南相馬市の今。

東京の人たちに知ってほしい

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南相馬市民が、今一番欲しいもののひとつは、「情報。それも新聞だよ」。新聞配達は停止し、新聞が入ってこない。毎朝、市役所の職員が相馬市まで『福島民報』を500部取りに行き、6時から市役所前で配布する。早い人では朝4時から並び、6時直前には200人以上の行列ができる


 4月に入り、福島第一原発から30km圏内にあたる南相馬市の中心、原町区を中心に、およそ1万人近くの人々が自分たちの家に戻ってきたと推定されている。いったんは1か所にまで縮小した避難所も2カ所に増え、原発から20km圏内に含まれる小高区の人々を中心に180名ほどが暮らしている。

「放射能の不安はあるよ。でも、幸い水道も電気もガスもある。避難しなくてもいいというなら、やっぱり自分の家で生きていきたいよね」。一時は宮城県へと避難していた60代の男性が言う。当初の“屋内退避指示”、そして4月11日に出された“緊急時避難準備区域”に含まれるものの、自分の家があるのなら、そこで暮らしたいと思うのは当然だ。「食べ物もどうにかなってきた。仕事はままならないけど、ここでがんばっていきたい」。

 3月20日にいち早く店舗営業を再開した「まちなか広場」(原町区)は、「物資を運んでくれる業者さんがいないから、自分たちで買い付けに行くことにした」と、バイヤーが東京・大田市場へと直接買い付けに行き、南相馬市まで運ぶ。生鮮食品も多く「配給だけだとあまり野菜も取れないから、野菜がやっぱり喜ばれるね」と話すのは同社で代表を務める石沢一二さん。「放射能は怖いけど、みんな生きてるんだもん。それにはまず食でしょ?」ととことん前向きだ。

 まちなか広場のすぐ横でラーメン屋「らあめん屋 すず」を営む鈴木さんも、食べることから市民を元気づけたいと願う1人だ。営業を始めて半年で震災発生。「ようやくここの味を気に入ってくれる人が増え始めたところだったので、一日も早く再開して、あったかいものを食べて元気を出してもらいたくって」。仕入れ業者が入ってくれないため、早朝から自分たちで相馬市に仕入れに出かける。「仕事のために戻ってきている人たちもいっぱいいる。昔原発関係の仕事もしたことあるけど、今の線量なら問題ないですよ」と笑顔を見せる。

 避難所の原町第一小学校のすぐ前で3月29日に営業を再開したパン、菓子の「パルティール」の只野さんご夫妻もまた、未来をあきらめていない。「パンを避難所に無料提供しようとしたら、“ちゃんと商売したほうがいい”と勧められて、じゃあ、せめてコーヒーだけでもと思って」と、立ち寄った人々にはホットコーヒーを無料提供。コーヒーのような嗜好品は不足気味のため、立ち寄る人々はみなコーヒーにホッとした表情を見せ、「コーヒーを飲みながら話すのも力になる。ありがたい」と話している。

 放射能は不安だ。しかし、南相馬市の人々は生きている。ここで生きようとしている。重苦しい不安の中でも、少しずつ前へと進もうとしている。

 そんな中で今、求められているのは「情報」だ。ある男性が言う。「テレビは同じようなことばかり流している。新聞でじっくり読みたいし、原発についても正確な情報を知りたい」。政府・東電は限られた情報と、あいまいな説明と指示しか出さず、市も個人もどう対応すべきか明確な答えが出せていない。だから無駄な風評被害が広がり、ボランティアも隣の相馬市の10分の1程度の人しか来ない。政府・東電はまず正確な情報をきちんと開示し、周知することが大切だ。そしてまた、マスコミも30km圏内での取材を行い、現状を伝えるべきだろう。“危険だ”とただ叫ぶのではなく、冷静な目で現状を伝えること。南相馬市への援助の手は、まず“知ること”から始まるのだ。

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〈1〉原町区で3月29日から営業を再開したパン・菓子の「パルティール」の只野ひろ子さん。 〈2〉3月30日に営業を再開「らあめん屋 すず」の鈴木修一さん。「あったかいものを食べて希望につながれば」。 〈3〉真野小学校の新井川校長。「生徒たちも先生たちも、真野小学校が大好きな人たちばかりで…」。行政よりも早く、先生、保護者たちが自発的に集まって、がれきの撤去、使える学用品のピックアップを始めた。半数近くが区域外就学となったが、残る36名で学校を近くの「万葉ふれあいセンター」に移して4月22日に再開する。真野小学校は創作の「万葉太鼓」で知られており、「いつかまた、生徒の万葉太鼓を演奏してお聞かせしたい」。 〈4〉原町の繁華街にある「まちなか広場」には、生鮮食品も戻ってきた。「物資を運んでくれる人がいないので、自分たちで直接仕入れてます」。姉妹都市の杉並区と連携し、大田市場からも野菜を入れているという。 〈5〉南相馬市、桜井市長。「原発問題が終息してくれれば明確に生活再建に向けて動き出せるが、今は消極的支援段階」と語る。「我々も同じ日本人であり、同じ命を燃やして生きている。それは都会でも田舎でも等しいことだ。犠牲を強いられていることを、どうか知ってほしい。そして、同じ痛みを感じてほしい」。 〈6〉「いまだスタート地点にも立てていない」と職員が絶望する津波の被災地。30km圏内で最大の被災地の萱浜。「この辺一帯が全部家だったなんて信じらんないだろ」。通りかかった住民がつぶやいた