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伊藤忠キッズパークがとにかくエクセレントすぎるので行ってみてほしい〈徳井健太の菩薩目線 第249回〉

2025.07.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第249回目は、伊藤忠の「キッズパーク」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 小さい子どもを育てている方なら分かると思うのですが、子どもと一緒に遊ぶといっても、安心して遊べる場所は意外に少ない。

 例えば、公園で遊ぶとしても、きちんと子どもを見張っていないと何をするか分からない。遊具があるということは、その遊具で怪我をする可能性もあるわけで、きちんと付き添っていないといけない。「子どもと遊ぶ」という言葉だけを切り取ると、なんだかとても牧歌的に思えるかもしれないけれど、実際には緊張感を伴うことだったりする。

 以前の『菩薩目線』で、新宿の「カラオケパセラ」が子連れ親子にとって素晴らしい場所だったと触れた。さほど負担がかかることもなく、子どもと一緒に遊べる楽しい空間。そんな場所を求めて、僕らはいろいろと出かけるけど、なかなか良い場所には巡り合えない。でも、ついに、一つの最高峰といっていい“楽園”を見つけてしまった。

 外苑前駅にほど近い、伊藤忠さんのキッズパーク。ここは一体、何なんでしょうか。伊藤忠さんの社員さんが利用する福利厚生的な場所なのか。仮にそうだとしても、まったく関係ない僕らも利用することができる。しかも、無料で。

 ボールプールがあって、ブロックや絵本もある。経験上、都内にあるこうした施設は、30分子ども300円、大人600円というイメージ。だけど、ここは混雑していなければ、子どもはいつまでも遊び続けられる。

 料金体系がしっかりしているキッズスペースは、商魂がたくましいというか、ビジネスライクというか、遊ぶ内容によっては課金システムが発生する。子どもファーストではなくて、お金ファーストだと分かると、一気に落胆してしまう。結局、子育てはお金で解決するしかないのだと。

 それは仕方のないことかもしれない。でも、それだけじゃないはず――。そんなことを思っていた僕らの目の前に広がる、圧倒的楽園。なんだ、あるじゃないか、やっぱり。

 積み木で遊んでいると、その積み木を放置したまま、子どもは次に関心を寄せてしまう。それを追いかけていくと、片づけられないから、なんだか申し訳ない気持ちになる。ところがここでは、スタッフさんが黒子のようにサッと完璧に片付けるだけでなく、アルコール除菌までやってしまう。信じられないくらい清潔で、安心で、こんな場所がこの世にあるのかと、僕らは小躍りした。

 外苑前駅という場所柄も面白い。利用客が多国籍で、ここで遊んでいるだけで国際交流をしているかのような雰囲気さえある。実際、僕が子どもと遊んでいると、突然、ネイティブな英語で話しかけられた。まったく国籍は違うけど、子育てをしている同じ境遇。聞き取れないのに、なんとなく話していることが分かるから不思議です。みんなに余裕があるからか、肩肘を張っていないのも心地よい。

 さらに目を丸くしたのが、スペースに併設されているカフェ。子どもの気持ちを知ろうといったコンセプトがあるようで、“子どもの感覚”を大人が学ぶことができるのだ。子どもはよく食べ物を残してしまう。だけど、子どもから見たメロンパンの大きさは、実はこれぐらいの量に見えている――そんなことを1杯300円ほどのアイスコーヒーを飲みながら知ることができるんです。

 フルフラットという点も素晴らしい。段差があると、走り回る子どもにとってはリスクがある。転んでしまう可能性があるから、僕らは子どもから目が離せない。カフェでくつろぐつもりが、むしろ疲れるなんてこともある。安心して子どもと時間を過ごせるように設計されている。端々から感じる、些細な配慮。そういうのが、うれしいんです。

 訪れる際は、事前に予約が必要だけど、興味のある方は行ってみてください。「そう! これ! こういう場所を求めていたんだよ!」という気持ちになること間違いなしです。

塩抜きダイエットからのご褒美南青山ランチからの伊藤忠キッズパーク〈徳井健太の菩薩目線 第248回〉

2025.07.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第248回目は、塩抜きダイエットについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 塩抜きダイエットの先に、楽園を見た。

 始まりは、「体を絞る」という奥さんの一言だった。良い機会だと思い、僕も一緒にすることにした。以前、「絶食ダイエット」なるものに挑戦したことがある。このときも、物は試しとばかりに僕も絶食してみた。僕は頑固な人間なので、「やらない」と決めたら、本当に「やらない」。そのため、かたくなに水分以外は体の中に摂り入れないようにした。ところが、奥さんは絶食ダイエットが相当キツかったようで、「違う方法で3日間ダイエットをしよう」ということになった。

 そこで選ばれたのが、「塩抜きダイエット」だ。塩抜きダイエットは、その名の通り、食事から塩分を極力減らし、体内の余分な水分を排出することを目指す。塩分は、体内に水分を溜め込む性質があるため、むくみにつながるという。塩分を抜くことで、短期間で体をシャープにできるというわけだ。

 とにかく塩分をカットする。そのために、僕は野菜スープを作ることにした。このスープだけを摂取して3日間を過ごす。もちろん、味付けに塩は加えない。野菜から出る、素材が持つ味だけで煮詰めていくのだ。

 ところが、これがかなり美味しくない。味の決め手となる調味料を極力省いたため、とにかく野菜の味しかしない。素材本来のうま味などと言うけれど、結局、塩や醤油があってはじめて素材本来のうま味などとのたまうことができるんです。絶食ダイエットの方が楽だと思うくらい、塩抜きダイエットはつらく、この世界には、塩分が含まれるものだらけだということを思い知った。

 その間、僕は仕事をしているから、楽屋には弁当がある。そのたびに、「塩抜きしているのでいらないです。すいません」と断る。俺は一体何をやっているんだろうと思った。なぜマッチョ系芸人でもないのに、こんな過酷なことをしているんだろう。二日目を過ぎたあたりで、さすがに野菜スープだけでやり過ごすには無理があると悟った。そこで、パッケージに塩分カットと表記されているサラダチキンを食べることにした。 塩抜きダイエットは、食事から塩分を“極力”減らせばいい。別にルール違反をしているわけじゃない。法の抜け道を通るだけ。それに、暑さが厳しいこの季節に、まったく塩分を取らないというのは体にも良くない。ありったけのごたくと共に、僕はサラダチキンを口の中に放り込んだ。驚いた――。

 めちゃくちゃしょっぱい。たった2日間なのに、まったく塩分を摂っていなかった僕の体は、塩分カットしているサラダチキンですら、衝撃的な塩味を感じるほど改造されていた。あまりにしょっぱくて、ひっくり返りそうになった。人間という生き物は、たった2日もあれば、感覚が狂わされるのだと感慨深かった。その甲斐があったのだろう。3日間で体重は4キロ落ちていた。

 塩抜きダイエットは水分は摂っていいから、期間中、僕はビールも飲んでいた。それにもかかわらず、4キロも落ちているのだから、かなり効果的に痩せられることは間違いない。ただし、ダイエットというよりも減量に近い感覚なので、かなりの覚悟も必要。それでも良ければ、お試しあれ。

 3日間やり切ったご褒美として、南青山でランチでも食べようという話になった。塩を抜いた後だから、何を食べてもおいしい。結局、ご馳走とは塩分なのだ。

 満足感を得た僕らは、子どもと一緒に遊べる場所を探そうということになった。ChatGPTに聞くと、外苑前にある伊藤忠さんが、「キッズパーク」という施設を有していると教えてくれた。事前に予約が必要だということで、とりあえず予約をして訪問することにした。

 僕は、この施設がどんな施設だかまったく分からない。「とりあえず行ってみるか」くらいの軽い気持ちで訪問したから、どんな遊具があるのか、どんな料金体系なのかは、行った先で確認しようと思った。受付に付くと、係の方から、「ご予約はされましたか?」と聞かれたので、「はい」と答える。当然、お金を払うものだと思っていたから、財布を取り出すと無料だという。無料?

 中に入ると……驚愕した。ここは楽園か。僕らは、ここを見つけるために、塩抜きダイエットをしていたのかと思った。何が素晴らしかったのか、次回に詳しく説明します。すべてのキッズがいる親御さん、楽園があったんです。

ノブコブ徳井が「自分は大丈夫」と言い張る相方・吉村と小倉優子に「自分で言ってる人が一番危ない」

2025.07.15 Vol.Web Original

 お笑いコンビの「平成ノブシコブシ」の吉村崇と徳井健太が7月15日、都内で行われた「ダークパターン対策協会のこれまでの取り組みと今後の活動計画の記者発表会」にタレントの小倉優子とともにゲストとして出演した。

 ダークパターンとはWebサイトやアプリ等で消費者の意思に反して製品やサービスを購入させたり、知らぬ間に定期購入にさせたり、過剰な個人情報の要求や第三者への開示を行うなど、事業者に有利な行動へ意図的に誘導する仕組みや手法のこと。

 3人はトークセッションでクイズ形式でダークパターンのさまざまなケースを学び、注意喚起を呼び掛けた。

 MCの「周囲にダークパターンに引っかかりそうな人は?」という問いかけに、吉村がすかさず隣にいる小倉を指名。これに小倉は「いや私は意外に大丈夫なんですけど。それこそ吉村さん」と逆指名。

 これに吉村は「俺は大丈夫だよ」と返すと徳井は「自分で大丈夫って言ってる人が一番危ないんですけどね」とさらり。

ウェブの罠「ダークパターン」のさまざまなケースにノブコブ吉村もびっくり。「疎くて分からない。クッキーっていいやつ? 悪いやつ?」

2025.07.15 Vol.Web Original

 お笑いコンビの「平成ノブシコブシ」の吉村崇と徳井健太が7月15日、都内で行われた「ダークパターン対策協会のこれまでの取り組みと今後の活動計画の記者発表会」にタレントの小倉優子とともにゲストとして出演した。

 ダークパターンとはWebサイトやアプリ等で消費者の意思に反して製品やサービスを購入させたり、知らぬ間に定期購入にさせたり、過剰な個人情報の要求や第三者への開示を行うなど、事業者に有利な行動へ意図的に誘導する仕組みや手法のこと。

 3人はトークセッションに登場。吉村が「そういう言葉があることは知ってますけど詳しくはないですね。おそらく僕の身近にもあるはずなんですけど、気づいてないことが多いと思います。学びたいと思います」と言うように3人ともダークパターンについては知っているようでよく知らないということでクイズ形式で進行。

「ダークパターンの可能性があるものは?」というクイズでは「単純にお得な情報だから大丈夫なのでは?」「25分で終わりっていうのは事実だからいいのでは?」「検討中という言葉はどうなのか?」などと喧々諤々。

 すべてその可能性があるという答えに吉村は「ちょっと盛っちゃっているのが特徴なんですね」、徳井は「検討中だから事実かどうか分からないというところでうまいことやっているってことですね」、小倉は「口コミナンバーワンとかって信じ切っていたけど、口コミが嘘ということもあるんだということにびっくりしました」などとそれぞれうなずいたり、びっくりしたり。

フリースタイラー吉村崇の圧倒的なパンチラインにほれぼれした話〈徳井健太の菩薩目線 第246回〉

2025.06.30 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第246回目は、新婚の相方・吉村崇について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 相方である吉村は、結婚したというのに芸能界の“天下獲り”を諦めていないらしい。吉村は、「天下と家庭は両立できるのか?」をテーマに、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(6月20日放送回)に登壇し、その胸中を語っていた。

 平成ノブシコブシは賞レースとは無縁だから、やっぱりコンプレックスがある。特に、吉村はそれが強い。この話をすると、賞レースにかすっていない僕たちがテレビに出ているだけですごいと言われるし、吉村に限って言えば、賞レースで結果を残せていない芸人たちの“希望の星”といっても過言じゃない。

 お笑いファンならいざ知らず、一般の人たちからすれば賞レースで結果を残しているかどうかなんて興味がないだろうから、「テレビに出続けている今」があるだけで世間的にはすごいことなのだと思う。

 吉村自身、そんなことは10000回くらい言われてきただろう。だけど、オードリーの若林くんが話すには、「自分は賞レースとは無縁だから」と、お酒が入ってくると吉村はこぼすという。だから吉村は、破天荒なことをやり続けなければいけない。そう思い続けている。結婚したというのに。

 番組をご覧になった皆さんには、同じ説明をすることになりますが、番組内で吉村は自分にないものとして、澤部に対してはツッコミのスピード、若林くんには切り口、アルコ&ピースの平子さんにはコント力、酒井くんには度胸といったことを挙げていた。全員、ピンと来ていなかったから、吉村の考察力はとても低いんだろう。

 そのあと、澤部が「徳井さんのがないじゃないですか?」と口を開いた。すると吉村は、「打ち合わせの段階では、徳井が出演するとは決まっていなかったから、考えていなかっただけ」と説明し始めた。

「だったら、今、徳井さんは何かを言ってくださいよ」

 澤部が言うと、吉村は少し考え込んで、「徳井はお笑いを信じている」と答えた。

 僕は、その言葉を聞いてちょっと震えた。よく咄嗟に、こんなフレーズが言えたなって。「お笑いを信じている」という言葉は、考えて出てくる言葉じゃない。例えばこれが、「お笑いの力を信じている」であれば出てきそうなものだけど、「お笑いを信じている」は、また違う。

 シンプルに、その言葉は僕にとってとても嬉しい言葉だった。本当に僕は信じているから。と同時に、吉村は用意していないときにこそ、本領を発揮するフリースタイルの芸人なんだなとも再確認した。

 もし、事前の打ち合わせで僕のフレーズを用意していたら、おそらく「徳井は考察力に優れている」なんてリリックを書いていたと思う。でも、吉村はアドリブの人間だから、刹那の瞬間にこそ異常な力を解き放つ。

 吉村は追い詰められれば、追い詰められるほど強くなっていくサイヤ人みたいなところがある。『週刊さんまとマツコ』のように、さんまさんやマツコさんといった圧倒的な人がいるときにこそ、吉村は戦闘民族としてのポテンシャルを開放する。裏を返せば、自分がMCで、周りは後輩芸人みたいな状況になるとびっくりするくらい普通になる。

 吉村は、背伸びを続けていたら、本当に背が伸びてしまったタイプなのだ。あきらめずに背伸びを続けたら、できもしなかったトークができるようになり、回せなかった現場を回せるようになった。

 というようなことを考えると、僕は吉村の奥さんがどんな人か知らないけれど、吉村よりも圧倒的に強い奥さんだったらいいなぁなんてことを思う。吉村が背伸びをしつづける結婚生活であってほしい。そうすれば、天下と家庭を両立できるような気がするのだ。    

シン・ラジオのスマッシュヒット企画「並んだグランプリ」。皆さんは、並んだ話をしたくありませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第245回〉

2025.06.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第245回目は、誰かに話したいことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 生きている以上、人間には“誰かに話したいこと”が、必ずあるのだと思う。

 bayfmで毎週月曜日から金曜日の夕方に放送されているラジオの帯番組『シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-』。火曜の最終週の「週替わりパートナー」として、僕は登場している。

 先日、「並んだグランプリ」と題して、人生で一番並んだときの話を募集した。火曜パーソナリティ(この番組ではヒューマニスタと呼ぶ)を務める鈴木おさむさんが、大阪・関西万博に行くという。きっと並ぶことになるから、リスナーの皆さんの並んだ経験を教えてほしいということで、募集することになったのだ。

 すると、過去一、メールが届いた。『シン・ラジオ』のリスナー年齢層は、思いのほか高い。この日、寄せられたメールも、僕にはピンと来ないようなイベントに並んだというものが多かった。特に、1985年に茨城県つくば市で開催された国際科学技術博覧会、通称「つくば万博」について寄せられるエピソードが多かった。

 このとき、「ポストカプセル郵便」なるものが大きな話題を呼んだらしい。郵政省(当時)が受け付け、16年後の2001年、21世紀の最初の年に配達を約束する――。このポストに投函するために、長蛇の列が出来上がったそうだ。リスナーからのメールには、「彼女と並んでポストに投函したけど、結局別れてしまった」とか「本当に届くのかワクワクして21世紀を待った」とか、一つ一つのエピソードが、とても人間的で輝いていた。

 休憩中、おさむさんと、「どうしてみんな、並んだエピソードをしたがったんだろう」と話した。最近あった出来事や、最近食べた美味しい食べ物。そういった話題は、さほど返信が多くない。ところが、“並んだ話”は信じられないくらい食いつきが良い。きっと理由があるはずなのだ。

 個人的な見解だけど、並んだ話というのはいろんな感情が絡み合っている。並んでまで食べたかったもの、並んでまで手にしたかったもの、並んでまで見たかったもの。それなのに、「大したことがなかった」とか「想像以上に興奮した」とか。並んでいる間は、天国と地獄の間をウロチョロする。気持ちが高揚したり、沈んだり、さまざまな工程を経て、やがて自分の番が回ってくる。だけど、そのことを誰かに伝えることはあまりない。

 僕自身、このコラムでバンクシー展に並んだことを書いたけど、振り返るとそれは、並んでまで見たかったのに、そのときに起きた一部始終に納得がいかなかった……そんなことを誰かに伝えたかった、いや、吐き出したかったのだと思う。誰かに話せる範囲で吐き出したくて仕方のない話が、人には絶対にある。その最たる例が、“並ぶ”という思い出なのかもしれない。

 この日、おさむさん自身も、並んだエピソードを話していた。中学生のとき、卒業旅行でディズニーランドに行ったという。ビックサンダーマウンテンが誕生して1年ほどだったから、皆がお目当てのマシーンに乗るために、長蛇の列をなしたという。おさむさんたちも、その列に並んで、今か今かと楽しみにしていたそうだ。

 2時間ほど並んで、あと少しというところで、何人かのヤンキーたちが口汚い言葉とともに割り込んできた。我が物顔で、ビックサンダーマウンテンに乗り込んだ。

 そのとき、おさむさんはものすごく嫌な気持ちになったそうだ。ずっと楽しみな気持ちを抱えて2時間も並んでいたのに、バカたちのせいでその気持ちが汚されたのだから、想像に難しくない。おさむさんは、割り込まれたこと以上に、ウキウキしていた気持ちが一転して不愉快な気持ちになってしまったことが許せなかったともらしていた。

「あのとき、せめて何か言えばよかった」

 今でも後悔がよぎるそうだ。並んだ記憶は、どうしてこんなに心の深くに根ざしているんだろう。並ぶなんてばかばかしい。だけど、並ばないと手に入れることのできない記憶があることも確かなのだ。

有象無象が混在したあの頃の新宿、花園神社例大祭にはまだあった!〈徳井健太の菩薩目線 第244回〉

2025.06.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第244回目は、花園神社例大祭について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 新宿、花園神社と言えば、11月に行われる酉の市が有名だろう。ただ、昨今は境内摂社に芸能浅間神社があるからか、鳥の市の雰囲気は、なんだかよく分からない“なんちゃって芸能感”をやたらと撒き散らすパリピ的な人が多くて、あまり好きではない。

 花園神社例大祭は、毎年5月28日に最も近い土曜日を中心に、金曜日から月曜日まで4日間開催される。宵宮祭(金曜日18時~)、大祭式 (土曜日11時~)、神輿渡御 (日曜日10時~)、後宴祭 (月曜日18時~)という具合に、大祭と名が付くだけあって、想像以上に大規模なのだ。

 僕たち家族は、大祭式のお昼に行った。ほど良い混雑具合で、祭りに相応しい、活気に溢れているものだった。的屋の種類も多種多様で、令和の大都会新宿で金魚すくいなんかもある。金魚も、なんだか気持ち、ギラついてるように泳いでいると感じるほど、道行く人も金魚もせわしない。ふと視線を右に移すと、くじ引きの景品として、色あせた箱のPlayStationが飾ってあった。

 もちろん、祭りの主役である神輿も登場する。担いでいる人たちの雰囲気は、いま皆さんが想像している通りの人たち。さすが新宿のど真ん中にある花園神社だと、僕は気分が高揚していった。

 かつてこの場所では、「状況劇場」の主宰・唐十郎さんが創始した野外演劇・ 紅テントがあったからだろうか、境内の中だというのに、周辺で飲食店を営んでいるだろうお店が、臨時でテント居酒屋を出店していた。しかも、1軒、2軒じゃない。軒を連ねている。大祭のときにだけ出現する、まるでサーカスのような雰囲気。こんな空間が存在していたことを今も知らなかったことを大いに悔やんだ。そう、新宿に長く暮らしているというのに、僕は初めて大祭に足を運んだのだった。

 僕がもっとも驚いたことが、信じられないほどの喫煙率だ。祭りに関わる人や、出店している人たちのほとんどがタバコを吸いながら作業をしていた。僕は、ここが神社であることを今一度確かめるため、目を凝らして境内をぐるりと見渡してみたが、目に飛び込むのは間違いなく神社の境内であり、それに彩りを灯すように光るタバコの火だった。

 瓶ビールの瓶を受け取ったお姉さんは、くわえタバコで「あぁ、どぃうもゥ」なんてやっている。くわえているからうまくしゃべれない。お互いが聞き取れないだろう会話の応酬を見ていたウチの奥さんは、北九州生まれにもかかわらず、あまりに時代がスリップしている状況に、引いていた。祭りは見ている人を引かせてナンボである。エイサ、ホイサ。

 何か食べようかなぁと思って、臨時居酒屋の前でメニューを眺めていると、「入っていきなよ」とお店の人からすすめられ、僕らはなすがままに店の中に入ることにした。店の中なのか?

 注文を見ていると、会計は後払いだという。こういうときは、だいたいキャッシュオンだと思うので、後払いと聞き、若干の不安がよぎった。でも、我々は祭りの抵触者なのだから、郷に入らなくてはいけない。間違っても、「これ、ぼったくられないか?」などと思ってはいけないのだ。

 僕らは、ビールとメンチカツを頼んだ。メンチカツは(3個)と書いてあったので、家族3人で食べるにはちょうどいい量だと思った。

「ひいよゥ(はいよ)」

 目の前にメンチカツが届き、箸を伸ばし、口に運ぶ。コロッケだった。もう1個食べてみると、それはハムカツだった。メンチカツは1つしかなかった。

 これを詐欺と言うなかれ。祭りである。祭りに日常を求めてはいけない。会計が明朗会計だっただけでも御の字じゃないか。東京のど真ん中にカルチャーショックを体験できる場所がある。なんて素晴らしいことだろう。

 年に1回しか行われない。だけど、確実にそこにある。文化や伝統がどんどん消失していく時代にあって、僕たちの五感を刺激するものが存在する。人を選ぶかもしれない。ただ、僕は来年も行くし、皆さんもぜひ体験してほしい。

タモリさんから鑑みる、記憶力と今後の生き方、若手との接し方の巻!〈徳井健太の菩薩目線 第243回〉

2025.05.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第243回目は、記憶力について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 少し前に、いかに人間の脳の衰えるスピードが速いかについて、このコラムで触れた。

 処理能力は18歳がピークで、人の名前を覚える力は22歳をピークに衰えていくという。人の顔を覚える力は32歳、集中力は43歳を境に下り坂になるそうだ。相手の気持ちを読む力は48歳をピークに落ちてくるらしく、50歳くらいになって草野球をしようものなら、初めて対戦する相手の顔や名前、気持ちがよく分からないまま、打ったり投げたりしていることになる。なんだか悲しく聞こえるけど、裏を返せば、自分たちのプレーに集中して……集中できていないかもしれないけど、着の身着のまま熱中できるのだから、それはそれで幸せなことなのかもしれない。

 たしかに、僕も人の名前や顔を覚えづらくなってきているなぁという自覚がある。仕事を続ける限り、人の名前や顔は覚えるに越したことはない。だけど、「アレ、この人会ったことあったかなぁ」とか「顔は分かるんだけど、名前なんだっけかなぁ」みたいなことが少なくない。もし仮に、正解を導き出せなければ、その間違いはそのまま自分に返ってくるわけで、仕事が減ってしまっても文句は言えない。そんな可能性があることも視野に入れながら、いかにして加齢にともなう脳の変化と付き合っていかなければいけないと思うわけです。

 だいぶ昔、僕が『笑っていいとも!』に出演したとき、タモリさんが記憶術について話をしていた。皆さんも、なんとなく分かると思うのですが、タモリさんはめちゃくちゃ記憶力が良い。記憶力に加えて、引き出しの量の多さも尋常ではないので、次から次に教養や知識、雑学が湯水のごとく湧いてくる。

「どうしてそんなに記憶力がいいんですか?」と尋ねると、タモリさんは“連想ゲームのように覚えていく”と教えてくれた。例えば、イカについて覚えるとき、多くの人はイカに関する知識をひたすら覚えようとする。ところが、タモリさんはスミを吐くという構造を理解すると、スミから連想される違うものに関心を移し、それが硯(すずり)であれば、硯についての雑学を覚えるのだそうだ。

 あるいは、トマトとカニといったまったく関係ないものが2つあるときは、トマトとカニを連結させるものは何かを探し出し、その知識を持って、トマトとカニ、どちらもロックするらしい。一例を挙げれば、トマトは宇宙ステーションでの栽培実験に使われることがあって、カニの缶詰や加工品は、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がることがある……つまり、トマトとカニは、“宇宙開発と関わりが深い食材”という共通項を持つ。

「カニって、長期保存可能なタンパク源として宇宙食の候補に挙がるんだよな」

 今にも、そんなタモリさんの声が聞こえてきそうじゃないですか。接続できる何かを探すことで、記憶を強化する――タモリさんは、曼荼羅のように覚えているからこそ、面白い一言をよどみなく添えていく。真似できるかどうか分からないけれど、中間にあるもの、接続できるもの、そういったものを探すことで、結果的にAもBも覚えることができるというのは、目からウロコ以外のナニモノでもない。

 人間の脳は早い段階から衰えていく。でも、語彙力だけは60代後半まで伸びるという。と言っても、引き出しがなければ、語彙力は増えない。素材がなければ、料理が作れないのと一緒だ。本を読んだり、映画を見たり、あるいは自分で気になったことを調べてみたり、そういった地道な行動が大切になる。そういう意味でも、タモリさんの覚え方は、“60代後半まで語彙力は伸びる”という根拠を示す一例な気がするし、勇気が湧いてくる。自分次第なのだ。

 知らないってことを自慢しちゃいけない。知らないってことを受け入れることが大事なのであって、「オレはそれ知らないからさぁ」みたいな感じで、ちょっと上から目線で話すなんて、めちゃくちゃ愚かなことだと思う。気を抜いていると、「最近の歌手はよく分からないから、めっきり音楽番組は見なくなった」とか言いそうなものだけど、結局、それは自分の関心が薄くなっているだけなんです。一輪車業界のナンバーワンとナンバーツーを知っていますか? と聞かれたら、ほとんどの人が分からないと思う。僕も分からない。でも、なんだか気になるじゃないですか。どうして気になるのか? それは興味や関心があるから、「知りたい。教えてください」となるわけで、本来、興味や関心に大も小もなくて、あくまで自分の気持ち次第だということ。最近の音楽業界も最近の一輪車業界も、自分次第で関心を抱くことはできるはず。それが、自分の引き出しとなる。知らないってことを自慢することは、関心を持てない自分を自慢しているようなものなのです。

 

カンカンダンスから鑑みる、自分のこれからの生き方と死に際〈徳井健太の菩薩目線 第242回〉

2025.05.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第242回目は、成長について、独自の梵鐘を鳴らす――。
楽曲のリズムに乗って、出だしは右手でピストルのポーズ。そして、首を横に振りながら踊る。中国発のダンス「カンカンダンス」が、SNS上で流行っているらしい。

 クリスマスで浮かれている人やハロウィンで仮装している人に対して、若い頃は「さむい」と思っていたけど、子どももいて45歳にもなると、そんな風に考えることの方がさむいと思うようになった。2歳を過ぎた僕の子どもが、YouTubeで“踊ってみた”とか“歌ってみた”とかを見ていると、微笑ましい気持ちになる。YouTubeで表現をしている人たちには、僕らとは違う、その人たちの世界がある。こうして小さい子どもを笑わせているのだからすごいことだなと心から思う。

 あるとき、アイドル5人組がカンカンダンスを踊るYouTube動画を、子どもが見ていた。一生懸命、カメラの前でユニークに踊る姿は、いろいろなことを想像させた。ぼんやり眺めていると、

「一緒に踊ろうよ」

 子どもからそう誘われた。正直な気持ちを言うと、照れ臭くて踊りたくないなと思った。でも、キラキラした目で子どもが誘ってきているのだから、「パパはいいよ」なんて断るのはよくないことだとも思った。

 カンカンダンスは、何人かが縦の列になって踊る。先頭に立つ最初の人が踊ったらその人はいなくなって、2番目の人が踊る。以降、3人目、4人目と続いていく。

 僕らはカーテンを開けて、ガラス窓に自分たちの姿が見えるようにして、縦の列を組んだ。うちの奥さんもとても乗り気になって、一緒にカンカンダンスを盛り上げる準備をし始める。先頭は、奥さん。2番目が子ども。そして3番目が僕だ。
曲が流れると、奥さんはライブステージさながらに全力で踊って、子どもへとバトンタッチ。その様子を見ていた子どもはキャッキャとハイテンションで、見よう見まねのカンカンダンスを踊る。ネクストバッターサークルで待つ僕に、家族が最高のアシストをしてくれる。いよいよ、僕が踊り出す。

 その瞬間、窓に映った僕の顔は、死人みたいな顔をしていた。どこからどう見ても顔に生気がない。体は動いているけど、心が明らかに嫌がっている――。窓に移った自分の顔は、見事なほどそれを証明していた。

 情けなかった。何がイヤって、奥さんも子どもも全力でつないでくれて、何だったら照れ臭そうにしている僕に気を遣うように準備をしてくれたのに、僕は応えるどころか、心が冷めたままだったこと。ウソでも楽しそうに振る舞えない、鬱屈した思春期の気持ちが、40過ぎた自分に全然残っていることに悔しかった。

 何かを察したのか、「もう一回やろう」と子どもが誘ってくれた。だけど、「パパは疲れてるから2人でやろう」と、すかさず奥さんも察する。僕は察し続けられた。いい大人なのに、こんなこともできないのかと、鏡に映る顔は、いっそう険しいものへと変わっていた。部屋に悪魔がいる。追い出さないと。

 人間ってこんなに変わらないものなんだろうか? 誰かが見ているわけでもなく、心を許した家族しかいないというのに、やっぱり人間というのは成長しないものなのか。心と体がどうにもくっつかない。興味のないことには、死ぬまで乗り気になれないのかなぁ。子どものためであればできると思っていたんだけど、できないんだなぁ。ダサすぎるだろ。できないか。まだできない。もうできない。

 ただ、これじゃ終われない。死ぬまでできないと悟ったのであれば……もちろん、できるようになる努力はし続けたいけど、できないのであれば、そういうときにどう振る舞うか。これが大切だ。

 これからカンカンダンスのようなことが、仕事だったり、プライベートだったり、さまざまな瞬間に訪れる。そのときにどう生きるか。僕たちはどう振る舞うか。子どもの気持ちを傷つけず、家族や周りにいる人が幸せなまま、踊らずに済むにはどうしたら。きっと踊らなくても踊る方法はある。

 もっともやっちゃいけないのは、周りの期待を冷めさせてしまうこと。踊らなくても周りを笑わせたり、心地よくさせたりすることはできる、はず。

 きっとこれは僕だけの問題じゃない。カラオケに行ったのに、自分は音痴だから「歌わない」。これでは周りは冷めてしまう。どうやって乗り切るか、その方法は用意しておかないといけない。歌うことを拒んで、周りを消沈させるのではなく、音痴でも成立する歌を選曲する、ものまねをする。何かしら方法はある。

 世の中には、どうしたって自分には合わないことややりたくないこと、苦手なことがたくさんある。そういうとき、どう振る舞うことがマイナスにならないか。僕もみんなも用意しておかなきゃいけない。

クリアソン新宿のおかげで、家族とお酒とご飯の関係性を見直せたお話〈徳井健太の菩薩目線 第239回〉

2025.04.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第239回目は、飲まずにメシを食べる幸せについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 第211回「僕は新宿が好きです。だから、クリアソン新宿を応援します! にわかです。でも、家族ぐるみで応援します!」で触れたように、JFLに所属するサッカークラブ、クリアソン新宿を欠かさずチェックしています。

 可能な限り、試合をYouTubeでチェックし、スケジュールが合えば家族で観戦しに行くことも続けている。やっぱり勝つと嬉しいし、こっちまで景気が良くなる気がする。推しチームがあるって、自分の日常に彩りを与えるものだと、つくづく感じている次第です。

 一方で、 小さい子どもを連れて電車を乗り継ぎ、試合会場まで行く。夏の暑い日や冬の寒い日ともなれば、家族の士気はどんどん下がる。とは言え、好きなチームを応援しながら、青空の下でビールを飲みたい。そんな気持ちから電車で移動していたけれど、人生というのはそんなにうまくいかないものです。

 試合に勝てば、まだ笑える。でも、負けるとなると、己の欲望は自分自身にすべてひっくり返ってくる。奥さんはクタクタになりながら電車に乗って、子どもも泣き出してしまう。ビールを飲みたいという欲が、こんな不幸な事態をもたらすことを理解した僕は、もう二度とこんなことをしてはいけないと悟った。その日を境に、今後は試合観戦に行くときはカーシェアを利用しようと決めた。少しでも快適な空間を作ることが、家族のためにも自分のためにもなると誓ったのだ。

 つい先日も車を借りて、調布にほど近いサッカー競技場まで試合を観に行ったのですが、府中にある美味しそうな焼肉店を見つけ、ご飯を食べることに。車があると周辺まで足を延ばしやすくなる。車のメリットがさっそく生きた証左です。

 反面、デメリットがないわけではない。そう。焼肉を食べるというのに、ビールをはじめとしたアルコール類が飲めません。「きっとビールの方がおいしいんだろうな」なんて食べる前は思っていた。ところが、実際にウーロン茶を飲みながら焼肉を食べると、何の不自由もないし、とても楽しい時間を過ごすことができた……肉が美味いんだから、ビールである必要などなかったのだ!

 お酒を飲めるようになってから、夜に外食をするときはお酒を一緒に飲まないと「気持ちが悪い」と思っていた。でも、“焼肉でお酒を飲まない”という初体験をしたことで、自分で勝手に決めつけていた思い込み、妄想のたぐいだったんだと視界が開けた気分だった。

 言われてみれば――。酔っぱらってしまうと、最終的にどんな味だったかを思い出すことができない経験は一度や二度じゃない。それなりに高い寿司屋さんへ行っても、ビールだ、日本酒だと楽しく飲み続けた結果、終盤に食べた寿司のネタの味なんてまるで覚えていない。それどころか翌日に、「俺って最後の方、何を食べていたっけ?」なんて味どころかネタすらも忘れている始末。せっかくうまい料理を食べたはずなのに覚えていないって、俺は一体何をしに行ったんでしょうか? これって、食べ物を残すこととと同じくらい“もったいない”ことをしているんじゃないのか……。

 僕はようやくこの歳になって気が付いた。

 ご飯を食べることと、お酒を飲むことは分けたほうがいいのかもしれない。お酒は好きだから、今のところ断酒する気はない。だけど、お酒を飲みながらご飯を食べると、僕の場合はついついお酒を頼みすぎてしまうから、ご飯の味はおぼろげになるし、コストもかかってしまう。かといって、お酒を控えて居酒屋を楽しむような飲み屋に対して失礼な態度も取りたくない。

 だったら、きちんとご飯を食べられるところでご飯を楽しみ、その後、場所を変えるなりしてお酒を楽しめばいい。そんなプランもアリなのではないかということを、クリアソン新宿のサッカー遠征で学んだのだ。今までとは違う行動をするようになると、今までにはない発見がある。当たり前だよね。自分で何かを変えることは難しいけど、環境によって何かが変わることは、想像している以上に簡単です。同じことばかりしているのは、もったいないことなのです。

東京NSC血と肉の歴史、続ける阿呆と辞める阿呆、さらば渋谷無限大。【徳井健太の菩薩目線 第238回】

2025.04.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第238回目は、東京NSC30周年について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 東京NSC一期生である品川庄司さんが、入学したのが1995年。今年2025年は、東京NSCが誕生して30周年という節目の年になるという。

 相方の吉村は、勝手に東京を背負うのが趣味みたいなところがある。あいつは、何かとアニバーサリーなことが好きな男でもある。そんな吉村が、先日、『吉村崇の勝手にシリーズ ~祝!東京NSC30周年「決起集会」』なるイベントをオールナイト二夜にわたってお送りしたのは、まぁ、そんなに不思議なことではなかったのかもしれない。

 僕は何をするのか分からなかったけど、さかのぼること昨年の12月、番組収録の合間に、「俺、結婚するから。あと、東京NSC30周年のイベントをやるから空けといて」と告げられていた。時間にして、3秒ほどの伝言。だけど、25年も一緒にいるので、なんとなくその意味は理解した。

 その後、渋谷のヨシモト∞ホールが2025年3月末をもって閉館になることが報じられたが、あくまでこのイベントは30周年を祝いたい吉村の思惑ありきなので、「ヨシモト∞ホールを総括」というのは後付けということになる。

 当日は、東京NSC1期生から現在の若手芸人にいたるまで膨大な数の芸人が登場するとあって、ヨシモト∞ホールを「令和ステージ」、ヨシモト∞ドーム(今年5月末で閉鎖予定)のステージⅠを「平成ステージ」、ステージⅡを「昭和ステージ」と題して、3会場同時並行で行われるというものだった。

 吉村は綿密な打ち合わせをしていたので、3ステージのタイムテーブルを把握していただろうけど、僕は自分の持ち場である「令和ステージ」以外の2ステージで何が行われているのか、よく分からなかった。ただ、30周年という大きな月日を振り返るということもあって、体を張る企画や、深夜ならではの企画が、他のステージでも行われていることは想像に難しくなかった。

 良くも悪くもくだらなくて懐かしい夜だった。第一夜が終わって、「バカばっかりだなぁ」なんて思い出し笑いをしながら喫煙所に入ると、東京NSC10期生のかたつむりの岡部と、少し雑談をした。

 岡部は、現在、“ピーチ”という芸名で活動し、東京8期生のパンサー尾形率いる「尾形軍団」の一員として、ちょくちょくテレビにも出ている。『水曜日のダウンタウン』で、「ドッキリの仕掛け人 モニタリング中ターゲットのエグい秘密知っちゃっても一旦は見て見ぬフリをする説」の逆ドッキリを尾形に仕掛け、嫁の下着を抜き取ったのが岡部だった。

 かたつむりは、2005年に中澤と林がコンビとして結成し、僕たち平成ノブシコブシも出演していた『コンバット』というコント番組に、結成わずか2年で出演を果たす実力のあるコンビだった。その後、紆余曲折を経て、2017年に岡部が加入し、トリオとして活動を開始する。我々は25年戦士、かたつむりも20年戦士ということになる。

 この日、かたつむりと岡部は、 ヨシモト∞ドームに登場していたから、僕とは直接顔を合わせていなかった。「どうだった?」なんて会話を交わしつつたばこをふかしていると、東京吉本芸人の父として慕われる作家の山田ナビスコさんが入ってきた。

「岡部、お前逃げたな」

 開口一番、そう岡部に言い放つと、怒涛の説教が始まった。僕を含め、複数の芸人がいるというのにお構いなしだ。

 耳を傾けたくなくても、いやおうなしに鼓膜に響いてくる。どうやら、ヨシモト∞ドームのステージでは体当たり系の企画が行われていたらしく、岡部が体を張るタイミングが訪れた――にもかかわらず、そこから逃げて、他の芸人が犠牲になったらしい。そのことに対して、山田さんはブチ切れているようだった。信じられないテンションで説教している山田さんの姿を見て、「30年経ってもNSCってNSCのままなんだな」と僕は軽い感動を覚えた。

「そんなことないですよ。何言ってるんですか」と弁解する岡部の姿も、僕が若手だった頃の光景と何一つ変わっていなくて、きっとこうした徒弟的なやり取りは、何百年も前からあったんだろうなと想像を掻き立てた。

 岡部の芸歴は20年を数える。「売れている」「売れていない」という明確な線引きはあるかもしれない。だけど、一つのことを20年も続けていれば、それはもうベテランの領域にいるし、それなりの腕がなければ廃業しているはずだろう。そんなキャリアのある人間が、目の前でブチ切れられている光景を見て、僕はお笑いの世界の幸せを感じていた。時間が止まるってこういうことをいうんだろうな。

 僕らはこんな熱量で説教されることはもうなくて、せいぜい陰口を叩かれるくらいだ。言いたいことがある人だっていると思うけど、面と向かって言うと角が立つから言われない。だから、真っ正面から説教されているというのは、ある意味では“まとも”なんだと思う。

 山田さんが去ると、岡部は

「また怒られちゃいましたよ」

 とポツリとこぼした。春です。新入生よ、恐れるなかれ。酸いも甘いも嚙み分けて、新しいステップを楽しもう。

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