【短期集中連載】〈日本で最も歴史の長いプロ格闘技・シュートボクシング40年史〉 第1回 佐山聡とUWF

 来る11月24日、東京・国立代々木競技場第2体育館で創立40周年記念興行『〜SHOOT BOXING 40th Anniversary〜S-cup×GZT 2025』を行うシュートボクシング。プロ格闘技団体として同じ名前では史上最長となる40年という長い歴史を振り返る。(文・布施鋼治/写真提供・一般社団法人シュートボクシング協会)

シーザー武志(左)の試合後、佐山聡が控室に訪れた

1984年7月下旬、佐山聡の一言から全てが始まる

「シーザーさん、キックを教えてくれませんか?」

 全ては佐山聡のその一言から始まった。時は1984年7月下旬、後楽園ホールで行われた旧UWFの無限大記念日。従来のプロレスから一歩踏み出した格闘技色の強いファイトスタイルに観客は熱狂した。

 その日、知人からの誘いで観客として試合を見ていたシーザー武志も「今までのプロレスとはちょっと違うじゃないか」と身を乗り出した。試合後、控室に行くと、佐山から冒頭で記したような声をかけられた。

 ちょっと前までキックボクシングの東洋太平洋のミドル級とウェルター級の二冠王として活躍していたシーザーだったが、決められたファイトマネーも払わない人間関係に嫌気がさしていた矢先の出来事だった。時間はタップリあったので、すぐ佐山が運営していた東京・三軒茶屋のスーパータイガージムに足を運んだ。

「何度か教えていたら、佐山から“前田と髙田と山崎もいいですか?”と頼まれた。断る理由はなかったので、前田たちにもにキックを教え込んだ。それから40年以上の歳月が流れたが」シーザーは懐かしそうに振り返る。「中でもセンスは佐山がピカイチだったね」

 その後、佐山の紹介で“プロレスの神様”カール・ゴッチと出会う。佐山の通訳で話をしているとき、ゴッチから告げられた。
「シーザーさんはキックのチャンピオンだったと聞いています。でもね、世界にはキック以外にもたくさんの格闘技があるんですよ」

 格闘技といえば、キックとムエタイくらいしか知らなかったシーザーはフランスにはサバットという日本のキックに似たフランス式のキックが大昔から存在していることを知らされ驚くしかなかった。

 それまでずっと一生懸命にやっていたキックをどうしようかとばかり考えていたが、ゴッチの一言で発想の転換を計ることができた。
「キックやムエタイは1ラウンド3分だけど、1ラウンド10分でやったら面白いんじゃないか」
「キックやパンチだけではなく、ダイナミックな投げを加味したら、お客さんはもっと驚くんじゃないか」

 新しい立ち技格闘技を作るためのアイディアが尽きることはなかった。キックやムエタイの世界では当たり前のトランクスもやめ、思い切ってロングスパッツ着用を義務付け、レガースもつけることにした。
「そのへんはSIMAスポーツの嶋さん(豊嶋裕司)と考えたの」

 当時、豊嶋は覆面レスラーのマスクやプロレスラーのコスチューム制作の第一人者として知られる人物だった。
「レガースもプロレス様式ではなく、もっと素足に近いものをリクエストした。見た目は靴を履いているような感じでね。ボクシングはシューズを履いているけど、それだけでグレードが高く見えるじゃないですか」

1985年9月1日、後楽園ホールで旗揚げ第1戦を開催

 階級はキックやムエタイでは当たり前に採用されていたフライ級などの名称を辞め、イーグル(鷹)級、ホーク(鷲)級など鳥の名前を採用して新たに名付けた。
「人間の夢は何かといえば、まずは空を飛ぶこと。だったら、飛ぶことができる鳥の名前をつけたら、世の中に羽ばたけるんじゃないかと思ったんですよ」

 1985年9月1日、後楽園ホールで旗揚げ第1戦を行った。プレーイングマネージャーだったシーザーはメインで関西在住でプロ空手家としても活躍した力忠勝と本戦10分1ラウンドという斬新な試合時間を設けての一騎討ちを行った。

 1ラウンド3分の試合形式に慣れたキックファンの中には白い目を向ける者もいたが、のちに1ラウンド10分という設定はPRIDEも採用している。

 シュートボクシングという競技名は旗揚げを告知する直前に決まったという。シーザーは「佐山が立ち上げたシューティング(現・修斗)に影響を受けたことも確かだけど、シュートは真剣勝負からとりました」と打ち明ける。まだ世の中にK-1もなければ、確固たる総合格闘技もない時代だった。キックは数年前に地上波での定期放送を打ち切られ、どん底にあえいでいた。こうしてキックでもムエタイでもない、全く新しい立ち技格闘技の犀は投げられた。
(第2回=10月23日掲載に続く)