、歯舞・色丹の2島「引き渡し」で妥協しようとしたが、冷戦が深まる中で日ソ関係の改善を警戒する米国からの牽制(ダレスの恫喝)などにより、4島返還の原則に妥協を加えることができなかった。  5.1960年の日米安保条約改定により、日本によるソ連への敵対姿勢が明らかになったとして、ソ連は日ソ共同宣言の線を後退させ日ソ間の「領土問題は解決済み」と主張し始めた。  6.ソ連崩壊、冷戦終結後、日露間でいくつもの首脳会談および共同声明が発出され、ロシアは領土問題解決済みの旗を降ろし、4島の帰属の問題を話し合う姿勢に転換。とくに2001年の「イルクーツク宣言」では、日ソ共同宣言を平和条約交渉に関する出発点を設定した基本的な法的文書と位置づけ、「東京宣言」(1993年)に基づき、4島の帰属問題を解決することにより、平和条約を締結するための交渉を促進することが合意され、今日に至る。 (衆議院議員 長島昭久)

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