新生K-1初の大阪大会 2カ月前に全席完売の舞台裏

会見する宮田充K-1プロデューサー

12月8日についに大阪上陸
 新生K-1となって初めての大阪大会が12月8日に開催される。

 しかしすでにチケットが完売という予想外の状況に関係者の中でも戸惑いが広がっているという。

 現体制になってからのK-1は2014年11月に東京・代々木第二体育館で旗揚げ戦を行い、以降、ここを拠点に大会を開催してきた。旗揚げ戦から満員御礼が続き、チケットは早い段階から動き出し、大会1カ月前には完売という状態が続いていた。

「もっと大きな会場で開催すれば」という声もあったが、代々木第二体育館のすり鉢状の会場は熱気を生みやすく、代々木という場所的な好条件が揃っていたこと。なにより大風呂敷を広げ過ぎて最終的に立ちいかなくなった旧K-1を外から見ていた宮田充K-1プロデューサー(当時は運営の責任者)にとっては目先の人気に浮かれることなく、着実に足場を固めるには代々木は最適な会場と映っていた。

 そんななか、代々木第二体育館が改修工事のため使用不可能に。ここで宮田氏はさいたまスーパーアリーナへの会場変更を決断する。2017年2月にこの発表がされた時は誰もが「メインアリーナ」での開催を想像したが、なんとコミュニティアリーナでの開催。

 宮田氏は当時について「もともとさいたまスーパーアリーナのメインアリーナでやりたいという思いはあった」と前置きしたうえで、「首都圏にはいろいろな魅力的な会場はあるが、会場を転々とするのはあまりいいこととは思わなかった。代々木の次はどこがふさわしいかと考えたら、さいたまスーパーアリーナのコミュニティアリーナだった。スーパーアリーナさんからもどんどん使ってほしいと言っていただいたので、ホームをさいたまスーパーアリーナに移すことに決めた」

 いきなりメインアリーナで開催しようとは思わなかった?

「それは考えなかった。さいたまの最初の大会は2017年の6月だったのだが、年間最大のビッグマッチというのは年の最後か真ん中か頭かと考えた時に3月、春がいいのではないかと思った。それで“ロード・トゥ・さいたまスーパーアリーナ3連戦”とし6、9、11月にコミュニティアリーナで3大会開催して3月の『K’FESTA.1』につなげる流れにした」

 メインアリーナでは年に1回の開催にとどまっているが、複数回でも十分埋まるのでは?

「メインアリーナはどんどんやりたいんですが人気の会場なので取れないんです。2020年のオリンピックが終わるまでは首都圏は会場を取るのが大変だと思います」

 宮田氏の目論見通り、コミアリでの3大会は査定試合という意識が選手たちにも植え付けられ、より一層リング上は充実する。

 そこで待望のメインアリーナ大会の開催となる。同大会は直前に目玉カードであった大雅vs武尊のスーパー・フェザー級タイトルマッチが大雅の不出場で消滅するという危機に見舞われたが、宮田氏はその空位となった王座をめぐるトーナメント開催に舵を切る。このアクシデントに危機感を共有した選手たちも多く、カード変更にも特にトラブルもなく、思わぬ瓢箪から駒で豪華なトーナメントが実現した。

 そこで武尊が3階級制覇を達成。絵に描いたような大団円にメインアリーナが揺れた。

 すっかり人気が定着した感のあったK-1だったが、これは東京でのもの。今後の課題となるのは全国区での人気の獲得。そして『K’FESTA.1』直後に大阪大会の開催が発表されるのだが、宮田氏曰く「大阪大会の開催についてはいろいろな要素があった。まずK-1を大阪でやってほしいというファンの方々の声が大きかった。実際に強い選手もどんどん出てきている。彼らが輝く舞台があったほうがいいのではないかと考えた。K-1として大阪に進出するとしたら今年、もしくは来年のK’SFESTAの後かと考えていた。ところが12月8日の土曜日に会場が押さえることができた。まさか取れると思っていなかったのだが、取れたので、やるしかないと思った」

10月13日に大阪で行われた会見の模様(©M-1 SPORTS MEDIA)

今大会次第では今後複数開催の可能性も
 大阪大会のキーパーソンとなるのが大阪出身の皇治。皇治は会見でのトラッシュトークで話題を振りまき、リング外で注目を集めるようになるが、リング上では卜部功也、大雅といった王者クラスとマッチメークされるも結果は出せない状況が続いた。しかし練習拠点をシルバーウルフに移して以降、着々と実績を重ね、いつしか「K-1を大阪に持って帰る」ということを口にするようになる。そして3月のトーナメントでは1回戦で元王者の卜部弘嵩を延長の末破り、準決勝でも小宮山工介と好ファイトを展開。一気にその発言は無視できないものとなっていった。

 皇治が率先して大阪大会をPR。そして自ら「vs武尊」の流れを作り、大阪大会への期待は大きく膨らんだ。しかしその流れができたことで9月大会は皇治が負けたらすべてがパーになりかねない状態。あの試合はどういう心境で見ていた?

「リングに選手が上がったら僕たちはもう何もできない。スタウロスが勝ったらスタウロスをどう使っていこうかとか、皇治君が大ケガをしたらどうしようかとか考えた。9月大会前に大阪大会用の皇治君のポスターを作ったんですが、これは僕たちからの皇治君へのプレッシャーでもあった。“ここまでしたんだぞ。お前はクリアできるのか?”という。延長までいって、苦しい試合だったとは思うが大宮司さんとしっかり厳しいトレーニングをしていたのは知っていたし、これでもし負けたら仕方ないと思っていた。僕らは彼の“口撃”にマッチメークやポスターでプレッシャーをかけた。スタウロスは簡単には勝てない強豪選手。半年、1年前の皇治君だったら勝てなかったと思う。大阪大会の開催がいい意味で彼の成長を促したんだと思う」

 9月大会の一夜明け会見から早くも皇治の大阪大会へのプロモーションは始まる。武尊も初の大阪大会への出場は当初から希望しており、がぜん2人の対決ムードは盛り上がった。この段階で「武尊vs皇治」戦はまだ正式発表されていないのだが、チケットはじわじわと売れ続けた。

 この盛り上がりが頂点に達したのが10月13日に大阪で行われた第1弾カード発表会見。通常、会見は東京で行われることが多いのだが、宮田氏は「一番最初に現地のお客さんに知らせたかった。カードも発表になっていないのにどんどんチケットが売れていた。大阪のお客さんが待っているなと思った。武尊君と皇治君を連れて大阪でやるのが一番いいと思った。いつも東京でやっているんですが、大阪でやる以上、一番最初に大阪でやるのが礼儀かと思った」

 そこで案の定、皇治が仕掛け、会見は一触即発に。最後に皇治がお好み焼き用のヘラを渡そうとすると武尊はそのヘラを叩き落とす。

「あのヘラって金属じゃないですか。尖っているし。お客さんがぎっしり入っている中だったんで本当にびっくりした。“まあまあ”って間に入るべきか一瞬躊躇した時に武尊君がぱーんとはねのけた。お客さんのほうに飛んでいったら危ないですから、僕はそっちを追っちゃいましたよ(笑)。武尊君も“そのへんは僕だってプロだから分かってる”って言うんですが、はねのけたヘラのコントロールまでできるのか?って思いましたよ(笑)」

 そして「会見直後から翌朝まで一気にチケット売上が伸びた。いつもなにかしらのイベントをした後にもチケットは動くのだが、今回は勢いが違った」と翌14日にはよもやの「完売」リリースが出された。

 その後、いや現在もファンからK-1事務局に「もうチケットはないのか?」「追加販売や当日券は出ないのか?」といった問い合わせがひっきりなしに来るという。

「皇治選手からも“もうチケットないんですか? 今から大阪城ホールに替えることできないんですか?”って言われました。できるか!って(笑)」

 これはうれしい誤算ではあるが、もう少し大きい会場にしておけばよかったという考えは浮かばなかった?

「ビッグマッチをやるうえでは、まずアクセスも含めて、見に来ていただきやすい会場がいいと思っていた。だからうれしい誤算ではあるが、僕はこの府立体育会館(エディオンアリーナ)で良かったと思っている。僕は会場とのお付き合いを大事にしたいと思っているので、2019、2020年と定期的にやれるとしたら、府立は大事にしたいという思いはある。チケットに関しては、“手に入りにくい、すぐ売れきれちゃうから2019年は早めにチケット買おう”というふうに思ってもらうのがいい流れかなと思う。そこであまり欲はかかないです。会場も新日本プロレスさんの大会を下見を兼ねて見に行ったんですが、いい会場。長方形ではあるが、中のアクセス、裏の使い勝手もいい。見やすいし、楽しんでもらえやすい会場だと思う。1回K-1でやってみて、次はこういう演出をやってみようか、というようなことも見えてくる。同じ会場でやっていくと経験値がたまるので、その次はよりよいイベントになると思う」

 では人気が高まれば複数回の開催もある?

「あり得ます。1年前には会場を押さえているので、2019年は難しいかもしれないが、2020年以降はありだと思う。地元に有力ジムも増えてきて、どんどん良い選手が育っているのは大きい。大阪のファンの皆さんに“面白かった、次もまた見に来たい”と思って帰ってもらうのがいま一番のテーマ」

 宮田氏の言う通り、今後、大阪大会が定期開催されるためには1回目の大会の出来が重要。それはメインの武尊と皇治の肩にだけではなく、プレリミナリーファイトの第1試合に出場する選手の肩にも大きくのしかかるもの。選手たちは果たしてどれだけの熱を生み出すことができるのか。