鈴木寛の「2020年への篤行録」  第8回 W杯の裏にある人々の思い

 この3月からサッカー協会の理事に就任しました。去る5月12日、サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の日本代表メンバーが発表されました。かつて三浦知良選手や中村俊輔選手の落選が劇的に報道されたことがありましたが、毎度のことながら、選ばれた選手、選ばれなかった選手の明暗を分けてしまいます。


 今回も、しばらく代表から遠ざかっていた大久保嘉人選手がサプライズ選出。昨年亡くなられたお父様の命日という奇遇も重なり、感動的に報じられました。大久保選手は前回のW杯に出場後、モチベーションが上がらず次第に代表の試合で出番が無くなっていきましたが、「もう一度、代表になれ」というお父様の遺志に奮起し、昨年は初の得点王を獲得。実力で代表復帰の機会をつかみ取りました。


 一方で、川崎フロンターレの同僚である中村憲剛選手は2大会連続での代表入りは果たせませんでした。中村選手は悔しさの余り、ブログで「本当に一瞬、一瞬ですがどうでもよくなりました。ACLもリーグ戦も何もかも」と本音を漏らしていました。文字通り全身全霊をかけて目指した夢を絶たれた喪失感。私たちの想像を遥かに超えるものです。ただ、中村選手は「ボールがあれば、サッカーがあれば俺は前を向いていける」「今まで辿ってきた道は間違っていなかったと思うし、今までやってきたことに悔いは一切ない」とも綴っていて、予備登録メンバーとして準備をしっかり行う意向を示しました。私はこれを読んだとき、「ああ、本当のプロはこういう人のことなんだな」と心から尊敬しました。


 今の若い人は、日本サッカーがW杯に出るのが当たり前のように感じているようですが、たかだかこの十数年のことに過ぎません。1993年にJリーグが始まる前の日本リーグの時代は、天皇杯の決勝等を除くと観客席はガラガラ。芝が張り巡らされた競技場も少なく、トップ選手が泥まみれになってボールを追いかけていました。先人たちが築き上げてきた歴史があっての今日だということを忘れてはなりません。


 私の友人である藤田俊哉さんは、Jリーグのミッドフィルダーとして初の通算100得点を挙げる等、ずば抜けた活躍をされましたが、W杯出場はなりませんでした。しかし、彼のような名選手たちが切磋琢磨していたからこそ日本サッカーの層が厚くなり、競技力がアジアでトップクラスにいられるのです。現在、藤田さんはオランダに指導者留学をされていますが、新たな夢を追いかけられています。


 以前、どこかの新聞で読んだ記憶なのですが、93年のJリーグの開幕戦「ヴェルディ川崎VS横浜マリノス」に出場した北澤豪さんは、「ピッチに立てなかった人たちの思いも背負って試合に臨んだ」という趣旨の話をされていました。これは今回のW杯の代表選手たちも同じ思いをお持ちだと思います。応援する私たちも、W杯の華やかな舞台の裏で、サッカー界の発展に尽くされてきた方々にも思いを巡らしていきたいものです。


(東大・慶大教授、日本サッカー協会理事、元文部科学副大臣、前参議院議員)