全くなってなかった東電の危機管理体制

 東京電力の清水正孝社長が、福島第1原子力発電所が深刻な事故に見舞われた3月11日の東日本大震災の当日、奈良市の「平城宮跡」を視察していたことが18日、分かった。勝俣恒久会長も震災当日に北京に出張中で、両トップが震災当日に「非常災害対策本部」が設けられた東京の本店に戻れなかった。

 清水社長は、交通網の乱れで11日中に帰京できず、本店に戻ったのは12日午前10時。勝俣会長も帰国は12日だった。東電では震災直後に非常災害対策本部を設置したが副本部長の武藤栄副社長が指揮を執っていた。

 清水社長は4月13日の会見で、「本部には不在だったが、常時連絡をとって判断していた。ベントのゴーサインを出したのも私だ」と述べ、対応の遅れはなかったと釈明した。

 事故の初動対応をめぐっては、判断の遅れを指摘する声もあり、改めて同社の危機管理が問われそうだ。

 また清水社長は18日の参院予算委員会で、福島第1原子力発電所の事故について「14、15メートルという今回の津波の大きさは想定できなかった。残念ながら、そういう意味での想定は甘かったと言わざるをえない」と認めた。その上で「まれに見る大きな津波による影響の原因がどこにあるのか、徹底した分析をしていきたい」と表明した。

「ベント」が遅れた理由については、「電源を喪失し、放射線量が高い厳しい作業だった」と説明し、3月12日朝の菅直人首相による視察が原因だとの見方を否定した。