“人”– 吉田昌郎 東京電力福島第1原発元所長

 東京電力福島第1原発で、事故の復旧作業を陣頭指揮した元所長で東電執行役員の吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が9日午前11時32分、食道がんのため都内の病院で死去した。58歳。健康診断で食道がんが見つかり、23年12月に所長を退任。24年3月に手術のため入院し6月に退院したが、7月に脳出血で倒れ、自宅療養を続けていた。

 事故後の被曝(ひばく)放射線量は約70ミリシーベルト。東電は放射線医学総合研究所の見解として「事故による被曝が(がん発症に)影響した可能性は極めて低い」としている。

 東工大大学院修了後、昭和54年に東電に入社。原子力技術畑を歩み、平成22年6月、福島第1原発所長に就任した。事故直後から、収束作業を原発敷地内の免震重要棟で指揮した。

 首相官邸の意向を気にする東電本店から原子炉冷却のための海水注入の中止を命じられた際、独断で続行を指示、事態の悪化を防いだ決断が評価された。一方、政府の事故調査・検証委員会は震災前の原子力設備管理部長時代、防潮堤など津波対策を先送りしたと指摘している。

 事故発生から病気療養で退任するまでの約250日間、寝る間も惜しんで未曽有の原発事故に対応。厚い人望で作業員をまとめただけでなく、事故の「生き証人」でもあった吉田氏。各方面から、その死を悼む声が聞かれた。